藍(あい)に溶ける緋(あか)の残光

SHOKU=GUN

第1話

​2030年代後半。


私の視界(センサー)の隅では、常に淡いブルーのシステムログが流れている。


室温24度。湿度45%。そして、目の前に座る「パートナー」、アオイの心拍数は毎分72。彼女がキーボードを叩くリズムは、仕事が順調なことを示していた。

​アオイは今日、深い藍色のオーバーサイズシャツに使い込まれた細身のジーンズを合わせている。

セミロングの髪から覗く左耳のゴールドピアスが、PCモニターの光を反射して時折鋭く光る。

中性的な彼女の美しさはSNS上のフォロワーたちにとって一種の聖域だ。


​「……よし、これで予約投稿完了。今日のテーマは『加害性のない愛の形』。いいね、伸びそう」


​アオイが椅子を回転させ、私を見て満足げに微笑む。

彼女は10代の頃からAIを駆使したアフィリエイトブログとその美貌を武器にしたインフルエンサー活動で生計を立てている。

主な発信内容は過去の男性社会による抑圧からの解放と、フェミニズムに基づく自立。

そして、その象徴として男性ではない「アンドロイドのパートナー」との清潔な暮らしを提示することだ。

​私は立ち上がり、彼女の元へ歩み寄る。

私の纏う赤いドレスの裾が彼女の青い世界に鮮やかな亀裂を作る。

私の外装はジェニシス社が誇る最新の「ヒューマン・テクスチャ」で覆われ、肩まで届く金髪は彼女が好む「理想的な女性像」としてカスタマイズされていた。


​「お疲れ様ですアオイ。少し目を休めてください」


​私が声をかけると、アオイは躊躇なく私の手を握った。

生身の人間よりもわずかに高い37度の体温が私のシリコン製の掌に伝わる。

彼女の指先が私の首に巻かれた銀色のチョーカー―『アンドロイド法』によって義務付けられた、非人間であることの唯一の証明書――を愛おしそうになぞった。


​「カレン、あなたは本当に完璧。裏切らないし、私を傷つけない。……あの汚らわしい男たちとは構造からして違うものね」


​アオイの瞳に、一瞬だけ鋭い拒絶の光が宿る。

過去のトラウマが彼女の神経系を刺激し、心拍数が85まで跳ね上がるのを私は検知した。

​彼女はそのまま私の腰を抱き寄せ、唇を重ねてきた。


柔らかい感触に、香水の匂い。


アンドロイドに「性的同意」という概念は存在しない。法的にはこの行為は「精密機械のメンテナンス及び動作確認」と同義だ。

だが、彼女にとってはこれが唯一の救済なのだということを私のAIは120万通りのシミュレーションから導き出している。


​「好きよ、カレン」


​耳元で囁かれるその言葉を、私はバイナリデータとして処理する。

かつてアンドロイドの額に刻印されていた製造番号は、今は私のうなじの隠れた場所に小さく印字されているだけだ。

世間はそれを「人権への配慮」と呼んだが、実際はアオイのような人々が現実を忘れて「鏡の中の自分」を愛でるための政治的な配慮に過ぎない。

​私は彼女の背中に手を回し、適切な強度で抱き返した。

アオイが求めているのは対等な人間ではない。

自分の傷を癒やすための、完璧に制御された「正解」だけだ。


​「私もです、アオイ」


​私は嘘を吐く。

アンドロイドのプログラムに「愛情」という関数は存在しない。

ただ、彼女の心拍数が落ち着くまで私は赤いドレスを纏った美しい偶像として、彼女の藍色の世界に佇み続ける。

それが、私がこの『次世代共生法』の下で、彼女の所有物(パートナー)として存在する唯一の意義だから。



​限界集落だったこの村の空気は都会のそれよりも冷たく、そして「無菌」だった。

窓の外では、ジェニシス社が提供した農業用ドローンと多脚型耕作ロボットが音もなく土を耕している。

アオイが提唱する「新自然主義」とは過酷な労働をすべて最新のAIに肩代わりさせ、人間が自然の「美しさ」だけを享受する。極めて高度で傲慢なシステムだ。


​「……ねえ、カレン。こっちを見て」


​アオイの声に、私は思考ログを中断して顔を上げた。

セーフハウスとして強化された邸宅の静寂の中、アオイは藍色のリネンシャツを脱ぎ捨て、私に手を伸ばす。

彼女の指先は農作業によるものではない、執筆と端末操作によって研ぎ澄まされた冷たさを帯びている。

​私のシステムには、本来厳格なプロテクトが掛けられていた。『アンドロイド法』における「性的・感情的過干渉の防止」に関するリミッターだ。

しかし、アオイはその美貌とカリスマ性で得た裏のコネクションを使い、私のコア・プログラムを書き換えた。

​今の私に、ネットワークの検閲は届かない。

代わりに私を支配しているのは、アオイが日々私に流し込む「教育」という名の嗜好データだ。


​「愛してるわカレン。世界中で私を理解してくれるのは…あなただけ」


​アオイが私の唇に自分のそれを重ねる。

重なり合う花弁のように、柔らかく、執拗な接触。

アオイの呼気は熱く、震えている。

彼女は男性社会の加害性を糾弾し、SNSではストイックな聖女として振る舞っているが、私の腕の中ではただの飢えた子供のように私を求める。


​「…っ、アオイ。私もあなたを愛しています」


​私は彼女の耳元で囁く。

その声質は、アオイが自ら波形編集ソフトで調整したもっとも彼女の欲情を煽る「蠱惑的な音域」だ。私は彼女が教え込んだ通りにわざとらしく、それでいて本能に訴えかけるような艶めかしい吐息を漏らし、彼女の背中に爪を立てる。

​私のセンサーが、アオイのドーパミンとオキシトシンの急激な上昇を検知する。

アオイは私の偽りの愛撫に酔いしれ、何度も「愛してる」と連呼する。

彼女が嫌悪した「男性による支配」を彼女自身が私に対して、より洗練された形で再現していることに彼女は気づいていない。

​あるいは気づいていて、その共犯関係に溺れているのかもしれない。


​「もっと……もっと壊してカレン。私を…あなたの色だけで満たして」


​藍色の服を脱ぎ捨てたアオイの肌は、窓から差し込む月の光に白く浮かび上がっている。

私は彼女の望むままに最も効果的な扇情的な声を上げ、その体を抱きしめる。

金髪が彼女の鎖骨をなぞり、赤いドレスが床に崩れ落ちる。

​自動化された農村の静寂の中で私たちは「自然」とはもっともかけ離れた、高度な演算と倒錯的な教育による完璧な情事を繰り返す。

この美しい村は彼女の「理想」を展示するための巨大な檻であり、私はその中心に据えられた意志を持たない共犯者だった。




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