第4話:家族には説明が必要です(4/30)



エレベーターは静かに上がった。

静かすぎて、耳の奥で自分の心拍だけが響く。

病院の機械は、いつも丁寧だ。丁寧すぎて、人間の事情を削る。


3階。

扉が開くと、空気が違った。

救急の階の慌ただしさじゃない。

廊下の幅が少し狭く、掲示物が多い。

“落ち着いてください”というポスターが、やたら目につく。


精神科外来。

案内板にそう書いてある。


僕は胸元の名札を見た。

津田 恒一。

僕の名前。僕の顔。

なのに病棟が違う。役割が違う。

でも、違うのは名札じゃなくて、僕のほうかもしれない。

そう思い始めた時点で、もう危ない。


廊下を歩くと、足音が吸われる。

壁が柔らかいわけじゃないのに、音が出ない。

音が出ないと、誰も止めてくれない。


「面談室2」はすぐ見つかった。

ドアの横に小さなプレート。

磨かれている。ここだけ新品みたいに綺麗だ。


ノックしようとした瞬間、内側から声。


「どうぞ」


僕は、息を止めた。

止めると言うな。

でも止まった。


ドアを開けると、白い部屋だった。

机と椅子が三つ。

真正面の椅子に、スーツ姿の男が座っていた。医師ではない。

もう一つの椅子には、年配の女性。

背筋が妙に真っ直ぐで、手が膝の上で組まれている。


そして、壁際に立つ看護師。

さっき僕を呼び止めた看護師だ。

彼女は、僕を見て微笑んだ。


「お待ちしていました」


――誰が?


スーツの男が、手元の書類を見たまま言った。


「津田さん。ご足労ありがとうございます」

「本日は、ご家族への説明を行います」

「……お父様の件です」


父。

胸の奥が冷える。

父の病室は別の階だ。

説明があるなら、普通は病棟の面談室だ。

精神科の面談室2でやる説明なんて、聞いたことがない。


年配の女性が僕を見て、小さく頭を下げた。


「すみませんねぇ」

「急で」

「でも町の手順でして」


町の手順。


その一言で、僕はこの部屋が“病院の部屋”じゃないのだと理解した。

病院の皮を被った、町の部屋だ。


スーツの男が続ける。


「お父様は現在、“同意”の状態にあります」

「ですので、家族への説明は必要です」

「津田さんが――説明してください」


僕が?

いや、説明するのは医療者だろ。


僕が声を出そうとした瞬間、喉が詰まった。

言葉が出ない。

さっきまで普通に声が出ていたのに。

まるで名札が“役割”を固定したみたいに。


看護師が、優しい声で言った。


「大丈夫です」

「名札に書いてありますから」

「……読めばいいんです」


彼女は僕の胸元の名札を指さした。

透明ケースの中に、いつの間にか紙が一枚増えている。

さっきまで入っていなかった紙。


紙には、太い文字で書いてあった。


「説明文」


その下に、箇条書きの文章。


父は「拾得」により保護対象となった


家族は協力する義務がある


返却手続きは神社で行う


返却が完了するまで、外部への相談は禁止


役目を終えたら、お礼を受け取る



……父が拾得?

