第11話ㅤ触る側

簡易ライトの影が、床に細く伸びていた。


夜九時を過ぎた共有スペースは、照明を半分だけ落としている。


ガラス窓には街の灯りが重なり、室内の光と外の光が、境目を持たずに混ざっていた。


昼の打鍵音も、会議室の出入りもない。


残っているのは、サーバーの低い唸りと、この場所に慣れた人間だけだった。


相沢の個人チャンネルで、短い検証配信をすることになっていた。


正式な公開ではない。


時間を区切り、あとから単体で切り出さない前提の、反応を見るためだけの配信だった。


凪が配信画面を確認し、開始ボタンの前で指を止める。


「今日は検証回な」


「その言い方やめろ」


相沢は椅子に座り、マウスを動かした。


画面に立ち上がるのは、β版の『音のない街』。


交差点。


信号。


遠景のビル。


歩く人影。


まだ音は入っていない。


凪がモニターを覗き込む。


「コメントで来てたぞ。音が入ったら別物になるって」


「別物だろ」


「悪い意味で?」


「知らん」


相沢は肩をすくめる。


気負いはない。


ただ、今の自分たちで触っているだけだった。


その横に、椅子がひとつ増えている。


林悠真。


ノートPCを膝に乗せ、配信画面と別のウィンドウを並べて見ている。


誰も紹介しない。


誰も追い出さない。


もう、そこにいることが自然だった。


凪が気づく。


「何してんの」


林は画面から目を離さない。


「視聴ログを取っています」


「勝手に?」


「勝手にです」


少し置いて、続ける。


「ただ、隠しません」


凪が笑う。


「こわ」


林の声は低い。


強くはない。


だが、引かない。


「再生位置、離脱点、巻き戻し箇所も見ます」


相沢が横目で見る。


「研究か?」


林は首を振る。


「まだ違います」


少し考えてから言う。


「放置すると研究になります」


凪がカメラ越しに相沢を見る。


「もう研究だろ」


「名称は後で決めましょう」


林はいつもの調子で返した。


配信が始まる。


相沢はマイクを使わない。


椅子に座ったまま、交差点の映像へ声を置く。


低く。


揺れず。


押しつけない。


凪は横で、必要なところだけギターを重ねる。


信号が変わるタイミング。


短いフレーズ。


人影が止まる場所で、薄い和音。


コメント欄は速く流れない。


だが、止まらない。


林の指だけが、一定の速度でキーを打っていた。


配信が終わる。


ライトの熱がまだ残っている。


凪はケーブルを巻き、相沢は椅子にもたれたまま天井を見ていた。


林がPCをこちらへ回す。


青い線のグラフが、緩やかに上下している。


「歌が入ったタイミングで、離脱率が下がっています」


相沢が身を起こす。


「へえ」


「ただ、単体切り出しの場合は、最後まで聴かれていません」


凪が腕を組む。


「やっぱゲーム内か」


林は少しだけ考える。


「置き方次第です」


画面を指差す。


交差点。


信号待ち。


歩く人影。


「プレイヤーが移動を止めた時だけ鳴らす」


「止まったやつだけ?」


「三秒以上入力がない場合です」


相沢の目が細くなる。


「焦ってる人は通過します」


林は続ける。


「考えている人だけ残ります」


凪が吹き出す。


「性格悪いな」


林は苦笑する。


「選別ではありません」


少しだけ置く。


「選択です」


相沢がグラフを見る。


「アトリ的には?」


林は姿勢を正した。


「滞在時間は伸びます。再訪率も上がる可能性があります」


「市場か?」


「体験の密度です」


言葉を探すように続ける。


「密度が上がると、記憶に残ります。記憶に残ると、評価が変わります」


ドアが開く。


高澤だった。


ジャケットを腕にかけたまま、そのまま入ってくる。


室内を一度見て、林の画面へ視線を落とした。


「会社に残るか」


林は画面を見たまま答えた。


「初動は伸びません」


それから続ける。


「でも、半年後に効きます」


高澤は近くの椅子を引く。


「長期か」


「はい。短期指標では弱いです」


凪が相沢を見る。


「どうする」


相沢はモニターへ向き直る。


信号が青に変わる。


風が標識を揺らす。


昔の自分が作った無音の街。


今の自分たちが置いた音。


しばらく見てから言う。


「置く」


声は低い。


迷いはなかった。


林がゆっくり頷く。


「では、仕様に落とします」


凪が笑う。


「もうプロジェクトじゃん」


林はPCを閉じながら答える。


「名前があるなら、始まっています」


相沢が言う。


「触る側」


林の口元が、わずかに緩む。


「悪くないです」


相沢は画面を見たまま続ける。


「触る人の設計、って意味で」


高澤が立ち上がる。


「研究扱いで通す。正式化は半年後に判断」


「了解です」


林は頷く。


「ログは継続します」


ライトが落ちる。


共有スペースの半分が暗くなる。


凪が小さく言う。


「なんであの人、普通の顔して混ざってんの」


相沢は肩をすくめる。


「置き場所を見る人だから」


林は最後にPCをシャットダウンした。


ファンの音が静かに止まる。


名前はまだ、仮のままだった。


けれど、研究だけは始まっていた。


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