第13話:落としてください(13/30)
06:18。
まだ外が青い時間に病院へ向かうのは、昔の部活みたいで嫌だった。
同じ“早起き”でも、これは健康のためじゃない。
手順のためだ。
スマホの通知は、昨夜のまま刺さっている。
> 06:30 落としてください
場所:病院(父の病室)
落とし物:家族写真(母)
推奨:自分で置かないでください
落とせ。
でも置くな。
落とす側になれ。
でも罪は認めるな。
この町の命令は、いつも“逃げ道を塞ぐ矛盾”でできている。
僕は病院の自動ドアをくぐった。
ロビーの空気が冷たい。消毒液。
それだけで、昨夜の居間が遠くなる。
遠くなると言うな。
でも遠い。
——あの「脱(だつ)」という署名が夢だったことにしたい。
エレベーターに乗り、父の病棟へ。
扉が開いた瞬間、廊下の端に見慣れた人影があった。
担当医だ。
僕を見るなり、担当医は早足で近づいてきた。
昨夜みたいに“沈黙”ではない。声も出る。
出るけど、声が震えている。
「津田さん……!」
「昨日、あなたが署名した書類、病院のシステムに――」
「……いや、違う。あれは、病院の外のものなのに」
担当医は言葉を探している。
言葉が出るのに、言葉が追いつかない。
僕は言った。
「父の順番は、戻りましたか」
担当医の顔が歪んだ。
戻ったのか。
戻った代償があるのか。
その答え方で分かる。
「……確かに、今朝」
「検査の予定が“前倒し”になってます」
「でも、あり得ない手順で」
「誰が操作したのか、ログが残らない」
ログが残らない。
記録だけが動いて、証拠が消える。
“町のやり方”だ。
僕は腕時計を見た。06:28。
落とす時間まで、あと2分。
担当医が僕の視線の意味に気づいたのか、声を落とした。
「津田さん」
「いま、病室に行かないでください」
「……お願いです」
また“お願いです”。
弱いお願い。
でも、今朝の担当医は少しだけ強かった。
声が戻ったから。
声が戻ると、人はまだ人間でいられる。
それでも、僕は病室に向かった。
行かないと増える。
増えるのは、僕だけじゃない。父も母も“拾得礼”になる。
06:30。ぴったり。
父の病室の前に着いた、その瞬間。
僕のポケットの中で、紙が滑る感触がした。
——持ってきてない。
持ってきてないはずだ。
家族写真(母)の写真は、昨夜封筒で受け取ったあと、机の引き出しに入れた。
入れた記憶がある。
なのに、ポケットにいる。
僕がドアノブに手をかけた瞬間、
ポケットから写真が落ちた。
床に、ふわり。
紙が落ちる音。
小さすぎて、音にならない。
でも病院の廊下では、その無音が逆に目立つ。
落とした。
落としたけど、置いていない。
通知の“推奨”通りになってしまった。
僕は反射で拾いそうになって、手を止めた。
止めたと言うな。
でも止まった。
拾ったら、また拾得。
落とした側になったのに、拾う側に戻ったら、町が喜ぶ。
喜ぶほど最悪なことはない。
その時、背後から看護師の足音。
コツ、コツ。
この病棟の音はいつも一定だ。
一定の音は手順の足音に聞こえる。
「……あら?」
看護師が写真を見つけた。
僕は写真に触れていない。
触れていないから、僕は“拾っていない”。
看護師が写真を拾った。
拾った瞬間、彼女の顔がほんの少しだけ整う。
整う。
手順が通る顔。
「津田さん」
「これ、落ちてましたよ」
落ちてました。
“落ちていた”が合言葉になる。
看護師は写真の表を見て、固まった。
そこに写っているのは、母。
母がこちらを見ている写真。
看護師の表情が変わった。
嫌悪じゃない。困惑。
困惑は、説明を求める顔。
「……この方、どなたですか」
来た。
説明。
見せないでください、の続き。
僕が答えるより先に、病室の中から父の声がした。
「……やめろ」
父は起きていた。
声が出る。焦点が合っている。
今までで一番“父”に近い声。
看護師が驚いて病室を覗き込み、写真を持ったまま入ってしまう。
「津田さん、お父さまが反応されています」
「いま、確認を――」
僕は病室に入った。
入った瞬間、父の目が写真に向いた。
向いた瞬間、父の顔から血の気が引いた。
「……それを、見せるな」
見せるな。
でも、もう見えている。
看護師が、無邪気に言った。
「ご家族のお写真ですよね?」
「面会用に置いておきましょうか」
置くな。
置いたら“自分で置いた”になる。
僕が置いていないのに、結果だけ置かれる。
責任だけが僕に乗る。
父が、震える手で布団を握りしめた。
「……それは」
「……返したやつだ」
返した。
奉納した?
処理した?
父は何を知ってる。
父はどこまで町に触れている。
そこへ、担当医が病室に入ってきた。
さっきの廊下で止めようとしたのに、間に合わなかった。
担当医は写真を見て、目を見開いた。
「……この写真」
「どこから」
看護師が答える。
「廊下に落ちてました」
「津田さんの前に」
落ちてました。
落ちたのが事実になる。
落とした覚えがなくても、落とした人は僕になる。
担当医が、僕を見た。
“外部”の目で。
“まだ人間”の目で。
「津田さん」
「これは危ない」
「“記録”が増えます」
記録。
増える。
拾得物が秘密に変わる段階。
そして、案の定。
看護師のポケットでスマホが震えた。
通知音が鳴る。
彼女は画面を見て、何も驚かない顔になる。
「……面談室2ですね」
「説明が必要ですって」
必要。
必要という言葉で、強制が始まる。
僕のスマホも震えた。
同じ番号。
> 落下:完了。ありがとうございます。
落とし物:家族写真(母)
拾得者:病棟看護師
役目:確認・共有
推奨:取り返さないでください
取り返すな。
取り返したら、僕が拾う。
拾ったら、僕がまた深くなる。
落とす側としての“役割”が完成していく。
父が、目を閉じて言った。
声はかすれているけど、はっきりした言葉。
「……お前」
「落とす側に、なったな」
僕は答えられなかった。
答えたら成立する。
成立は、町の栄養だ。
担当医が、僕の腕を掴んだ。
掴むと言うな。
でも掴んだ。
人間の掴み方だった。
「津田さん」
「ここから先は、病院の外の話になります」
「……あなたのお父さんの“記録”が」
「病院の記録じゃなくなる」
病院の記録じゃなくなる。
父が“落とし物”として扱われる世界。
その時、病室のテレビが、勝手に点いた。
朝の情報番組。
音量が0なのに、字幕だけが流れる。
「町内回覧:拾得者協力感謝」
「本日 19:10 “整理”」
「対象:母(記録)」
「場所:神社(返す箱)」
テレビの字幕で、町が告知する。
病院の中で。
病院という外部を、町が内側にする。
看護師が、写真を大事そうに抱えた。
「これ、面談室へ持っていきますね」
「ご家族の確認、必要なので」
父が、目を開けて僕を見た。
一瞬だけ、昔みたいに優しい目で。
そして、最悪の助言をくれた。
「……今夜」
「神社に行くな」
「行ったら、お前が“母”を拾う」
母を拾う。
母が拾得物になる。
拾得礼が母になる、という通知が現実になる。
僕のスマホが震えた。
短い、決定打みたいな通知。
> 本日 19:10 処理してください
対象:母(記録)
推奨:泣かないでください
泣くな。
泣いたら“必要なもの”が確定するから。
町は必要を嗅ぎつける。
(第13話・終わり)
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