父が落とし物みたいに扱われている。


年配の女性が、にこりと笑った。


「読んでください」

「津田さんが拾ったんでしょう」

「拾った方が、説明する」


拾った方が説明する。

拾った方が返す。

拾った方が――責任を持つ。


僕は紙を見つめた。

文字が、目に刺さる。

そして最悪の一行を見つけてしまった。


返却手続きは、家族の“同意”が必要



同意。

また同意。

この町は、同意の形を変えるだけで、ずっと同じことをやっている。


スーツの男が淡々と言った。


「津田さん」

「読んでください」

「声に出して」

「声に出すことで、手続きが成立します」


声に出す。

成立。

儀式だ。

声は、鍵だ。


僕は喉に力を入れた。

掠れた声が出た。


「……父は……拾得により……」


その瞬間、看護師が小さく頷いた。

空気が“進む”。

手順が動く。


僕は読み上げるしかなかった。

一行ずつ。

他人事みたいな文章を、父のこととして。


「……家族は協力する義務がある……」

「……外部への相談は禁止……」

「……お礼を受け取る……」


読み終えた瞬間、スーツの男が書類を閉じた。


「説明、完了」

「では次に、同意をお願いします」


年配の女性が、テーブルの上に小さな袋を置いた。

薄い布袋。

昨日、神社の列で主婦が入れていたのと同じ種類だ。


袋の口が、勝手に開いた。

中から出てきたのは――指輪だった。


古い金の指輪。

内側に刻印。


「TSUDA」


僕の苗字。


僕の指輪じゃない。

僕は結婚していない。

そもそも、こんな指輪を買った記憶がない。


年配の女性が言った。


「落ちてました」

「病院のロビーで」

「拾ってほしいって、書いてあった」


彼女は布袋をひっくり返した。

底に、紙切れが一枚貼り付いている。


拾ってください


またそれだ。


スーツの男が言う。


「この指輪は“結び”です」

「家族を結びます」

「結んだら、返却が進みます」

「進めないと、町が困ります」


町が困る。

その言葉が、ここでは最終兵器だ。

“町”を盾にされると、個人は逃げられない。


看護師が、僕に近づいてきて、低い声で囁いた。


「同意しないと」

「お父さん、戻れません」

「……戻るっていうのは」

「元の“場所”に」


元の場所。

父の病室?

それとも、父が父だった場所?


僕は指輪を見た。

指輪は、ただの金属なのに重い。

重さが、役目そのものだ。


「同意」のための画面が、いつの間にか机の上のタブレットに出ていた。

“許可する”のボタン。

一つだけ。


同意する


拒否はない。


スーツの男が、微笑みもしない顔で言った。


「津田さん」

「同意してください」

「それで、返却手続きが始まります」


返却手続き。

父を返す?

落とし物みたいに?


喉が詰まった。

でも、もう止まれない。

止まれないのが手順の強さだ。


僕が指を伸ばした、その瞬間。


面談室のドアが開いた。


入ってきたのは――父の担当医だった。

本物の白衣。

本物の困った顔。


「すみません、ここ……」

と言いかけて、担当医は固まった。

部屋の空気を吸っただけで、顔色が変わる。

この部屋が“おかしい”と分かった顔だ。


担当医は僕を見て、言った。


「津田さん……?」

「あなた、ここで何を……」


その言葉を、看護師が遮った。

笑顔のまま。


「先生」

「外部はお引き取りください」

「町が困ります」


担当医は一歩下がった。

引きつった顔で、僕に視線を投げる。


「……津田さん」

「それ、病院の手続きじゃありません」

「お願いです、やめて――」


“お願いです”。

昨日の自治会の女性と同じ言葉。

でも担当医のお願いは、命令じゃない。

弱いお願いだ。

弱いお願いは、この町では負ける。


スーツの男が、淡々と告げた。


「外部干渉を検知しました」

「安定化します」


そして、担当医のポケットの中でスマホが鳴った。

通知音。

担当医は画面を見る。

見るだけで顔が白くなる。


「……なに……これ……」


画面に出ている文字が、僕にも見えた。


> 拾ってください

落とし物:白衣

拾得者:担当医

役目:協力




担当医が、落とし物にされた。

外部として入ってきた人間が、ここで“町”に組み込まれる。


看護師が、優しく言った。


「ね?」

「拾っちゃったんです」

「先生も、もう同じです」


担当医は震えながら、後ずさった。

でも背中は壁に当たる。

逃げ道がない。


僕の指先が、タブレットのボタンの上で止まった。

止まったと言うな。

でも止まった。


同意すれば、父が“返却手続き”に乗る。

同意しなければ、外部(担当医)が飲まれていく。

どちらも地獄。

選択じゃない。

配分だ。


スーツの男が静かに言った。


「さあ」

「同意してください」

「拾った方が、進める」


その瞬間、僕のスマホが震えた。

短い通知。

昨日の番号。


> 同意すると、お礼が増えます。

拒否すると、拾得物が増えます。




増える。

増えるだけ。

どっちでも増える。


僕は、ゆっくり押した。


同意する。


ピッ。


タブレットが白く光り、表示が変わる。


返却手続き:開始

次:回覧板を回してください

期限:明日 08:00

落とし物:あなたの名前


……回覧板。

自治会。

神社。

病院。

全部が一本の糸で繋がった。


僕の胸元の名札が、じわりと熱を持った気がした。

熱いのに、寒い。


担当医が、小さく呟いた。


「……なんだよ、これ……」


看護師が、微笑んだまま答えた。


「町の手順です」

「安心してください」

「拾ってください」


(第4話・終わり)

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