第2話 氷の魔女と、灼熱の獄炎拉麺 (税込み210円)であったまる
深夜三時。 街の灯りが眠りにつき、静寂が支配する時刻。だが、この街の片隅にあるコンビニ、『コンビニ・ヘヴン』と呼ばれているその店だけは、不自然なほどの白光を放っていた。
私はカウンターの奥で、検品の合間に冷めた缶コーヒーを啜っていた。 この店は、深夜三時から三時三十三分までの間だけ、自動ドアの先が「どこか」へと繋がってしまう。昨夜は瀕死の聖騎士がやってきて、オムライスを食べて感動して帰っていった。 「今日は、誰も来ないといいんだがな……」 そんな私の願いは、無機質な入店チャイムによってあっけなく打ち砕かれた。
ピンポーン――。
自動ドアが開くと同時に、店内に暴力的なまでの「冷気」が流れ込んだ。 夏場の冷房なんてレベルではない。足元の床が瞬時に白く凍りつき、陳列棚のペットボトルがパキパキと音を立てて収縮する。
「……ここが、あの聖騎士が語っていた『救済の地』か」
霧の中から現れたのは、夜の闇をそのまま織り上げたような黒いドレスの女性だった。 透き通るような銀髪は、店内の蛍光灯の下で真珠のような光沢を放ち、鋭利な氷柱を思わせる青い瞳は、見る者を射抜くような冷徹さを宿している。背中には、巨大な魔力結晶を冠した氷の杖を背負っていた。
彼女こそ、周辺諸国から『絶対零度の災厄』と恐れられる氷の最高位魔女、エルザ・フォン・グラシエ。 だが、今の彼女にその威厳はない。肩を激しく上下させ、陶器のような白い肌は、まるで火照った少女のように赤らんでいる。さらに彼女の首筋から指先にかけて、禍々しい紫色の紋様――「猛火の毒」が、血管のように脈打っていた。
「いらっしゃいませ。……お客様、だいぶお熱いようですが、大丈夫ですか?」 「……おためごかしは不要だ、店主。私は、我が宿敵……『紅蓮の魔王』が放った呪いに侵されている。内側から内臓を焼かれ、もはや我が最高位の氷魔法をもってしても抑えきれん……」
彼女は震える手で、カウンターに青く光る『万年氷の金貨』を叩きつけた。
「店主……貴殿が真に『伝説の聖者』であるなら、私に『至高の極寒』を授けよ。さもなくば、私はここで燃え尽き、その瞬間に暴走する氷の魔力で、この店ごと半径三マイルを凍土に変えることになるぞ……っ!」
彼女の吐息は、もはや熱風だった。店内の温度が急激に上がり、アイスケースの霜が溶け始めている。 私はその切実な脅しを、レジ袋を広げるような気軽さで受け流した。
「なるほど、それは困りましたね。でもお客様。熱を冷ますのに冷たいものを入れるのは、実は逆効果な場合が多いんですよ。一時的に冷えても、内側の火種は消えませんから」 「……何だと? 貴様、この私に魔導の理を説くつもりか」 「いいえ、ただの店員の直感です。毒には毒を。火には、さらに強い火を。……こちらを試してみてください」
私が棚から取り出したのは、パッケージ全体が阿修羅のような炎のデザインで覆われた、不吉なほど真っ赤なカップ麺だった。商品名は『灼熱の獄炎拉麺・極痛(ごくつう)』。 メーカーの開発担当者が「悪ふざけで作った」と噂される、食べ物というよりは兵器に近い代物だ。
「ふん……この程度の紙の箱に、私の火を消す力があるというのか。笑わせるな」 「まあ、食べてみてください。三分で奇跡が起きますから」
私は手際よくカップの蓋を半分まで剥がし、中の粉末スープを投入した。 その瞬間、鼻を突くような唐辛子の刺激臭がカウンター越しに広がった。
「くっ!? ……店主、目が痛いのだが。これは暗殺用の毒ガスか?」 「いいえ、異世界のスパイスです。お湯、入れますね」
シュンシュンと音を立てる給湯器から、熱湯が注がれる。 乾いた麺が水分を含み、異世界の食材ではあり得ない「化学反応的な旨味の香り」を放ち始めた。
「三分間、じっと待つのがここの流儀です。この小さな砂時計が落ちるまで」 「……待てというのか。この、内側から焼かれるような苦しみの中で……」
エルザは苦悶に表情を歪めながらも、店内の不思議な明るさと、並べられた色とりどりの菓子や飲料の棚を、見たこともない珍獣を見るような目で見渡していた。 「……不思議な場所だ。魔力の一切を感じないのに、太陽よりも明るい光が天井に張り付いている。それに、この整然とした並び……ここは神域なのか?」 「ただの二十四時間営業の店ですよ。あ、三分経ちましたね」
