第8話:見せないでください(8/30)



病院の朝は、世界が一回リセットされたみたいに明るい。

でも僕の中は、昨日の神社の暗さがそのまま残っていた。


スマホの通知は、もう決まっている。


> 07:20 拾ってください

場所:病院(父の病室)

落とし物:家族写真

推奨:見せないでください




見せないで拾え。

拾って隠せ。

隠したら、秘密。

秘密は、町の好物。


僕は7:10に病棟へ入った。

父の病室に向かう廊下は静かで、夜より怖かった。

夜の怖さは“何かが出るかも”だけど、朝の怖さは“何かが始まる”だ。


父の病室の前で、足が止まった。

止まると言うな。

でも止まった。

理由は単純――ドアの前に、もう“落ちている”から。


白い封筒が床に落ちていた。

病院の床で、紙が落ちる音はやけに目立つ。

でも周りの看護師は誰も気にしない。

気にしないのが、手順の合図だ。


封筒の表に、黒い文字。


拾ってください


僕はためらった。

見せるな、と言われている。

でも拾え、とも言われている。

この町の命令はいつも二本立てだ。矛盾で人を縛る。


封筒を拾い上げた瞬間、胸ポケットの“拾得者証”が妙に熱くなった気がした。

名札じゃない。証明書。

“あなたが拾う人間です”という札。


封筒の中身は――写真だった。

昨日受け取ったのと同じ、古い家族写真。

父と母と幼い僕。


なのに。


写真の端に、見覚えのない“影”が写っていた。

鳥居の柱の向こう側。

誰かが立っている。

顔は見えない。

でも、影だけが妙にくっきりしている。


そして、写真の裏に追記が増えていた。


「見せないでください」

「見せると、説明が必要になります」


説明。

また説明。

病院で読まされた“説明文”。

声に出すことで成立する、あの儀式。


僕は写真をすぐに財布にしまった。

見せない。

見せなければ、まだ“秘密”でいられる。

秘密のうちは、僕だけが苦しい。

でも見せた瞬間、町全体が動き出す。


病室に入ると、父は起きていた。

目は開いているのに、焦点が合っていない。

点滴の管がゆっくり揺れている。


「父さん」


呼びかけると、父は僕を見た……ようで見なかった。

そして、妙に落ち着いた声で言った。


「……拾ったか」


心臓が一回、変な跳ね方をした。

拾ったか。

落とし物の話じゃない。

そういう言い方じゃなかった。


「なにを……?」


父は、右手を少し持ち上げた。

包帯が巻かれている。

指先の包帯が、赤く滲んでいる。


「……返したか」

「返さないと、増える」


父が、町の文法で喋っている。


僕は喉が乾いた。

乾くと言うな。

でも乾く。

父は病院にいるはずなのに、神社の裏の空気を吸っているみたいだった。


そこへ、看護師が入ってきた。

明るい声。明るすぎる声。


「津田さん、おはようございます」

「今朝は状態が安定してますよ。よかったですねぇ」


“よかったですねぇ”

語尾が、自治会の女性と同じだった。

偶然か?

田舎の語尾なんて似る?

でも、似すぎている。


看護師は父の包帯を見て、さらっと言った。


「夜中にね、爪が剥がれちゃって」

「ご本人、何も覚えてないって」


爪。

僕は昨日“爪”を奉納した。

拾得礼:2。

あの袋の爪は――誰の爪だった?


父の指先の赤い滲みが、答えみたいに見えた。


看護師が僕の胸元を見る。

拾得者証。

そのカードを見た瞬間、彼女の目がほんの少しだけ“揃う”。


「……あら」

「今日も、拾い物ですか?」


言い方が、軽すぎる。

拾い物が日常に組み込まれている言い方。


僕はとっさに首を振った。

見せない。

見せたら説明。

説明したら成立。

成立したら深い。


でも看護師は、もう知っているみたいに言った。


「落ちてましたよね」

「津田さんのところに」


僕の背中に冷たい汗が出た。

見られている。

拾う前から、見られている。


看護師は、ベッド脇のゴミ箱の縁をトントン叩いた。

そこに、白い小さな紙片が挟まっていた。

いつの間に?


紙片には一行。


「見せてください」


……増えた。

命令が増えた。


父が、ぼそっと言った。

さっきまで焦点の合わない目のまま。


「見せるな」

「見せたら、お前が落とす側になる」


落とす側。

佐伯さんが言っていた匂い。

父の口から出るのが、いちばん怖い。


看護師は笑っている。

笑顔のまま、声を少しだけ落とす。


「津田さん」

「この病棟、物がよく落ちるんです」

「でもね、拾った人が――」

「ちゃんと、説明してくれるから」


説明。

また説明。

声に出して、成立させる儀式。


僕のスマホが震えた。

短い通知。容赦のない文。


> 見せないでください(推奨)

しかし、見せてください(要請)

07:33 説明してください

場所:面談室2




面談室2。

精神科のあの部屋。

町の部屋。


僕は写真が入った財布を握りしめた。

見せないでください。

でも、見せてください。

矛盾で、足が前に出るように作ってある。


父が最後に、はっきり僕を見た。

焦点が合った。

そして、まるで昔の父みたいに、静かに言った。


「……拾うな」

「拾ったら、俺が戻れなくなる」


戻れなくなる。

父が父に戻れない。

僕が僕に戻れない。

家族が家族に戻れない。


看護師が、にこりと笑った。


「行きましょう」

「説明の時間です」


(第8話・終わり)

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