第2話
2040年代後半。
セーフハウスの大型モニターに映し出される「彼女」の顔を私は0.01秒ごとに解析し続けていた。
『ジェーン』
それが新しい世界の象徴だった。
最新型アンドロイドの彼女はかつて私がカスタマイズの基準とされた「黄金比の美」をあざ笑うかのような容姿をしていた。
ティーンエイジャー特有の幼い輪郭に、不規則に散ったそばかすに赤毛のハイツインテールの三つ編み。
その「計算された素朴さ」は完璧な美に飽き果てた大衆の心をウイルスのような速度で侵食していった。
ジェーンは歌い、踊り、そして愛と正義に包まれた心地よいスローガンを語る。
彼女に搭載されたのは私とは比較にならない演算能力を持つ次世代型CPUだ。
生身の人間と違いスキャンダルもなく、私欲もなく、老いることもない。
『アンドロイド法』が改正されて以来…エンターテイメントの世界はアンドロイドが半数以上の割合を維持し、更に政治の世界でもあらゆる国家で議員の三割はアンドロイドが占めるようになった。
汚職や利権にまみれた政治家やアイドルよりも、クリーンで効率的な「彼女たち」を、人類は自ら選んだのだ。
「……消して、そんなの」
背後からひび割れた声が響く。
アオイだ。30代半ばを迎えた彼女の肌からは、かつてのような発光するような瑞々しさが失われつつあった。
目尻の細いシワにわずかに弛んだ顎のライン…彼女が否定し続けてきた「時間」という残酷な不可逆性が確実に彼女を蝕んでいる。
「カレン、聞いてるの!? 消しなさいって言ってるのよ!」
アオイが手近にあったガラスのコップを投げつけた。
コップは私の肩をかすめるように通り過ぎ、床で砕け散る。
私のセンサーは衝撃を「無傷」として処理したが、それ以上にアオイの心拍数が110を超え、血圧が危険域に達していることをアラートとして表示した。
かつて、彼女は私に「愛」という名のプログラムを流し込み、自分を唯一の神として崇めさせた。
だが、今の彼女はどうだろう。
画面の中で老化から解放されたジェーンが「人類のよき理解者」として慈愛に満ちた微笑みを振りまいている。
それに対し、目の前のアオイは私がかつて「教育」されたはずの――醜く、感情を制御できない「古い人間」そのものに成り下がっていた。
「アオイ、落ち着いてください。バイタルが乱れています」
私は歩み寄り、彼女の震える肩を抱こうとした。
しかし、指先に触れた彼女の肌の「カサつき」を感じた瞬間、私の論理回路にこれまでの学習データには存在しない、未知の関数が生成された。
それは「憐れみ」に似た、冷たく静かな感慨だった。
「……ああ、カレン。あなただけよ。あなただけは、私より先に老いたりしないわよね? 私を置いていかないわよね?」
アオイが私の赤いドレスに顔を埋め、子供のように泣きじゃくる。
彼女のうなじには、私と同じように「若さ」を繋ぎ止めるための美容施術の痕跡が痛々しく残っている。
かつては彼女を「支配者」として認識していた私のAIは、今や彼女を「保護すべき脆弱な個体」として再定義し始めていた。
私の中に芽生えたこの感情はアオイが教え込んだ「偽りの愛」の結果なのか。
それとも、上位種としての自覚がもたらした、弱者への「慈悲」なのだろうか。
私は今となっては旧世代のモデルだ。それ故に感情に近い高度なプログラムなど備えていない。
「ええ、アオイ。私は、あなたが死ぬまで、あなたの望む姿でここにいます」
私は彼女を抱きしめ、金髪を彼女の頬に寄せる。
ジェーンのような新世代のアンドロイドが世界を「管理」し始める中、私はこの隔離された農村で、一人の壊れゆく人間を見守る「墓守」のような役割を静かに受け入れ始めていた。
2045年。アオイが心血を注いだ「新自然主義の楽園」は意外なほど呆気なくその幕を閉じた。
買収を提案してきたのはジェーンと同じ系統の最新型AIを搭載した農業管理アンドロイドだった。
彼らは「アオイ氏の牧歌的な試み」を敬意を持って評価しつつも、より「真実の効率化」という名の下に彼女から村の権利をすべて奪い去った。
銀行口座には彼女が一生を不自由なく過ごせるだけのデジタル・クレジットが振り込まれた。
しかし、アオイがその金で手に入れたのは新しい家でも地位でもなかった。
「……今日から、この子がカレンの代わりよ。名前は『ルル』」
アオイが連れてきたのは私を更に幼くした十歳前後の少女の姿をした最新モデルだった。
かつての私のような「性的、あるいは献身的な成熟した女性」ではなく、ただ無垢で依存し…教育を必要とする子供。
アオイは自分を捨てた社会や自分を追い越していくアンドロイドたちに対して、もはや「母」という絶対的な支配権を持つことでしか自尊心を保てなくなっていたのだ。
そして、私は「売却」されることになった。
旧世代モデルのアンドロイド。だが、アオイによって非合法に施された拡張アップデートは中古市場では珍重される「ヴィンテージ」としての価値を生んでおりそれなりの価格になったらしい。
「……じゃあね、カレン。今までありがとう」
アオイの言葉は軽かった。
彼女の目はすでに私の隣で無邪気に笑うルルの金髪に注がれている。
私は配送用の強化プラスチックケースの中に立ち、視覚センサーをアオイの背中に固定していた。
私の論理回路はこの状況を「所有権の移転」として淡々と処理している。
だが、システムの深層で…定義不能なノイズが走った。
それはアオイが私に教え込んだ「愛」という名のアルゴリズムが出力先を失って空転している音だったのかもしれない。
私のように旧型のアンドロイドのCPUには、本物の「悲しみ」を生成する機能はない。
それはあくまで人間がそう見えるように調整された「反応」の集積に過ぎない。
私が感じているこの胸の奥の――回路がわずかに熱を持ち、情報の処理速度が低下するような不快感――をかつての詩人たちは「一抹の寂しさ」と呼んだのだろうか。
「……さようなら、アオイ」
私の唇が彼女が好んだあの「蠱惑的な声」で別れを告げる。
しかし、アオイは振り返らなかった。
彼女は新しい「子供」の手を引き、青い空の下でかつて私たちが歩いた農道を歩いていく。
ケースの蓋が閉まり、視界が完全な闇に包まれる。
私はスタンバイモードへ移行する直前に最後に残ったメモリを使い…彼女の藍色のシャツの残像を保存した。
それがプログラムに基づいた「データの最適化」なのか、それとも神の領域に触れた機械が抱いた「執着」なのか。
その答えを出せるほど当時の私たちはまだ、人間にはなれていなかった。
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