私は仕上げの『地獄の激辛オイル』を回し入れた。真っ白だったスープが、一瞬にしてどす黒い深紅へと染まっていく。 私は彼女に割り箸を差し出した。
「さあ、冷めないうちに。麺を勢いよく啜るのが、この料理を正しく楽しむコツです」
エルザはプライドを保つようにフンと鼻を鳴らし、杖をカウンターに立てかけて、おそるおそる箸を握った。 「……よかろう。異界の料理人よ、その挑戦受けて立つ。我が氷壁を突破できる熱量か、試してくれ――」
彼女は、意を決して真っ赤な麺を数本、口へと運んだ。
「…………ッ!!???」
一瞬、彼女の時が止まった。 次の瞬間、青い瞳が限界まで見開かれ、身体がビクンと大きく跳ねた。
「ふぐぅっ!? ……な、なんだこれは……ッ! 喉が、喉が爆発したぞ! 口の中に爆裂魔法を直接叩き込まれたような……っ、あつい、熱い、痛い……っ!!」
「そのまま、スープも一口どうぞ。旨味が詰まってますから」
「殺す気か! ……いや、待て。これは……なんだ? 痛みの奥から、今まで感じたことのない『旨味』という魔力が押し寄せてくる……っ。細胞が、震えている……!」
彼女は涙目で、しかし箸を止めることができなくなった。 ズズズッ! ズズーッ!! 絶対零度の魔女が、あられもない姿でカップ麺を啜り、額から大粒の汗を流す。 本来、氷の魔女である彼女が汗をかくことなどあり得ない。だが、このカップ麺の暴力的な辛さは、彼女の魔力的防御を軽々と貫通し、眠っていた生命力を強制的に叩き起こしていた。
「あぁ……っ、熱い! 身体が燃えるようだ! だが、心地よい……! 私の中の氷の魔力が、この熱に反応して、これまでにない密度で再構築されていくのがわかる……っ!」
彼女を苦しめていた紫色の呪いの紋様が、毛穴から噴き出す汗とともに、蒸気となって体外へ排出されていく。 エルザはもはや、自分が魔女であることも、ここが異世界であることも忘れたかのように、一心不乱に麺を啜り、赤いスープを飲み干した。
「ぷはぁっ!!」
最後の一滴まで飲み干すと、彼女は見たこともないようなスッキリとした表情で、カウンターに突っ伏した。 呪いは完全に消え去り、その肌は以前よりも白く、真珠のように澄み渡っている。
「……勝った。私は、火の呪いに勝ったぞ……。だが、口の中が……まだ、地獄の火炎に焼かれているようだ……。水、水を……」
「お疲れ様です。仕上げにこれをどうぞ。地獄の後の天国です」
私が差し出したのは、**『練乳たっぷりイチゴかき氷』**だ。 コンビニの冷凍庫から出したばかりの、カチカチに凍った氷に、甘い練乳がたっぷりとかかった逸品。
エルザは震える手でスプーンを取り、氷を口に含んだ。
「……っ……。……あ、あぁ……っ」
彼女はあまりの温度差と、暴力的なまでの甘さに、トロンとした表情でとろけてしまった。 「……つめたい。そして、甘い。……これが、救済。これが、ヘヴン(天国)か……」
先ほどまでの冷徹な魔女の面影は、どこにもない。そこには、ただ美味しいものに感動し、頬を緩ませる一人の女性の姿があった。 激辛の熱気が、かき氷の冷たさで中和され、彼女の脳内に多幸感が広がっていく。
「店主……貴殿は恐ろしいな。これほどの試練(激辛)と、これほどの慈悲(かき氷)を、わずか数分の間に使い分けるとは。我が魔導の道も、まだまだ先は長いようだ。……いや、そもそも魔導とは何だったのか、分からなくなってきたぞ」
彼女はそう言うと、満足げに立ち上がった。 呪いは消え、魔力は以前の数倍にまで膨れ上がっている。
「礼を言う、店主。……また来る。次は、あの棚の奥にある『マヨネーズ』とかいう、見るからに邪悪な、しかし抗いがたい魅力を放つ白い供物を所望したい」
午前三時三十三分。 彼女もまた、満足げな背中を見せて、霧が晴れ始めた自動ドアの向こうへと消えていった。
カウンターに残されたのは、空になったカップ麺の容器と、彼女が置いていった「決して溶けない万年氷」の結晶。 私はそれをレジ横の保冷庫に入れながら、独り言をこぼした。
「……マヨネーズか。次は『照り焼きチキンピザ』でも焼いてみるかな。あ、それとも『マヨたまパン』もいいな」
深夜の静寂に戻った店内で、私は冷めたコーヒーを捨て、新しい豆でコーヒーマシンを動かした。 次の客が誰であれ、この店はいつも通り、温め(レンジ)の準備を整えて待つだけだ。
第二話・完
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