ハッコウクジラの渡る夜

森陰五十鈴

あまりに白くて眩しくて

「ねえねえ、今晩、ハッコウクジラが来るんだって!」


 顔を輝かせたユミが、私の机に手をついてぴょんぴょん跳ねる。藍色のセーラー服の裾が翻る。


「ハッコウクジラ? 抹香鯨マッコウクジラじゃなくて?」

「発光鯨。光る鯨。それが今晩この街の上を通り抜けていくんだって!」

「ええ? 噓でしょ」

「ほんと。お父さんが言ってたから間違いない」


 ユミのお父さんは海洋生物学者なので、そういう予測が出ているのは本当なのだろう。

 ところで、この街の上を通り抜けていく、とな。


「……大変じゃん」

「絶対眩しいよねー。だから、サングラスがるんだけど、ある?」

「……なんで?」

「今晩、一緒に観に行くから!」

「その話、今はじめて聞いた」


 とはいえ、見られるのなら見たい。ユミのお父さんもいるらしいから、うちの両親も許してくれるだろう。

 学校が終わってすぐに家に帰って。両親は案の定許してくれて。晩ご飯を食べて、ユミの家に向かう。もちろんサングラスは持ってきた。


「日付が変わる前には帰れると思うから」


 ユミのお父さんはそう言って、私たちを街の南の丘まで連れていく。

 まだ夜更けは先。高い場所から見下ろした街の夜景は、見慣れていても息を吞むほど綺麗。見蕩れていると、突然その西の端が白く潰れた。


「来たよ」


 慌ててサングラスを掛けて、西の空を見つめる。

 ……いた。確かに〝発光〟鯨だ。

 お月様も負けるほどの強い光を、巨躯中からだじゅうから放つ一頭の鯨。あまりに白くて眩しくて、本当の色が分からない。

 街のあかりを塗り潰しながら、西から東へと空を渡っていく。

 なんか夢みたいな光景だった。私たちは横から眺めたけれど、あの下にいた人たちはどんな気分だっただろう。昼が来たと思っただろうか。それとも、月が落ちてきたとでも思っただろうか。

 ともあれ、この夜の出来事は、私の人生に焼き付いた。


「いいなぁ。あんな風に自由に海を泳げたならなぁ」


 発光鯨が居なくなった空を見上げて、ユミは溢す。


「そうだね。このシェルター狭いもんね」


 海の中にある私たちの街。水中で呼吸できない人間わたしたちを守るシェルターに覆われた世界は、とてつもなく狭い。だから、発光鯨だろうと、抹香鯨だろうと、海中を自由に泳げる生き物が羨ましい。


「いつか私もあのそらの向こうに行くんだ」


 そして発光鯨のような凄い生き物を見つけるのだ、とユミは言う。ユミがお父さんに憧れているのは、昔から。でも、今回のことがあって、私もちょっとあのそらの向こう側へと行きたくなってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハッコウクジラの渡る夜 森陰五十鈴 @morisuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画