形影相弔 下

「……標的である南方将軍が天界に着くと同時に、天道が攻撃をしかけてくるだろう。俺がここでお前らの座標を狂わせて攻撃を逸らせる。秒単位で攪乱する必要があるから、付いてはいけない」

「天道の歪みは、そのままか?」


 根本を絶たねば、天道は何度でも趙朱燿を狙うだろう。白慧心の問いに、王光明は知性の光る丸い目で答えた。


「気持ちはわかる。しかし、天道機構の修理は一筋縄ではいかない。あとひと月あれば、修理の算段がつく。こらえろ」


 天界へ。常世の春を思わせる、あの天界へ再び。趙朱燿を見つめると、見られていることに気づいたのか、視線が合った。二人で、小さく頷き合う。


 ふと疑問が脳裏をよぎり、白慧心は王光明に尋ねた。


「二百年前、お前は俺に遺言を渡した後、すぐに消えた。なぜ今になって協力してくれるんだ?」

「――白慧心、師匠のことが好きか?」


 質問を質問で返され、あっけに取られた。首をかしげつつ、白慧心は心のままに答えた。


「好きに決まっている。師匠は愛情深く、いい人だ」

「そうだろう。白婉は情が深く、いいやつだ。同じ時期に昇仙したというだけの俺に、『自信を持て』と隣で鼓舞してくれていた。そんなやつは二人と居ない。信じられるか? あいつの魂魄はこの世にない。輪廻転生もかなわず、二度と会えない」


 王光明はたまりかねたように俯いた。その顎に水滴が伝う。王光明も白婉の喪失に苦しんでいる。その悲しみに共鳴し、じわりと胸の奥が濡れる思いがした。


「白慧心。お前が白婉の遺言通り天道への恨みを忘れ、安寧に生きていくのならそれでいいとあの時は去った。しかし、次の標的は南方将軍だと? 天道はまた、あいつの弟子を奪おうとしている。許してたまるか」


 王光明は顔を上げた。丸い目には涙の膜が張っていたが、決意の光で満ちていた。


「天界へ行ってこい。それから天道を修理するぞ」



 どうやって天界に行くか、それが問題だった。

 

「通常は、崑崙山にある天界の門を潜るんだが……」


 白慧心は言い淀んだ。二百年前に天界から追放された者が、今更正規の手続きを踏めるとは思えなかった。


「私に策がある。結界の亀裂から、天界へ侵入する」

「亀裂があるのか?」


 聞いたことがなかった。趙朱燿は頷き、王光明に尋ねた。


「王光明、師兄の存在を阻害できるような術はないか?」

「……これを。認識阻害の呪符だ。ただし、誤魔化せるのは二刻が限界だ」


 白慧心は差し出された紙片を懐にしまい込んだ。心許ないが事足りそうだ。


「崑崙山に着いてから発動しろ。――で? お前ら、亀裂までどうやって行くんだ?」


 趙朱燿と白慧心は顔を見合わせた。



 ――都を出た白慧心は、不満を訴えていた。



「人間姿のお前に負ぶさる?! 何でだ?」


「私の本性は巨大すぎて目立つからだ」

「ううう……。この年になって、またお前におぶられるとは」

「安心しろ、年長者を労りながら運んでやる」

「誰がじじいだ! 生まれは二月しか変わらんだろうが!」


 白慧心は、愉快そうに笑った朱雀をにらみつけた。


「ほら、早く負ぶされ」

「……わかったよ。王光明、聞こえるか?」


 白慧心はしゃがんだ趙朱燿に乗りかかり、耳に嵌めた勾玉に呼びかけた。王光明が持たせてくれた連絡用の神器だ。


『お前ら、いちゃついてないで早く出発しろ』

「いちゃついてない!! まったく」


 渋々、南方将軍の背中に乗る。頬を赤毛が擽った。


「首に手を回せ。行くぞ」


 趙朱燿は駆けだした。疾風が顔に当たる。可視できない速度で風景が置き去りになる。白慧心は己が乗っている背中から、深紅の炎が踊り出るのを見た。


 浮遊した次の瞬間、白慧心の体は中天にあった。趙朱燿の背から朱雀の翼が出現し、力強く羽ばたいている。どうやら霊力で風を避けてくれているようだ。


 やがて、崑崙山が眼下に見えた。聳え立つ険しい山脈の頂上には雪が積もっていた。下を見たことを後悔した白慧心は、固く目を閉じた。高度を落とした趙朱燿は、山肌へ降り立ったようだった。体に着地の衝撃が伝わった。


