第8話ㅤ朝の水平線
目が覚めても、海はまだ鳴っていた。
夜より明るく、けれどまだ冷たい色の波。
相沢は布団の中で、しばらく天井を見ていた。
隣に体温がある。
高澤は眠っている。
呼吸は深く、一定だった。
相沢はそっと起き上がる。
窓を少し開けると、潮の匂いが入ってきた。
低い波の音。
途切れず続く、一定のリズム。
それに合わせるみたいに、喉が震えた。
最初は声にならない。
ただの息だった。
それから、低い音がゆっくり出る。
歌というほどの形はない。
旋律も曖昧だった。
でも、揺れない。
昨日まで胸の奥にあったざわつきが、波の高さまで下りている。
相沢は目を閉じる。
言葉はない。
意味もない。
ただ、息を乗せる。
海は何も評価しない。
上手いも下手もない。
それが、楽だった。
背後で布団がわずかに動く。
「……何してる」
寝起きの声だった。
相沢は振り返らない。
「確認」
「何を」
「俺、まだ歌える」
高澤は黙った。
相沢の声は強くない。
でも、濁っていない。
昨日の夜から続いている場所に、立っている声だった。
相沢は一節だけ、はっきりした音程で伸ばす。
波と同じ高さで、同じ長さだけ伸びていく。
高澤が起き上がる。
何も言わず、その声を聞いている。
歌が止まる。
沈黙。
波だけが続く。
相沢が小さく笑う。
「壊れてねえな」
高澤は迷わず答える。
「壊してない」
相沢は窓の外を見る。
水平線が、うっすら光り始めていた。
「守らなくていい世界なら、俺、もっと行けるかも」
宣言ではない。
確認だった。
高澤は短く言う。
「行け」
命令でも、励ましでもない。
ただの許可。
相沢は頷く。
もう一度、息を吸う。
今度は、少しだけ高い音。
朝は、ゆっくり上がってくる。
統合も、市場も、遠くの榊も、それぞれ動いている。
でも、焦らない。
歌が、先に立った。
海は変わらず低く続く。
相沢は、もう一度だけ息を整えた。
朝の水平線へ、声が静かに伸びていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。