雪の匂い

@Caffeine0607

雪の匂い

僕の仕事は、人を殺すことだ。

毎日毎日、同じように、作業として人を殺している。

2058年、数年でこの国の累計自殺者数が人口の5%を超えた。

それにより翌年、政府は自殺対策として安楽死制度を導入した。

そして急速にその制度は僕達の暮らしに馴染んでいった。

制度としてのそれを、僕はよく知らない。

けれど、消えたい人が好きに消えることができるというのはいいことだと思った。

だから、死にたい人を殺す仕事をすることにした。

僕は今日も、人を殺す。


「よろしくお願いします〜」

彼女は笑顔でそんなことを言いながらやってきた。

雪のような人だと思った。

優しい笑顔と明るい声色、でも触れるとすぐに消えてしまいそうな。

この場所に笑顔でやってくる人は少ない。いや、初めてだ。

大抵の人の顔は、泣き腫らしているか、絶望に歪んでいるか、何も感じられない真顔かのどれかだ。

彼女が何故そんな顔をしているのかが、少し気になった。

「…あの?」

そう声を掛けられて、考えを止め、書類を引っ張り出して説明を始める。

「こちらの薬を飲んで頂ければ数分で意識を失います。

飲んで仕舞えば二度と意識が戻ることはありませんので、飲むときには声を掛けてください。」

彼女は楽しそうに説明を聞いている。

説明のたびにころころと表情を変え、反応し、楽しそうな笑顔を見せる。

「薬を飲んで十数分で死に至ります。苦しみはありませんのでご安心ください。」

十分ほどの説明を終えて、待機室へと彼女を引き連れて歩く。

その間も、彼女は楽しそうに施設内をきょろきょろと見渡していた。


「…あの、あなたは、なんで死のうと?」


ずっと堪えていた問いが口を突いて飛び出した。

彼女はその問いにも笑顔で答えた。でも、その目に一瞬だけ暗い色が混じるのが見えた気がした。


「私は人じゃないんだそうですよ?