――到着したと呼びかけられ、白慧心は目を開けた。


「え? 俺、生きてる?」

「……縁起でもないことを。ちゃんと生きている」


 降りろと言われ、慌てて身を離した。崑崙山の中腹のようだ。


 白慧心は高原の清々とした冷たい空気を吸い込んだ。乾燥した風が草の匂いを運び、眼下には雲海が渦巻く。崑崙山は巍然ぎぜんとして聳え、その頂きは雲で霞んでいた。抜けるような秋空には太陽が堂々と座していた。


「結界の亀裂は中腹にあるのか?」

「ああ、そうだ。ここらは磁場が狂っているせいで結界が薄い。千年前、そこを魔仙が突いて天界へ侵入した。侵入者は当時の天軍に制圧されたが、亀裂はそのままだ」


 結界は今もなお修復中で、元の姿を取り戻すのに相当な年数がかかるらしい。


「私は先代南方将軍――父上からこの話を聞いた。亀裂の存在は軍の上層しか知らない」


 草をかき分け南方将軍が先行する。しばらく進むと岩場が現れた。趙朱燿が立ち止まり、白慧心を後ろ手で制してくる。


「着いたぞ。亀裂は常時見張りが立っている。王光明の符を使え」

「ああ」


 趙朱燿の身体越しに見えたのは、二人の兵士だった。確かにこの辺りは霊脈が乱れているようだ。兵士の間の空間が歪み、虚空に光が渦巻いていた。


 白慧心が懐から符を取り出すと、見越したかのように耳の勾玉が話しかけてきた。


『白慧心、封を切れ。それで術が発動する』

「わかった。天界に行っても、阻害術の効果はあるのか?」

『無論だ。お前の姿は、石ころくらいにしか認識されなくなる』


 視線を感じて、白慧心は顔を上げた。趙朱燿が振り返り、こちらを見つめていた。不機嫌そうに耳に手を当てている。


「ど、どうした?」

「王光明。なぜお前は、師兄をいみなで呼ぶ? ずっと不快だった。やめろ」


 どうやら白慧心を本名で呼ぶ、王光明に怒っているらしい。


『そうは言っても……白慧心は諱しか持ってないだろうが。白婉の子は、俺の子も同然だ。自分の子なら諱で呼んでもいいだろ』

「……お前と師兄は他人だ! 他人を本名で呼ぶなと、親から教わらなかったのか?!」

「朱、朱燿……いいから。俺は気にしない」

「あんたが気にしなくても、私は気にする」


 白慧心は頭を抱えたくなった。趙朱燿は貴族の出身、しかも高貴な一族の出自だ。諱を呼ぶと失礼、という感覚は人一倍強い。


 白慧心が、諱しか持っていないのは、成人の折に白婉からあざな――成人以降の名を授かるのを拒否したからだった。孤児出身ゆえに貴族文化に馴染めなかったのだ。白婉は困ったように笑い、無理強いすることなく弟子の意思を尊重してくれたのだが……まさか、ここにきてこんな問題が起こるとは。


「よし、じゃあもう一度。さっき決めたことを復唱しろ」

『……お前の師兄の諱を、無暗矢鱈と呼びません。できる限り、名前呼びを避けます』


 白慧心が意識を飛ばしていた間に、とんでもないことになっていた。

 

「朱燿……ほんとにもう、いいから……」

「よくない」

「……じゃあ、お前も俺のことを、諱で呼んでいいから」

「…………」

「王光明が俺の諱を呼ぶことを、許してやれ。な?」


 改めて考えるとおかしな構図だ。本人はいいと言っているのに、なぜ白慧心は弟弟子を説得しているのだろう。兄弟子の言い分に納得したのだろうか。無言の趙朱燿は黙って白慧心から視線を外した。そのまま離れていき、再び亀裂が見える位置にしゃがみ込んだ。

 

『……お前の弟弟子、危ないやつだな』

「やめろ、煽るな。あいつは頭に血が上りやすいから、下手な事をいうと本当に弾みで殺されるぞ。……さっきの話の続きだ。認識阻害術が展開されると、朱燿からは、俺はどう見えるんだ?」

