第6話 迷子の幼女と、魔法の厚焼きホットケーキ

深夜三時十五分。 ド・マルクが去り、熱狂的なチキンの香りがまだ微かに漂う店内に、再び自動ドアが震えた。


「ピンポーン! ……あ、あれ? 警告、弱めピピ。でも、とってもいい匂いがするお客様ピピ!」


ピピが不思議そうにドアを見つめる。 現れたのは、巨大な剣を背負った戦士でも、豪華な服を着た魔導師でもなかった。


煤汚れだらけのドレスを引きずり、涙で目を真っ赤に腫らした、小さな人間の女の子だった。五歳か六歳。その手には、ボロボロになった魔法の杖が握られている。


「……あ、あの……ここ、おかしの国……?」


震える声でそう呟いた少女は、店内に並ぶカラフルなパッケージの棚を見て、夢でも見ているかのように目を丸くした。


「いらっしゃい。お菓子の国じゃないけど、お菓子ならたくさんあるよ。どうしたんだい、そんな格好で」


私がカウンター越しに声をかけると、少女は「うわぁぁん!」と声を上げて泣き出してしまった。 「……おうちに、帰りたくないのぉ……! お父様もお母様も、苦いお薬ばっかり飲ませるんだもん……! もう、甘いものしか食べたくないのぉ……っ!」


どうやら、お城かどこかのお姫様が、あまりの薬の苦さに耐えかねて、転移魔法を暴走させて逃げ出してきたらしい。


「よしよし、災難だったな。ピピ、そこのティッシュを持ってきてやれ」 「了解ピピ! 泣き顔にティッシュは必需品ピピ!」


私は、泣きじゃくる彼女の前に、ある「黄色い箱」を置いた。 冷凍コーナーから取り出した、**『ふっくら厚焼きホットケーキ』**だ。


「お嬢ちゃん、これを食べてごらん。苦い薬の味なんて、全部消えてなくなる魔法の食べ物だ」


私はホットケーキをレンジに入れ、「500W・1分20秒」の魔法をかける。 静かな店内に、バターと小麦粉が混ざり合う、幸せを絵に描いたような甘い香りが立ち込めていく。


「……いい匂い。これ、お花のお菓子……?」 「もっといいもんだよ。メープルシロップという名の、黄金の蜜をかけるんだ」


チン、という軽快な音。 私は、二段重ねになった分厚いホットケーキを皿に出し、その上にバターの塊を乗せ、小瓶に入ったシロップをこれでもかと回しがけた。


「さあ、召し上がれ」


少女はおそるおそる、プラスチックのフォークをホットケーキに突き立てた。 ふかふか、とフォークが沈み込む感覚。彼女は大きく一口、それを口に運んだ。


「――っ!?」


少女の動きが止まった。 瞳に溜まっていた涙が、一瞬で蒸発するように乾いていく。


「……ふかふか。……あまーいっ! なにこれ、お口の中に温かい雲が入ってきたみたい……! バターがじゅわってして……シロップが、とろとろで……しあわせぇ……っ!」


彼女は夢中でホットケーキを頬張った。 宮廷の最高級パティシエが作る繊細なケーキとは違う。 「レンジでチンするだけ」という極限のシンプルさが生み出す、圧倒的な「温かさと甘さ」。それは、薬で荒れた彼女の喉と心を、優しく愛撫するように溶かしていった。


「あはは! 店主、見てピピ! お嬢ちゃんのほっぺが落ちそうだピピ!」 「ああ、甘いものは、どんな治癒魔法よりも効くからな」


少女が最後の一口を飲み込み、皿に残ったシロップまでフォークで掬おうとしている時、自動ドアが勢いよく開いた。


「姫様! どこにおいでですか、姫様ぁぁ!」


現れたのは、顔面蒼白で武装した、お城の侍女長と騎士たちだった。彼らは店内の光景を見て、石のように固まった。 ボロボロの格好で、見たこともない「黄金の円盤(ホットケーキ)」を食べて、満面の笑みを浮かべているお姫様。


「……マリア様、その、お口についている黄色いものは一体……」 「じじょー! これ、すっごく美味しいの! これがあったら、苦いお薬もがんばれる!」


侍女長は信じられないものを見る目で私を見た。 「店主殿……この子に、どんな禁呪をかけたのですか……?」


「禁呪じゃありませんよ。ただのホットケーキです。……お土産に、メープルシロップの予備を付けておきましょう。薬のあとにこれを一口舐めさせれば、次からは逃げ出さなくなりますよ」


私はレジ袋にシロップと、予備のホットケーキを詰め込み、騎士たちに手渡した。 代金として差し出されたのは、彼女が持っていた小さな『魔力の琥珀』。


「またおいで、お嬢ちゃん。次は苺が乗ったやつを用意しておくよ」 「うん! またね、おじちゃん! ピピちゃんもバイバイ!」


朝の光が薄っすらと差し込み始める頃。 幸せな甘い香りに包まれた一行は、光のゲートをくぐって帰っていった。


「……ピピ、俺たちも甘いもん食って、店閉めるか」 「賛成ピピ! ピピはメープルシロップ多めでお願いするピピ!」


午前四時。 異世界コンビニは、朝日と共に「普通のコンビニ」へと戻っていく。 カウンターに残されたのは、ほんの少しのシロップの跡と、誰かを幸せにした温かな記憶だけだった。


第六話・完

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深夜3時の異世界コンビニ 〜絶望の聖騎士にオムライスを出したら、世界を救う伝説の回復術師と間違われました〜 たこ焼きさん @takosu0329

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