第32話: 走る、幼い気持ち
夜は、静かすぎた。
戦が止み、火が消え、叫び声も聞こえなくなった世界は、
こんなにも——残酷なほど静かだった。
兵舎の中、グラナディア学級の面々は、それぞれが起きていた。
誰も眠れなかった。
ザコは、まだ目を覚まさない。
呼吸はある。鼓動もある。
だが、そこに“応え”がない。
祈ることしか出来ない時間が、ただ無為に過ぎていく。
そのときだった。
「……あれ?」
ソフィアが、顔を上げた。
何かが、足りない。
「ラミエルちゃんが……いない」
その一言で、空気が凍りついた。
ガロンは即座に立ち上がった。
迷いはなかった。
「あいつ……!」
誰も続けて言葉を発さなかったが、
全員、同じ行き先を思い浮かべていた。
――アルカディウス。
あの話を聞いたあとだ。
神が沈黙し、ザコが倒れ、世界が“選ぶ”方向へ流れたあとだ。
純粋な子供には、あまりにもわかりやすく、
そして……あまりにも“正しい”行動だった。
「探すぞ!!」
ガロンの声で、全員が動いた。
夜の森を、街道を、丘を越え、
呼びかけながら、必死に探した。
ラミエルは飛べない。
方翼では、長く空を保てない。
走れば転び、急げば息が切れる。
遠くへは行けないはずだった。
それでも——
見つかったのは、湖だった。
月明かりに照らされた水面のそば。
小さな舟が、岸に半分引き上げられている。
そして、その横に——
小さな影が、うずくまっていた。
「……ラミエル!」
駆け寄ると、ラミエルはびくりと肩を震わせた。
手には、フェリックスのコンパス。
ぎゅっと握りしめられて、指が赤くなっていた。
「なにやってんだ……!」
ガロンの声は、怒鳴るつもりだった。
だが、喉が震えて、途中で掠れた。
ラミエルは、ゆっくり顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃだった。
「……アルカディウス……」
か細い声。
「向こうに……行けば……」
言葉が、続かない。
「だって……お姉ちゃん……」
そこで、完全に崩れた。
「……ずっと……っ」
嗚咽が、言葉を飲み込んだ。
誰も、続きを求めなかった。
誰も、問いたださなかった。
その“ずっと”に何が詰まっているのか、
全員、わかってしまったからだ。
ザコが苦しんでいたこと。
ミカエルが沈黙していること。
世界が、どこかおかしくなってしまったこと。
全部を、
この小さな子供は、抱えてしまった。
「一人で……行くつもりだったのか」
エリアスの問いに、ラミエルは小さく頷いた。
「……舟なら……飛べなくても……」
その言葉に、誰も返せなかった。
正しい。
あまりにも、正しい。
でも——
それは、あまりにも残酷だった。
湖のほとりで、
グラナディア学級は立ち尽くした。
誰かが泣き始めたわけじゃない。
気づけば、全員の目から、静かに涙が落ちていた。
戦いは終わったはずだった。
平和になったはずだった。
それなのに——
何一つ、救われていなかった。
ラミエルを抱きしめながら、
誰もが同じことを思っていた。
祈りは届かない。
神は沈黙したまま。
ザコは眠り続けている。
それでも、
この子だけは、立ち上がってしまった。
湖面は、何も答えず、
ただ月を映して揺れていた。
その夜、
世界は確かに平和だった。
そして同時に、
静かに、確実に——腐り始めていた。
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