何も出来ない、何もやらない、何をやらせてもだめ。そんな馬鹿は人間じゃない。だから死んで来い!って怒られちゃって。

でも死ぬくらいなら私にもできるんじゃないかなーって。」


明るい声色と笑顔でそう語る彼女は、随分と嬉しそうに見えた。

彼女はこれからの未来を嬉しそうに語っているはずで、自分はそれを叶えてあげられる側であるはずなのに、僕の心には何か重いものが溜まっていくのを感じた。

それ以降、彼女との会話は無かった。けれど、待機室の机に薬を置くだけの作業が、何故か少しだけ憂鬱だった。


少ししてから休憩室の電話が鳴った。

「168番、お前の担当だろ。」

そう言われて待機室へと向かう。

少し早足になっているのが自分でも分かった。

168の札が掛かった待機室の扉を開く。

死の直前だと言うのに、彼女は変わらずの笑顔で僕を出迎えた。

「あ、担当さん!これ飲むだけでいいんですか?」

「はい。そこのウォーターサーバーの水で飲んでもらえれば。」

はーい、と軽い返事をして彼女は死の準備を始めた。

ウォーターサーバーへと歩き、僕の前を通り過ぎる彼女からふわりと甘い匂いが流れた。

僕の仕事は、彼女の死を眺めるだけ。

これまで何度も繰り返してきた仕事で、新人とはいえ、人の死の瞬間はもう見慣れているとそう思っていたはずなのに何故か身体が少し震えていた。

水を飲もうとしていた彼女がふと手を止めて、こちらを振り向いた。

「あ、そうだ担当さん。ありがとうございました。」

座っていたソファの背を掴んで、ぺこりと頭を下げる。

「…あ、いえ。こちらこそ、ご利用ありがとうございます。」

マニュアル通りの返答しか出来ない自分に理由も分からないまま少し腹が立つ。

そんな返答にも彼女はにこにこと満足そうな笑みを浮かべたまま、ごくりと薬を流し込んだ。

これで、彼女の人生は残り数分だ。

それなのに、何も変わらない様子で彼女は口を開いた。

「担当さん?雪って、好きですか?」

「雪、ですか?はい、僕は好きですね。」

「そうですか。ふふ、ありがとうございます。」

そう言って彼女は満足気に笑った。

それ以降は、ソファに座り込んで動かない。

後ろから見ているだけの僕にはただ黙って死を待つだけの彼女の表情は読み取れない。

けれど、これまでの笑顔は消えてしまっているような気がした。

「…あーあ。やっぱり、死にたくは、ないなぁ…」

最期に、彼女はそう呟いて待機室のソファに倒れ込んだ。

死にたくはない。

彼女のその言葉が、何故か忘れられなかった。



夜の焼却場は、雪の匂いがした。

実際に雪が降っているわけじゃない。

人間が焼けると、ああいう乾いた白い匂いになるのだと、僕はここで働き始めてから知った。

炉の前に立つと、人は軽くなる。

物理的な重量の話じゃない。名前とか、肩書きとか、そういうものが全部剥がれ落ちる。

番号で呼ばれるようになる。

「人」として扱われなくなる。


「次、168番か?これで最後だろ?入れるぞ。」

先輩が台車を押してくる。

白い布に包まれた死体。性別も年齢も、もう見分けがつかない。

書類だけが、その人が誰だったかを示す。そこで初めて僕は先程看取った彼女のことを知った。

旭 雪奈。

二十三歳。無職。

同意書にサインしたのは、母親。

雪が好きか聞いてきたのは、名前に入っていたからだろうか。

炉の扉が開く。

燃え盛る炎が見えた。

赤い。

地獄というのは、案外こういう色かもしれないと思った。

台車を押し込む瞬間、白布の端がめくれた。

覗いた指先は、妙に綺麗だった。爪も綺麗に整えられている。生きる気力のあった手だ。

——あーあ。死にたくは、ないなぁ…

ふと、彼女の最期の言葉が耳に蘇る。

空耳だ。

死体は喋らない。

扉を閉める。

鉄の扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。


休憩室に戻り、煙草に火を付ける。

誰も見ていないのに、テレビがつきっぱなしだ。アナウンサーがニュースを読み上げていく。

どこかの国で紛争が激化したらしい。爆撃跡、瓦礫、泣き叫ぶ子供。

そんな言葉だけが耳に強く残る。

音声は小さくしてあるのに、耳に刺さるようにうるさい。

先輩が言う。

「慣れるよ。」

何にですか、と聞き返そうとして、代わりに白い煙を吐き出した。

全部に、だろう。


死体にも。罵声にも。

悲鳴にも。泣き声にも。

彼女のような、笑顔で死へと歩き出してしまう人間にも。


気付いたら口が勝手に動いていた。


「人間に誰かを殺す権利なんてない。

人間にそこまでの力はない。

だからいっそ、全てを捨てて本能に従うべきだったんだ。

完全な化け物であるべきだったんだ。

そうだったら、人間はここまで醜く歪んでなんていないはずなのに。

なんで僕達は人を殺さなきゃいけない?

なんで死にたくないと願う人の命を終わらせなきゃいけない?

…こんなのは、地獄だ。」


一息に言い終えて、大きく息を吐いた。

先輩はコーヒーを飲みながら、僕を見た。

「…疲れたか?」

「…さぁ、そうかもしれません。」

自分でもわからない。

脳内に転がっていた想いだったか。

どこかで拾った言葉だったか。

それとも、彼女のせいで生まれたものなのかもしれない。

テレビの中で、瓦礫の下から人が引きずり出されている。

生きているのか、死んでいるのか、判別もつかない。

「でもな」

先輩が口を開く。

「ここに来る人間は大抵泣く。」

僕は黙る。

「化け物なら、泣かない。」

単純な言葉だ。

反論にもなっていない。

簡単に言い返せるはずなのに、何も言えなかった。


その夜、最後の安楽死者は独居老人だった。

引き取り手なし。

番号だけが書かれた札。

炉に入れる前、規則通り一礼する。

誰も見ていないのに。

薬を飲んで死んだ彼の目には涙の後があった。

彼は、人間だったということだろう。

それを見て、ふと想像する。

この人にも、若い頃があったのだろうか。

誰かを好きになったことがあったのだろうか。

炉に入れる直前、彼の口が少し開いているのに気づいた。

何か言いかけてやめたような形だった。

僕は小さく呟いた。

「…あなたは、どうして死んだのですか。」

返事はない。

当たり前だ。

扉を閉める。

赤い色がまた、灯る。

それでも僕は、番号ではなく

心の中で勝手に名前をつけてしまう。

それが無意味だと知っていても。

地獄の中で、せめてもの悪あがきみたいに。


次の日の朝、焼却灰を収めるときに真っ白な骨が混ざっているのを見つけた。

雪のように白い、指の骨だ。

彼女のものだとなぜか思った。

僕はそれを拾って、丁寧にポケットに仕舞った。

彼女は、泣かなかった。

だから僕も、泣かない。

その朝は、雪の匂いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪の匂い @Caffeine0607

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