『……南方将軍は、阻害術の対象から外してある。はあ、もう馬鹿らしくなってきた。天界に着いたらまた連絡しろ』


 王光明が呆れ口調で言い放つと、それきり勾玉は沈黙してしまった。白慧心が呪符の封を切ると、紙片に術式が浮かびあがり、光った。


「……行くぞ」

「ああ」


 本当に術は発動しているのだろうか、疑念を浮かべながらも趙朱燿の後に続く。臆することなく姿を見せた南方将軍は、「ご苦労」と兵に声を掛けた。


「これは……! 南方将軍!」

「こんなところにまで、警邏ですか?」


 四大将軍が現れたためか、兵たちに緊張が走った。白慧心の存在にはまったく気が付いていない。彼らの視線は白慧心を通り越し、後ろの風景を見ていた。王光明の阻害術がよく効いているようだ。


「極秘任務中だ。私が通ったことは他言無用に」

「はっ! かしこまりました」


 光の渦の中へ、趙朱燿は片足を踏み入れた。白慧心もその背に張り付き、続けて入る。その時、力強い手が手首を捉えた。


「離れるなよ。道を踏み外すと、身体が爆散する」


 小声でとんでもない注意事項を告げられ、声が漏れそうになった。あわてて片手で口を塞ぐ。――二人は渦の中へわが身を投げ入れた。


 渦の中は混沌としていた。色が絶えず変化する空間に、気づけば白慧心は立っていた。


 耳が痛くなるほどの静寂。地面は存在していないように見えたが、足が大地を踏みしめる感覚がある。薄紅、橙、薄紫が入り乱れて渦を巻く風景は眺めていると平衡感覚を狂わされた。生理的な嘔吐感がこみあげてくる。前後左右、天地も不明瞭だ。


 強く手を引かれる。それだけ頼りに、白慧心は歩みを進めた。


――どこからか、淡い桃の香りがした。


「目を開けろ、天界だ。――王光明、着いたぞ」


 趙朱燿の言葉に、『わかった』と短く返す王光明の声が聞こえた。


「もう着いたのか?……ここは?」


 無意識のうちに閉じていた目を開けると、白慧心の頬を温かな春風が撫でていった。絹のように柔らかな日差しが、地面の若草を照らしていた。遠く、深緑の葉をつけた桃の古木が群集しているのが見える。


「ここは西王母の管理する、蟠桃園ばんとうえんの外れだ」

「は? なぜ亀裂が天界の外縁に通じる?……正規の門に近い位置なら、本来は南に出るはずだ」

「知らん。時空が歪んでいるんだろう」


 そっけなく言った趙朱燿は、掴んだままの手首を引き寄せた。抗い踏ん張った白慧心は文句を言おうと目の前の朱雀を見たが、真剣な表情に萎縮した。


「な、なんだよ」

「顔色が悪い。霊力が少な過ぎる。霊根の半壊は、そのままにしておく気か?」

「……と言われても、治す手段がない」

「あんたは……命を投げ捨てようとしているように見える。私を救おうとしている、その気持ちはありがたい。もしや、残りの霊力全て、使う気か?」


 核心に切り込まれ、責められたと感じた白慧心は言葉に詰まった。


「っ! お前、言い方が悪いぞ! 俺は余生を有意義に使いたいってだけだ」


 唐突に手を離した趙朱燿は前髪をかき上げ、うつむいた。


「後悔している。あの日、父上が修行中の私にあんたのことを教えてくれていたら。あるいは、刑の執行前に止められていたら。この二百年、あんたに辛苦を味わわせることはなかった」

「朱燿……」


 責められているのは、白慧心ではない。趙朱燿は自分自身を責めている。


「……俺はあの日、死ぬはずだった。朱雀王の一言で刑の執行が止められたと、刑司から聞いた。お前の父には感謝してる。こうやって再会が叶い、立派になったお前の姿を見られたからな」


 慰めるように武神の肩を叩いた白慧心は、勇気づけるように微笑みかけた。


「もう気にするな。俺も気にしない。さあ、屋敷に案内してくれ。俺の命灯も、命籍局に取りにいかねば」


 そう言い、歩き出そうとした白慧心の背に、趙朱燿が仰天の事実を投げつけた。


「……あんたの命灯は、私が持っている。屋敷にある」

「は? な、なんで? お前、ずっと俺を憎んでいたんじゃなかったのか?」

「…………」

「す、すまん」


 指の間から覗く紅い眼に睨まれ、白慧心は反射的に謝った。


 趙朱燿は再会した時、白慧心を裏切り者扱いしたことを後悔しているようだった。兄弟子に対する信頼、それを掻き消すように吹き出す疑惑と戦いながら――二百年間、相反する気持ちを抱きつつ、白慧心の命灯を保管していたのか。


