第14話:泣かないでください(14/30)



19:02。

神社へ向かう道は、夕方の買い物帰りの車が数台いるだけで、いつも通りの町だった。

いつも通りが、いちばん怖い。

異常が日常の顔をしているから。


父は「行くな」と言った。

でも通知は「処理しろ」と言った。

行かないと増える。

行けば拾う。

どっちも地獄なら、地獄の形を選ぶしかない。


スマホの通知が、薄く光っている。


> 19:10 処理してください

対象:母(記録)

推奨:泣かないでください




泣くな。

泣いたら、母が“必要なもの”として確定する。

確定した必要は、町が握る。

握られたら、もう返ってこない。


神社に着くと、鳥居の前に人影が並んでいた。

昨日より多い。

増えている。

しかも、全員が“慣れた顔”で待っている。

手順はイベントになると強くなる。


自治会の女性。

佐伯さん。

拾いもの好きの男。

そして――高橋。


同級生の顔が、ここにあるのがどうしてもおかしい。

おかしいのに、町は“昔からいた”みたいに見せる。

記憶の穴を塗り替える。


高橋が僕を見て、軽く手を上げた。


「津田」

「時間通り」

「えらいね」


褒め言葉が、鎖に聞こえる。


社務所裏へ回ると、例の設備が整っていた。

木箱(返す箱)。

タブレット。

秤。

そして今日は、小さな白い封筒の束が置かれている。

“お礼”の在庫。

在庫があるってことは、儀式が日常になってるってことだ。


自治会の女性が、穏やかに告げた。


「対象は、母(記録)です」

「記録の整理を行います」

「拾得者(脱)は、処理担当です」


脱(だつ)。

昨夜、僕が署名してしまった“役割の名前”。

町の中で僕はもう津田じゃない。

脱。

脱ぐ人。落とす人。


タブレットが点灯する。


「処理セッション:19:10」

対象:母(記録)

形式:整理/奉納(最終ではない)

推奨:泣かないでください

副作用:記憶の再配置


記憶の再配置。

嫌な言い方だ。

記憶の引っ越し。

配置換え。

人が人じゃなくなる作業。


僕は周りを見た。

みんなが静かに見ている。

スマホを構えている人もいる。

記録するのが手順。

町は証拠で人を縛る。


「母(記録)」はどこにある?

そう思った瞬間、木箱の横の台に、透明の袋が置かれた。

いつの間に?

袋の中身は――写真。


母の写真。

昨日封筒に入っていた“母がこちらを見ている写真”だ。

でも今日は、写真の端が切れている。

切断面がきれいすぎる。

“整理”されている。


袋のラベル。


拾得礼:7

提供者:脱

対象:母(記録)


提供者:脱。

僕が提供していることになっている。

僕が落とし、僕が拾わせ、僕が提供する。

責任の循環。

回覧板より酷い回り方。


佐伯さんが小声で言った。

声が震えている。


「……津田くん」

「泣いちゃだめ」

「泣いたら、母さんが“ここ”に固定される」


固定。

固定されると、戻らない。

父が言った“戻らない”と同じ。


拾いもの好きの男が、楽しそうに言う。


「泣かなければ軽く済む」

「泣けば、重くなる」

「重いほど深い」


深いほど、継承が近い。


高橋が、僕の横に立ち、囁いた。


「津田」

「泣くな」

「泣くのは後でいい」

「いま泣いたら、町が喜ぶ」


町が喜ぶ。

母で喜ぶ。

それが一番嫌だ。


自治会の女性が、柔らかく言った。


「袋を秤に乗せてください」

「重さを確認します」


僕は袋を秤に置いた。

数字が点灯する。


2.8g


昨日の爪は0.7g。

母の記録は2.8g。

数字が大きい。

それだけで、周りが少しざわついた。

ざわつくと言うな。

でもざわついた。


自治会の女性が頷く。


「……ちょうどです」

「整理に適した重さ」


適した重さ。

母の重さが“適している”。

言葉が腐っている。


タブレットが次の画面になる。


「整理の選択」

A:奉納(記録を町へ移す)

B:回覧(記録を家々へ回す)

C:保留(拾得物増加)


選べ。

選ぶと、自分で決めたことになる。

同意と同じ罠。


僕の指が震えた。

震えると言うな。

でも震えた。

母の写真を、町へ?家々へ?

それとも保留して増やす?


父の声が頭の奥で響く。

「行ったら、お前が母を拾う」

もう来てしまった。

拾ってしまった。

拾ってないのに、提供者になっている。

回避しても近づく。

通知みたいに。


僕は、AでもBでもなく、Cを押しそうになった。

保留。

保留すれば、今夜は母を手放さずに済む気がした。

でも“拾得物増加”。

増えるのは、次の母かもしれない。

次の父かもしれない。

次は僕かもしれない。


その時、背後で誰かが小さく泣いた。

嗚咽。

短い、堪えきれない音。


僕が振り返ると、泣いていたのは――自治会の女性だった。

あの穏やかな顔が歪んで、涙が一筋落ちていた。


え?

泣くなと言われているのに?

推奨なのに?


拾いもの好きの男が、嬉しそうに笑った。


「出た」

「泣いたね」

「これで重くなる」


自治会の女性は涙を拭かない。

拭かないまま、淡々と僕に言った。


「……泣いてください」

「あなたが泣かないと」

「記録が固定されません」


固定させたい。

町は固定させたい。

だから推奨は嘘だった。

泣くな、は囮だ。

泣かせるための導線だった。


高橋が、僕の肩を掴んだ。

掴むと言うな。

でも掴んだ。


「津田」

「泣け」

「泣けば終わる」


終わる。

終わると言うやつは信用できない。


僕は喉の奥が熱くなった。

涙が出そうになった。

出そうになると言うな。

でも出る。

母の写真。母の目。

父の指の爪。

家族が記録になっていく。


僕が泣いたら、母は固定される。

固定された母は、町のものになる。


でも泣かなければ、何が増える?

拾得礼が“母”になるって通知は、もう現実だ。

ここで泣かなくても、別の形で泣かされる。

だったら——


僕は、歯を食いしばって、目を乾かした。

泣かない。

泣かないことだけが、いま僕に残った抵抗だ。


自治会の女性の涙が、ぽたり、と秤の台に落ちた。

落ちた瞬間、秤の数字が変わった。


2.8g → 3.0g


……涙で、重さが増えた。

記録が重くなった。

深さが増えた。


拾いもの好きの男が笑う。


「ほら」

「泣くと増える」

「増えると深い」


タブレットが勝手に選択を確定した。

僕が押していないのに。


B:回覧 確定


画面が白く光る。


「回覧:母(記録)」

開始:本日 20:00

回覧経路:全戸

拾得者:脱(責任者)

拾得礼:8 発生


母が、町中を回る。

家々の手に触れられる。

僕の母が、町の回覧板になる。


自治会の女性が、涙の跡を残したまま微笑んだ。


「よかった」

「これで町が安定します」


安定。

母が回ることで安定する町。

そんな安定は、地獄の整理整頓だ。


僕のスマホが震えた。

新しい通知。

時間指定。


> 本日 20:00 回覧板を受け取ってください

場所:あなたの家(玄関)

落とし物:母(記録)

推奨:燃やさないでください




燃やすな。

燃やしたくなるものが来る。

母を燃やす?

そんなこと、考えたくもないのに。

町は“考えさせる”ことで人を追い込む。


高橋が、僕の耳元で囁いた。


「次は、父だよ」

「……泣くかどうか、選べるうちに選んどけ」


選べるうちに。

選べない未来が来る。

通知みたいに。


(第14話・終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る