第5話 宮廷の矜持と、紙袋の中の黄金(ななチキ)
深夜三時十五分。 店内の空気は、それまでの「おでん」の温かな湯気から一変し、刺すような緊張感に包まれていた。 レジの横、ホットスナックの保温ケースを背にした私と、カウンター越しに立つ宮廷料理人ド・マルク。
彼は、懐から取り出した純銀の皿を、恭しくカウンターへ置いた。 「……見よ。これが、真なる美食だ」
皿の上に鎮座していたのは、宝石のように艶やかな赤褐色をした肉の一片。 『幻鳥(ゲンチョウ)のレバー・トリュフソース添え』。 異世界の高山地帯にのみ生息する伝説の鳥の肝を、魔力で熟成させた極上の逸品だ。その芳醇な香りは、瞬く間に店内の「コンビニ臭」を塗り替え、聖騎士たちの鼻腔を暴力的に支配した。
「……っ!? なんだ、この気高い香りは。嗅いでいるだけで魔力が活性化していく……」 アルトリウスが震える声で漏らす。 ピピもまた、その威圧感に気圧され「……店主、これヤバいピピ。オーラが黄金色を通り越して、紫に光ってるピピ……」と、頭のベルを弱々しく震わせていた。
ド・マルクは勝ち誇ったように、細い指先で皿を指し示した。 「この一切れで、金貨三枚。貴殿の売っている『茶色の袋に入った何か』とは、積み上げてきた歴史も、注いだ魔力も違うのだ。店主……これで終わりだ。私の勝ちを認め、その妙な調理器具(レンジ)を叩き割って消えるがいい」
私は、その皿をじっと見つめた。 確かに、素晴らしい。料理としての完成度は完璧だろう。だが、私はあえて、失笑を漏らした。
「……何がおかしい」 「ド・マルクさん。あなたの料理は確かにすごい。でも、一つだけ決定的な『欠点』がある」 「欠点だと……!? 私のソースに不備があるとでも言うのか!」 「いえ。……これ、**『食べるのが面倒くさい』**んですよ」
「……何?」 ド・マルクが呆気に取られた顔をする。
「ここはコンビニです。わざわざ背筋を伸ばして、ナイフとフォークを使い、皿の上の芸術を鑑賞する場所じゃない。……深夜にふらっと入ってきて、無性に脂が欲しくて、欲望のままにガッつきたい。そういう客の胃袋を救うのが、僕の仕事なんです」
私はおもむろに、背後のケースにトングを伸ばした。 黄金色のライトに照らされ、揚げたての香ばしい匂いを放つ、コンビニ飯の王道。
『ななチキ(骨なし)』。(※注:あるいはファミチキ、Lチキ)
「……店主。その、茶色い衣を纏っただけの肉の塊が、私の幻鳥に勝てると?」 「勝負じゃありませんよ。……ただの『夜食』です」
私はそれを皿には載せなかった。 オレンジと白の縞模様が入った、あの独特の紙袋――真ん中に点線が入った、あの袋に放り込む。
「ド・マルクさん。これを。……袋の真ん中の点線を、指でピリッと破ってから食べてください。手が汚れるのも、音を立てるのも、ここではマナー違反じゃありません」
ド・マルクは屈辱に震えながらも、私の視線に押され、その紙袋を受け取った。 彼は、おそるおそる、指先で点線を裂いた。
ピリ、ピリピリッ……。
静寂に包まれた店内に、小気味よい紙の裂ける音が響く。 その瞬間、封じ込められていた十一種類のスパイスの香りが、蒸気と共に爆発した。
「……なっ!? 香りが、押し寄せてくる……っ! 野性的で、ジャンクで、なのに抗い難い……!?」
ド・マルクは無意識のうちに、その黄金色の衣に歯を立てた。
ザクッ……!!
再び、音が響いた。 それは、どんな一流のオーケストラよりも美しく、食欲という名の本能を叩き起こす、乾燥した衣の破裂音。
「――――――――ッ!!!」
次の瞬間、ド・マルクの手が止まった。 彼の唇の端から、透明な、そして熱狂的なまでに熱い**『黄金の肉汁』**が、一滴、零れ落ちたのだ。
「熱い……! だが、なんだこの、溢れ出す旨味の奔流は! 噛むほどに肉が弾け、スパイスの刺激が脳天を突き抜ける……! 私のレバーにはなかった、この『暴力的なまでの満足感』は……! 一体何なんだ……っ!」
彼は、もう止まらなかった。 白い手袋に脂が染みるのも、指先が熱を帯びるのも構わず、紙袋にかじりついた。 ザクッ、ザクッ、という咀嚼音が店内に響き渡る。
「……あぁ。私は、何を忘れていたのだ。……宮廷の皿の上にあるのは、料理ではなく『虚栄』だったのかもしれない。……剥き出しの肉を、剥き出しのまま、熱いうちに喰らう。このシンプルな快楽こそが、生命の、食の本質ではないか……っ!」
最後の一口を飲み込んだド・マルクは、空になった紙袋を握りしめ、呆然と立ち尽くしていた。 彼の前にある銀の皿のレバーは、皮肉にも冷め始め、その高貴な香りはコンビニの空気の中で、ななチキのジャンクな余韻に完敗していた。
「……私の、完敗だ。店主」
彼は静かに、しかし晴れやかな声で告げた。 「……貴様の言う通りだ。ここでは、私の料理は『重すぎる』。……この、二百円にも満たぬ紙袋の魔法。……弟子たちにも、見せてやりたいものだな」
ド・マルクは深く一礼し、自慢の一皿を自ら片付けた。 「店主。……これを、一〇〇個包んでくれ。城で夜通し研究に励む者たちに、私が持ち帰る。……あいつら、きっと泣いて喜ぶだろう」
「一〇〇個!? ピピ、フライヤーの準備だ! 忙しくなるぞ!」 「了解ピピ! 油の温度、最高潮だピピ!」
夜明けが近い。 一〇〇個のななチキを抱えた宮廷料理人と、満足げに腹をさする聖騎士たちが、自動ドアの向こうへと消えていった。
「……ふぅ。やれやれ、異世界の宮廷料理人ってのは、注文が極端なんだから」
私は、空になったケースを見つめながら、自分用に一個だけ残しておいたななチキを、紙袋のまま口に運んだ。 ザクッ、という音と共に、熱い脂が口いっぱいに広がる。
「……うん。やっぱり、これが一番だ」
午前三時五十分。 この店『コンビニ・ヘヴン』は、今日も誰かのプライドを肉汁で溶かし、静かな眠りへと送り出す。
第五話・完
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