第3話 エルフの王女と、背徳の極厚ニンニク豚醤油(税込680円)
深夜三時。 この店『コンビニ・ヘヴン』の自動ドアは、もはや「異界への門」としてその役割を完全に定着させていた。昨夜の氷の魔女が残していった万年氷を保冷庫にしまい終えたその時、入店チャイムがどこか神聖な調べを伴って店内に響き渡る。
ピンポーン――。
自動ドアの向こうから現れたのは、淡い若葉色のドレスに身を包んだ、この世のものとは思えぬほど美しい女性だった。 流れるようなプラチナブロンドの長髪、透き通るような緑の瞳。そして、人間よりもわずかに長く、尖った耳。 彼女は森の王国を統べる王女、ルナリエル。千年の時を生き、清らかな露と果実しか口にしないとされる、高潔なエルフの象徴である。
「……なんと不浄な気配。空気が不自然に歪み、見たこともない色の光が天井を埋め尽くしている。ここが、あの魔女が語っていた『禁断の糧』を授ける聖域というのか」
彼女は絹のハンカチで鼻を覆い、店内の「人工的な匂い」に眉をひそめた。店内の蛍光灯や、整然と並ぶカラフルなパッケージは、彼女の目には異界の魔道具か、あるいは邪悪な結界のように映っているらしい。
「いらっしゃいませ。森の王女様が、うちのような店に何の御用で?」 「店主とやら……私は、枯れゆく世界樹を救うための『聖なる活力』を求めて参った。我が国の森は今、未曾有の魔力不足に陥っている。清らかな露ではもはや足りぬ。魂の底から生命力を叩き起こす、濃密な魔力を……っ!」
彼女の瞳には、悲壮な決意が宿っていた。国家の存亡を背負って、彼女は禁忌とされる「異界の門」を叩いたのだ。 だが、その細い体はあまりにも栄養不足に見えた。エルフ特有の偏食……。彼女に必要なのは、清らかな魔力などではない。もっとこう、生物としての本能を殴りつけるような「脂」と「炭水化物」だ。
「……なるほど。それなら、世界樹もびっくりするような『生命の爆弾』がありますよ」
私はチルドコーナーへ向かい、そこにある「最も重い」容器を手に取った。 『特盛・ニンニク豚醤油うどん』。 極太の麺の上に、分厚いチャーシューが三枚、そして山盛りの野菜と、およそエルフの辞書には存在しないであろう「大量の刻みニンニク」がトッピングされた一品だ。
「店主……その、茶色い塊は何だ? それに、この鼻を突く野性的な匂いは……」 「今からこれを、魔法の箱(電子レンジ)で『再構成』します。少々お待ちを」
私は業務用レンジにうどんを放り込み、一五〇〇ワットのボタンを押した。 数分後。レンジの加熱が終わる頃には、店内の空気は完全に「二郎系」の香りに支配されていた。醤油の焦げた香ばしさ、脂の甘い香り、そして何より、暴力的なまでのニンニクの波動。
「……くっ!? な、なんだこの匂いは……! 身体が、本能が警鐘を鳴らしている! 汚れだ、これは魂を汚す邪悪な匂いだ……! なのに、どうして……唾液が止まらぬのだ……っ!」
ルナリエルの顔が、屈辱と期待で赤く染まる。私は仕上げに、さらに「追いマヨネーズ」と「ニンニクチップ」をこれでもかと盛り付けた。
「さあ、王女様。これこそが、命の源。……『マシマシ』の儀式です。どうぞ、冷めないうちに」
私は割り箸を差し出した。彼女はおそるおそる、しかし抗えぬ力に引き寄せられるようにカウンターへ座った。 彼女が箸を使い、極太の麺を持ち上げる。脂で輝く麺に、たっぷりのニンニクが絡みついている。
「森の神よ……私をお許しください……っ」
彼女は意を決して、その一口を口に運んだ。
「――――――――ッ!!!」
ルナリエルの緑色の瞳が、カッと見開かれた。 次の瞬間、彼女の背筋がピンと伸び、手に持っていた杖が床に転がり落ちた。
「な、ななな……何なのだ、これは!? 口の中が、味の暴力に蹂躙されている……! 暴力的なまでの塩気、喉を焼くようなニンニクの刺激、そして……この『脂』という名の悦楽……っ!」
ズズッ、ズズズーッ!! 気品など、もはやどこにもなかった。千年生きた王女は、髪を振り乱し、ドレスを汚すことも厭わず、どんぶりに顔を埋めて麺を啜り始めた。
「清らかな露……? 果実……? 笑わせるな! 私は、私は今まで、何を食べていたのだ! この一本の麺に込められたカロリーという名の魔力……これこそが、世界樹に必要な力だ……っ!」
彼女は分厚いチャーシューを豪快に頬張り、脂の甘みに身悶えた。 「あぁ……っ、脳が、脳が溶ける! この白い粘体(マヨネーズ)が、醤油の塩味をまろやかに包み込み……私を、私は今、堕落の深淵に堕ちている……っ! だが、止まらぬ! 止まらぬぞぉ!!」
彼女が麺を一本啜るたびに、衰弱していた彼女の魔力が、目に見えるほどの黄金色のオーラとなって溢れ出していく。栄養。それは魔法使いにとっても、最も原始的で最強の燃料なのだ。
数分後。 そこには、空になったどんぶりを前に、放心状態で「ぷはぁ……」と溜息をつく、一人の女の姿があった。その唇は脂でテカテカと輝き、辺りには強烈なニンニクの臭いが漂っている。
「……店主。……貴殿を、暗殺罪で捕らえねばならんな」 「えっ、どうしてですか?」 「これほどの味を知ってしまえば、もう私は森の食事には戻れぬ……。責任を取れ。明日も、明後日も、私はこの『マシマシ』を摂取せねば、おそらく死ぬだろう……」
彼女は満足感と絶望が混ざったような、えも言われぬ表情で立ち上がった。 枯れかけていた彼女の生命力は、いまや全盛期を上回るほどに漲っている。
「礼を言う、店主。……これは、対価だ。世界樹の枝から採れた『至高の琥珀』を受け取るがいい。これでこの、ニンニクという名の魔草を、次の来店の時までに山ほど用意しておけ」
彼女は黄金に輝く宝石をカウンターに置くと、どこか足取りも軽く、千鳥足で自動ドアの向こうへと消えていった。
午前三時三十三分。 私は彼女が残していった琥珀をレジに入れ、強烈なニンニクの残香を消すために消臭スプレーを撒いた。
「……エルフも、やっぱり脂には勝てないんだな」
私は独り言をこぼしながら、廃棄処分のチェックを始めた。 次の客は誰だろうか。できれば次は、もう少し匂いの残らないものを注文してくれると助かるのだが……。
第三話・完
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