第15話: 沈黙の天界、吹かれなかった角笛



天界は、あまりにも静かだった。


雲は揺れず、光は脈打たず、

時の流れさえ均され、均等に引き伸ばされているかのようだ。

裁きの前触れにしては、あまりに平穏すぎる。


それが異常であることを、

この場にいる者たちは誰よりも理解していた。


――黙示は、すでに起きている。


だが角笛は鳴らない。


本来、終末の兆しが示されたならば、

天使はそれを告げねばならない。

それが掟であり、役割であり、七大天使の存在理由だった。


しかし。


「……黙示が、再び」


その声は、天界には響かない。

それは地上――

ひとりの人間の身体の奥深く、

青く澄んだ右の眼の向こうで、確かに発せられた。


ミカエルは、すでに“そこ”にいた。


剣を振るう者でも、

裁定を下す者でもない。

今の彼女は、見ることを選んでしまった存在だった。


見てしまったのだ。

ラミエルを。


堕天した天使。

黙示を司る存在。

本来なら、地上に現れた時点で

すべてが始まっていなければならない存在。


けれど彼女は――

笑っていた。

あっけらかんとして、理由も知らぬまま、地上に立っていた。


「僕が降りたのには、きっと理由があるのだ!」


そう言って、

何ひとつ背負っていない顔で。


それが、何を意味するのか。

ミカエルには、痛いほどわかってしまった。


――黙示は“宣告”ではなかった。

――黙示は“すでに示されていた”。


だから、彼女は理解してしまったのだ。


「どうして…」 言葉が蘇る。


時間が、まだ残されていることを。

全体救済が、理論ではなく可能性として存在していることを。


「……私は」


青い眼の奥で、ミカエルは静かに息をする。


「私は、角笛は吹かない」


それは反逆ではない。

職務放棄でもない。


選択だった。


ラミエルが地上に現れたこと。

それ自体が黙示であるならば。


ならば――

それをどう受け取るかは、

まだ世界の側に委ねられている。


天界は沈黙を続ける。


誰も命じない。

誰も否定しない。


ただ、時だけが進み続ける。


そしてその沈黙の余波は、

やがて別の存在へと届く。


半神半人のヴァルキリー。

魂の選別者、ヴェルサニアのイーリスのもとへ。


彼女だけが気づくことになる。


――裁きは“延期された”のではない。

――選別が優先されたのだと。


角笛は鳴らなかった。


それは終わりの否定ではない。

終わりまでの猶予だった。




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