第9話:説明してください(9/30)
面談室2のドアの前に立った瞬間、もう負けている気がした。
“行かなきゃ”と思った時点で、足は町のものだ。
7:33。ぴったり。
ドアをノックする前に、内側から声がした。
「どうぞ」
また、同じ声。
病院で聞くべきじゃない、手順の声。
部屋に入ると、椅子が増えていた。
前は三つだったのに、今日は四つ。
増える。
拾得物が増えるみたいに、椅子も増える。
スーツの男がいる。
自治会の女性がいる。
看護師がいる。
そして、昨日“外部”として飲まれた担当医も、椅子に座っていた。
担当医は白衣を着ていない。
私服だ。
目の下が濃い。
そして、胸に――透明の名札ケース。
僕と同じ構図。
ケースの中の名前は、擦れて読めない。
読めない方が怖い。
名前が消える途中の人間。
スーツの男が、淡々と告げた。
「説明の時間です」
「今日の説明対象は、こちら」
テーブルの上に、透明の袋が置かれていた。
病院の薬袋みたいな袋。
中身は、写真の切れ端。
僕の財布の中の家族写真と、同じ紙質。
同じ色褪せ。
でも、端が破れている。
破れた部分が、まるで“切り取った”みたいに綺麗だ。
袋のラベル。
拾得礼:3
対象:記録(家族)
推奨:見せてください
拾得礼が増えた。
僕は何も奉納していないのに。
ただ写真を拾っただけなのに、もう3。
自治会の女性が、穏やかに言った。
「津田さん」
「写真、持ってますよね」
「見せてください」
看護師も笑って言う。
「見せないと、説明できません」
「説明できないと、返却が止まります」
「止まると……増えます」
止まると増える。
それだけで、人は動く。
僕は財布を出した。
写真を出したくない。
出したら、“影”が見える。
影を見せたら、説明が必要になる。
説明は、成立だ。
でも財布を開く指が止まらない。
止まらないと言うな。
でも止まらない。
家族写真を取り出して、テーブルに置いた。
置いた瞬間、空気が“揃う”。
全員が一斉に息を吐く。
やっと手順が進める、という顔。
スーツの男が言った。
「では、説明してください」
「写真の内容を」
「声に出して」
声に出すことで成立する。
僕はもう知っている。
僕は写真を見た。
父と母と幼い僕。
神社の鳥居。
そして――鳥居の柱の影に立つ“誰か”。
その“誰か”の輪郭が、昨日よりはっきりしている気がした。
濃くなっている。
写真が育っている。
秘密が増殖している。
自治会の女性が、淡々と促す。
「読み上げて」
「そこに写ってることを」
僕は喉を動かした。
声が、出た。
「……父と、母と、俺が……」
「……神社の前で……」
そこで言葉が詰まった。
影に目が吸い込まれる。
影が“こちらを見ている”ように錯覚する。
看護師が、優しく言った。
「続けて」
「影も、説明してください」
影を言葉にした瞬間、影が“存在”になる。
言葉は、現実を固定する。
この町はそれを知っている。
担当医が、かすれた声で口を挟んだ。
「……津田さん」
「やめた方がいい」
「それは、病院の説明じゃない」
「……言葉にしたら、取られる」
取られる。
名前。家族。記録。
“拾得物:あなたの名前”が回収される。
スーツの男が、担当医を見ずに言った。
「外部助言は不要です」
「先生は、もう“協力者”です」
担当医の肩が落ちた。
落ちたと言うな。
でも落ちた。
彼はもう自分の言葉を持てない。
僕のスマホが震えた。
画面に短い文。
> 説明してください(要請)
07:40 確定します
影の名前を言ってください
影の名前。
名前を言え。
名前を言えば、確定。
確定すれば、拾得物になる。
僕は息が浅くなった。
浅くなると言うな。
でも浅い。
肺が“ゆっくり呼吸する余裕”を失う。
自治会の女性が、机の上に小さな紙を置いた。
白い紙。
そこに、黒い文字が印刷されている。
「影の候補」
祖父
町長
神主
“拾得者(先代)”
???
候補。
候補から選べ。
選ぶと、自分で決めたことになる。
同意と同じ構造。
拾いもの好きの男が、どこからともなく声を出した。
部屋の隅にいた。いつから?
「先代がいいよ」
「先代って言えば、継承がスムーズ」
継承。
21〜30の骨格の最後。
役割交代。呪いの継承。
まだ9話なのに、匂いがする。
看護師が笑う。
「“先代”って言ってください」
「簡単です」
「それで説明が終わる」
終わる。
終わると言って、終わらないのが手順だ。
僕は写真を見た。
影は、確かに人の形だ。
でも顔がない。
顔がないのに、こちらを見ている感じだけがある。
僕が声を出せば、影は“先代”になる。
先代になれば、僕は後継になる。
そうやって町は、拾う側を作る。
僕は首を振った。
振ると言うな。
でも振った。
「……名前は、言わない」
その瞬間、部屋の空気が一段重くなった。
重くなると言うな。
でも重い。
みんなの目が、揃う。
揃う目は、責めない。
ただ、“増やす”準備をする。
スーツの男が、淡々と言った。
「拒否を確認」
「では、代替手順に移行します」
「……拾得物を増やします」
担当医が、思わず立ち上がった。
「やめろ……!」
「それは――」
看護師が、微笑んだまま担当医の前に立つ。
壁になる。
「先生」
「拾ってください」
彼女が床に何かを落とした。
コトン。
軽い音。
落ちたのは、担当医の診察券だった。
病院のカード。
でも裏にスタンプ。
拾得礼:3
担当医が凍りついた。
「……俺の……?」
スーツの男が、僕を見た。
「津田さん」
「影の名前を言わないなら」
「代わりに、こちらを拾ってください」
「……拾得者は、増やすことで整います」
床に落ちた診察券。
それを拾った瞬間、担当医は完全に飲まれる。
拾わなければ、もっと増える。
この町の天秤。
僕は、歯を食いしばった。
歯を食いしばると言うな。
でも食いしばった。
そして――僕は、拾わなかった。
拾わない。
初めて、手順に逆らう形。
その代わりに何が来るか、分かっている。
増える。
スーツの男が、静かに頷いた。
「了解」
「では、拾得者の更新」
タブレットが光り、白い画面に黒文字。
「拾得者証:更新」
津田 恒一
ランク:2 → 3
役割:回収・処理 → 選別・継承
継承。
ついに言葉が出た。
僕のスマホが震えた。
新しい通知。
時間指定。
> 本日 18:10 拾ってください
場所:町の掲示板(神社前)
落とし物:回覧板(あなたの名前)
推奨:消さないでください
消すな。
消したくなるものが落ちる。
名前。
回覧板で回収する、あの“拾得物:あなたの名前”。
看護師が、微笑んだ。
「大丈夫です」
「ランクが上がるのは、いいこと」
「あなたは町に向いてる」
向いてる。
最悪の褒め言葉。
僕は家族写真を掴んで立ち上がった。
掴んだと言うな。
でも掴んだ。
写真の影が、少しだけ濃くなっている気がした。
言葉にしなくても、町は勝手に影を育てる。
面談室2を出ると、廊下の掲示板に新しい貼り紙が貼られていた。
朝にはなかった。
「拾得者(津田)協力ありがとうございます」
「本日18:10 掲示板前に集合」
……集合。
個人の拾い物が、町の行事になる。
僕は病室に戻るのが怖かった。
父の顔を見るのが怖かった。
でも戻らなければ、増える。
そして何より――
僕はもう、拾う側じゃない。
選別・継承。
(第9話・終わり)
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