第12話:次の立会人(12/30)


玄関を開ける前から、来訪者が誰か分かってしまうのが嫌だった。

この町では、予感はだいたい当たる。

当たる予感は、もう未来じゃない。手順だ。


自治会の女性が玄関へ向かう。

僕は居間に残り、途中まで書いた署名を見た。

署名欄に残っているのは、ひらがな一文字。


「つ」


たった一文字が、僕の人生の境界線みたいに見える。

線の向こうに行ったら戻れない。

線の手前に戻ろうとしても、増える。


玄関の鍵が回る音。

ドアが開く。

外の冷たい空気が入ってくる。


そして、声。


「こんばんは」

「……回覧、です」


回覧。

その言葉だけで喉が締まる。

回覧板は町の血管だ。回り始めると止まらない。


居間に、足音が近づく。

自治会の女性の足音。

それに重なる、もう一つの足音。

軽い。若い。

そして、なぜか懐かしい。


現れたのは――中学の同級生だった。

高橋 恒一(たかはし こういち)。

同じ名前の読み。

苗字は違うのに、名前が同じ。


僕は目を疑った。

東京で働いてると聞いていた。

この町にいるはずがない。


高橋は、にこりと笑った。

昔と同じ笑い方。

でも目が、揃っている。

手順の目。


「久しぶり」

「津田、帰ってきてたんだね」

「……立会、俺になったって」


立会が“なった”。

任命された言い方。

本人の意思が消えている。


担当医が椅子から立ち上がろうとした。

でも、身体が固まったみたいに動かない。

動かないと言うな。

でも動かない。

“役目:沈黙”の人間は、声だけじゃなく身体も鈍るのか。


高橋は、居間のテーブルを見た。

途中の署名。

「つ」を見て、満足そうに頷く。


「いいね」

「ここまで来たんだ」

「あと少しで安定だよ」


安定。

安定という言葉を、同級生の口から聞くと、吐き気がする。

同じ言葉を共有した瞬間、彼が“町側”だと確定する。


自治会の女性が、穏やかに言った。


「では、続きを」

「署名してください」

「立会人が増えたので、安全です」


安全。

立会人が増えるほど安全って、どんな世界だ。

増えるほど逃げられないだけじゃないか。


高橋が、テーブルの上に小さな紙を置いた。

名刺サイズの紙。


「拾得者(津田) 署名補助」


書くのは名字ではなく “役割”


署名は“同意”ではなく “引受”


引受るほど、町が助ける



書くのは名字じゃなく役割。

署名の意味が変わる。

署名が僕を僕じゃなくする。


僕はタブレットを見た。

署名欄がまだ開いている。

途中の線が点滅している。

続きを待っている。

待っていると言うな。

でも待っている。


高橋が笑って言った。


「津田さ」

「俺、今日ね」

「落とし物、拾ったんだ」


胸が冷えた。

拾った?

拾った人は役目が始まる。

高橋が拾った。

つまり、高橋も同じ穴にいる。

だから立会人になれた。

“同じ穴”の人間だけが、立会できる。


高橋はポケットから小さな鍵を出した。

木札付き。

最初の鍵と同じ。

でも木札の文字が違う。


「拾わせてください」


拾わせてください。

拾ってください、の逆。

お願いの形で、奪う。


高橋は鍵をテーブルに置いた。

木札が、カタン、と鳴る。


「これ、津田の家の前に落ちてた」

「拾わせてもらった」

「……だから、俺が立会になった」


僕の家の前に落ちてた。

つまり、僕が“落とす側”になった証拠。

まだ落としてないのに、落ちている。

未来が先に確定する。

通知のように。


自治会の女性が、淡々と補足した。


「拾わせてください、は」

「拾得者が落とす側に移る合図です」

「落とした人が、責任者になります」


責任者。

署名は責任を引き受ける。

役割を引き受ける。

つまり、僕が責任者になる。


担当医が、唇を必死に動かした。

声は出ない。

でも言っている。


“やめろ”