(辛苦をなめていたのはお前の方ではないか、朱燿)


「引いたか?」

「……まあ、ちょっとな。お前は昔から執着が強かったなと、思い返していた」

「誰が粘着質だと?」


 はは、と笑った白慧心はあえて軽い口調で言った。


「お前はほんとに俺が好きだな。さ、行くぞ」

「……あんたに私の霊根を移植してでも、治してやる」

「ばっ、馬鹿な事を言うな! そんな怖いことできるか!」


 二人は小声で騒ぎながら、足早に移動した。今更ながら耳の勾玉に「聞こえていたか?」と問いかけると『何のことだ』と王光明に惚けられた。気を遣わせてしまったようだ。


 趙朱燿の屋敷は、天界の外縁部にほど近いという。有事の際、すぐに駆けつけられるように無理矢理に天門近くの屋敷を割り当てられたと、ぼやいていた。


「途方もなくでかい! お前、ほんとに出世したんだなあ」

「あまり帰っていないから、自分の屋敷だという実感が薄いな」


 白慧心は、目の前の屋敷を見上げた。南方将軍の屋敷は天門――天界の正規の門の東に位置していた。正面の白玉の階段を上ると、目に飛び込んでくるのは朱色の屋根だ。屋敷は周囲を雲海に囲まれていた。前庭には、清らかな川が流れている。豪奢な青い羽根を持つ天界の霊鳥――らんが一羽、空から舞い降りてきて、東屋の屋根に止まった。


「命灯は祠堂に置いてある。あんたのもな。行くぞ」

「あ、待て待て。使用人は居ないのか?」


 いきなり主人が帰宅したら怪しまれるのでは、と危惧してのことだったが、屋敷には式神しか居ないらしい。


「屋敷内では、認識阻害術が効かなくなる。窓から顔を出すなよ」


 南方将軍曰く、防犯上、侵入者が入り込んでもすぐさま露見するよう術を張ってあるそうだ。趙朱燿が正門に手を当てると、重厚な扉が開いた。二人は回廊を進んだ。


「そもそも、人界の拠点に居るか遠征に出ているかだから、屋敷はいらんと天帝に言ったのだが……それでは周りに示しがつかんと押し切られた」

「四大将軍が屋敷なしではなあ。たしかに恰好がつかんかもな」


『お前ら、いつもそんな調子か? 緊張感を持て、緊張感を!』


 割り込んできた王光明の声に、白慧心は慌てた。


「す、すまん……」

「師兄が謝ることはない。王光明、天道の攻撃はどうだ?」

『……なんだか俺が悪者みたいじゃないか。天道は絶賛、攻撃中だ。急げよ』


 王光明は人界で戦ってくれていたようだ。確かに緊張感に欠けていたかもしれない。趙朱燿と昔のように話せて浮かれていた。昔のようにと、考えた時に脳裏をよぎった懐かしい面差し。白慧心は前を行く背中に呼びかけた。


「師匠の命灯と位牌は……お前が持っているのか?」


 趙朱燿は一つの扉の前で立ち止まると、振り向いた。壮麗な美貌には微苦笑が浮かべられていた。初めて見た老成した表情に、離れていた年月を思い知る。


「師匠の命灯と位牌は、父上が持っている」

「え……」

「母上は師匠に複雑な気持ちを抱いてたようだ。……着いたぞ」


 扉の開く音を聞きながら、白慧心は思い返していた。白婉は友人である朱雀王に趙朱燿を押し付けられ――そういえば、どこか嬉しそうだった。趙朱燿の母である赤夫人はあの日、どんな表情をしていただろうか。


 祠堂は落ち着いた風合いの木造造りだった。複雑な意匠がほどこされた窓からは柔らかな春の光が差し込み、室内のほこりが反射してちらちらと光っていた。


 祭壇の上に、両の手のひらほどの命灯が二つ、並んでいた。青銅でできた飾り気のない命灯が白慧心の物だ。六角柱の玻璃の中の灯りは今にも消えそうにかぼそい。朱雀の翼が彫刻された命灯が、趙朱燿の物だ。本人の強靭さを示すように、灯りは橙と黄金に美しく輝いていた。――白婉に師事する際、二人が己の魂を分けたものだった。


