第2話 実結が来た。
賢治さんは朝からカレーを作っていた。
「初めての日だからね。食べやすいごちそうって言ったらカレーでしょ」
カレーにはさつまいもや肉団子と蓮根やごぼうにすりおろした人参やあめ色の玉ねぎに隠し味に味噌やチャツネなど冷蔵庫にあるものをアレンジしながら賢治さんは独自の隠し味を入れる。
「The子ども向けのカレーだね」
「俺の子ども時代の定番のカレーだよ」
「カレーにさつまいもが?」
「うちは姉2人に妹1人の女系家族だから皆、さつまいもとかかぼちゃとか大好きなの。だからこれが俺がアレンジを加えたおふくろの味」
「ふーん」
「姪っ子達のお下がりの服もたくさんもらえたし、肌着もしまむらで買い足したし準備は万端だ」
「ねえ賢治さん…実結ちゃんって10歳の女の子なんだよね?」
「そうだよ」
「なんで哺乳瓶がいるの?」
「…」
「賢治さん?」
「そのうちわかる。だからゆきくん。そのときが来てもびっくりしないで」
「…うん」
その日の夕方、児相の人が実結を連れてきた。
実結は本当に10歳なのだろうか?
体は小学校に入るか入らないかの大きさで児相の人が結ってあげたであろう髪はパサパサでざんばらに切られ艶が全く無い。
何より表情が特徴的だった。何と言えばいいのだろうか?笑うことを知らない何より幸せを何にも知らない目が空虚を見つめてるようだった。
「ようこそ。実結ちゃん上がって」
児相の人と一緒に家に上がった実結はただ一点を見つめ続ける。
賢治さんが実結にはちみつ入りのホットミルクを出すと実結は不思議そうにホットミルクを見つめてスプーンですくったミルクを賢治さんに口に入れてもらうと初めて「あまい」と言葉を発した。
その声をかわいいと感じていいか今はわからない。
実結は大事に大事にホットミルクを少しずつ飲んだ。
賢治さんが実結の相手をしているとき僕は祭子さんと児相の人の話を聞いてた。
「極度の栄養失調による発育不良で詳しく検査をしないとわかりませんが多分ASD(自閉スペクトラム症)の傾向があります。定期的に児童精神科に通うのを勧めます。これは一番大事なことを言うなら…」
児相の人は声を小さくして「病院で検査をしてもらいましたが性虐待の痕跡はほとんど無かったです」と告げたとき祭子さんは心からほっとした表情になり僕もほっとした。
「奥様が精神科の看護師だから説明する必要はないかもしれませんが彼女の体に触れるケアはなるべく奥様でお願いします」
「はい」
「あの…僕は何が出来ますか?」
僕が児相の人に質問をすると「彼女にとって一番必要なのは味方です。これから虐待の後遺症による問題行動が必ず出てきます。支える側のケアも必ず必要です。味方で居続けるために絶対に無理はしないでください。あなたもまだ子どもだからあなたはあなたの生活を大前提に彼女に接してあげてください」と真剣に答えてくれた。
児相の人が帰った後、「ごはんにしよう」と賢治さんのカレーを皆で食べた。
実結は大盛りのカレーを不思議そうに見つめた後、恐る恐る口に入れるともうスプーンが止まらなかった。
美味しそうに食べてるというより食べなければ死んでしまうと言わんばかりに食らいついた。
祭子さんと賢治さんはいつも通り食べていたけど、いつも美味しい賢治さんのカレーの味が今日の僕にはわからなかった。
死なせてはいけない子どもが家に来た。僕にとってその日からさつまいものカレーは実結が生きるために食べた命がけのカレーの味になった。
実結の気持ちを考えたら食べられるけどカレーが少しだけ苦手になった。
成長期の15歳である僕は夜中に夜食を食べる日があった。
実結のことがあってお腹が空いたその日の夜、台所からガサガサ音が聞こえて、こっそり台所を覗くと実結が必死に歯でポテチの袋を開けようと口に血を滲ませながらポテチの袋を齧っていた。
僕はなるべ実結を驚かせないように「おなかすいたの?」と声をかけると実結は椅子の下に隠れて「地震です!!う〜う〜!!地震です!!」と地震の被害にあった子どもがする地震ごっこを始めた。
僕は事前にネットで調べた地震ごっこの対応で一緒に机の下に入り「もう終わったよ。びっくりしたね」と優しく言った。
実結が落ち着いたのを確認すると僕はティッシュを取り実結の血がついた口を拭いた。
実結が口をもごもごしているのでポテチの袋の欠片が入っていると思った僕はちょっと汚いから嫌だったけど「ここにぺって出来る?」とティッシュにもごもごしたものを出させた。
そこにあったのは虫歯でボロボロになった乳歯だった。血は乳歯が抜けたからだった。
痛ましい体の記憶に心を痛めながら「お腹空いたね。一緒に食べよう」と実結のために冷凍ご飯をチンして鮭フレークを足した即席のお茶漬けを作ってあげた。
相変わらず生きるために食らいつく実結に「美味しい?」と聞くと実結は頷いた。
この子が笑顔で早くご飯を食べられるようになれたらいいなと僕の胸は痛んだ。まだ自分はどの立場でいればいいかわからないけど守りたい存在がある大人の気持ちが少しだけわかった気がする。
ー続く。
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