高橋が担当医を見て、優しく笑った。


「先生、安心して」

「津田が引き受けたら、先生も楽になる」

「沈黙、終わるかもしれないよ」


終わるかもしれない。

“かもしれない”は、餌だ。

確定じゃない希望をぶら下げて、手を動かさせる。


僕のスマホが震えた。

通知。


> 署名を完了してください

完了すると:父の順番が戻ります

完了すると:協力者(担当医)の沈黙が解除されます

拒否すると:拾得礼が“母”になります




母。

母が拾得礼になる。

母はもういない。

……いや、この町では、“いない”は無効だ。

記録があればいる。写真があればいる。

回収すれば、戻ってくる。

戻ってくるなら、それは母じゃない。


高橋が、僕の横に立った。

肩に手を置いた。

馴れ馴れしい手。

友達の手のふりをした、町の手。


「津田」

「書こう」

「俺もここにいる」

「一緒に引き受ければ、町は優しくなる」


優しくなる。

町が優しいなんて、悪夢でしかない。


僕はタブレットに指を置いた。

続きを書けば、全部が動く。

父の順番。担当医の沈黙。母の拾得礼。

全部が僕の一筆で決まる。

決めさせる仕組み。

多数決の暴力じゃない。

一筆の暴力。


僕は、指を動かした。


「だ」

「つ」

「だ」


……違う。

僕の名字は津田。

なのに、指が勝手に“だつだ”と書いている。


高橋が笑った。


「そうそう」

「名字じゃなくて、役割」

「“脱”だよ」

「脱ぐんだ」

「津田って名前を、町に脱がせる」


脱がせる。

名前を脱ぐ。

名前を取られる。

拾得物:あなたの名前。

回覧板で回収する。

今、署名で仕上げる。


タブレットが白く光った。


署名:完了

署名者:脱(だつ)

役割:責任者(落とす側)

返却対象:父(記録整理)

処理対象:家族写真(回収)

拾得礼:6 発生


拾得礼:6。

増え続ける。

数字が僕の深さになる。


その瞬間、担当医が大きく息を吸った。

そして、声が出た。


「……っ、津田さん!」

「今すぐ――」


声が出た。沈黙が解除された。

でも、その声は途中で途切れた。

途切れると言うな。

でも途切れた。


担当医の喉から、変な音がした。

咳じゃない。痰でもない。

言葉が詰まって押し戻される音。


高橋が、穏やかに言った。


「先生」

「落としましたね」


担当医の足元に、白衣のボタンが落ちていた。

コトン。

小さな音。

ボタンの裏に、黒い文字。


拾ってください


担当医の顔が真っ青になった。

沈黙が解けたと思った瞬間に、次の拾得が来る。

終わらない。

終わる代わりに、別の役目が始まる。


自治会の女性が、僕に封筒を渡した。

スタンプ。


拾得礼:6(署名完了)


中身は、写真だった。

家族写真。

でも、昨日のとは違う。

母が、僕の方を見ている写真。

目が合う。

目が合うと言うな。

でも合う。


写真の裏に、手書き。


「落としました」

「拾ってください」

「次は、あなたが落とす番」


僕の指先が冷えた。

もう“落とす側”として署名した。

落とす番は、これからじゃない。

もう始まっている。


スマホが震えた。

新しい通知。

時間指定。


> 明日 06:30 落としてください

場所:病院(父の病室)

落とし物:家族写真(母)

推奨:自分で置かないでください




自分で置くな。

でも落とせ。

矛盾。

矛盾で、責任だけが僕に残る。


高橋が、昔の友達みたいに笑った。


「おめでとう」

「津田は、町の一員になった」


居間の蛍光灯が、少しだけチカチカと瞬いた。

瞬くと言うな。

でも瞬いた。

まるで部屋が拍手しているみたいに。


(第12話・終わり)

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