 白慧心は、無造作に命灯を掴むと、弟弟子を手招いた。


「ほら、鳥籠を出せ」

「ああ、わか……」


 趙朱燿が乾坤袋から鳥籠を取り出した、その時。


『白慧心! 天道から"試運転"が来る!!』


 王光明が鋭く警告した。


「――なっ!? ぐあっっ」

「くそっ!」


 苦悶の声を上げ、目の前の武神が崩れ落ちた。無事を確認する暇もない。白慧心は、趙朱燿の命灯を鳥籠に押し込んだ。ついでに自分の命灯も押し込むと鳥籠の扉を閉めた。虫の羽音のような起動音がしたのち、鳥籠に白く光る術式が浮かび上がった。


「朱燿! 朱燿!! しっかりしろ!」


 白慧心は這いずり、趙朱燿の元へ辿り着いた。うつ伏せに倒れている身体を抱き起こし、頭を己の膝に乗せる。人外の美貌は青ざめ憔悴していた。赤毛がはらりと頬にかかっているのを手でよけてやる。


『南方将軍は?! 無事か?!』

「……わからんが呼吸はしている。間一髪、か? でも、顔色が悪い。意識もない」


 趙朱燿の首の経脈をさぐると、体内の霊力がごっそり奪われているのが分かった。


『治すんなら、本人より命灯の方だ』

「あ、ああ。そうか。鳥籠の隙間から手を入れればいいか?」


 王光明が肯定するのを聞きながら、白慧心は隙間に手を入れ、趙朱燿の命灯に触れた。神器の修理なら、得意分野だ。


(待てよ。命灯の修理の間、朱燿は無防備になる)


『……白慧心、残りの霊力値は?』

「…………修理に集中したい。朱燿の身を守れるやつを呼ぼう」


 王光明の忠告を無視した白慧心は、傍らに落ちていた南方将軍の乾坤袋を探った。軍用の伝音符があるはずだ。目的のものを取り出した白慧心は、祝副将を思い浮かべながら、伝音符を両手で挟み込んだ。


「祝副将頼む、来てくれ。南方将軍の危機だ」


 伝音符が点滅し、最後に強く光った。うまく伝言が伝わったようだ。白慧心は膝に乗せた趙朱燿の額をそっと撫でた。


「王光明、今から天道を直しに行く」


『は……? はあ?? いやいや、お前ひとりでか?』

「お前は言ったな。あとひと月あれば修理の算段がつく、と。足りないものはなんだ? 技術ではないだろう。では、修復材料か?」

『……ああ、ああ、そうだよ! お前はなぜそんなとこだけ勘が鋭いんだ!?』


 王光明は、悍ましい天道機構の構築材料について語った。

 

『天道の自己修復機能の材料には、魂魄が使われている。あとひと月あれば……人工育成の魂魄様物質こんぱくようぶっしつが完成する』

「……完成を待つ間に、朱燿が死ぬ」

『それは……』

「天道は、七百年前の神仙の座標を星と入れ替えた! 同じことが朱燿に起こらないと、何故言える?!」


 王光明は白慧心らの座標を攪乱してくれているが、限度がある。疲れない天道に、はたしていつまで対抗できるだろうか。移動させられた先が、空中ならばまだいい。朱雀は飛べる。だが、深海の底、或いは地底の底なら? ――弟弟子が陥る窮地を想像すると、怖気が走った。


「必要な魂魄は一人分か? ……ならば、俺のを使えばいい。頼む、王光明。頼む」


 こぼれた涙が、趙朱燿の頬に落ちた。白慧心は震える指で水滴を拭う。指先に体温を感じた。弟弟子を、失いたくない。


「俺の余命は、もう見えてる。でも、こいつには……未来がある」

『……はあ、南方将軍に恨まれるぞ。それ以上魂魄を削れば、もはや輪廻転生も叶わん』


 釘を刺してくるのに、笑いが零れた。王光明は、案外と優しい男のようだ。


「朱燿に恨まれるのは、慣れている」

『……二百年前、白婉が使った天道機構への抜け道がある』

「感謝する、王光明」


 王光明は溜息を吐いたようだった。――その時、ひとりの武人が祠堂へ駆け込んで来た。


「都以来だな、祝副将」

「黒道士? どうして将軍の屋敷に……」


 白慧心は、わざと軽薄な笑みを浮かべた。


「黒道士は偽名だ。俺は、白慧心。――二百年前の大罪人だよ」

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