第18話 戦鬼覚醒 一

 太陽が月を蝕まみ、月の輪郭だけが見える幻想的な景色。

 何も起こらない〝写し世〟の空はとても美しく、きっと興味を惹くような神秘さすらもあるだろう。

 願うのならば、何事もない静かな時間をここで過ごしたいと……そんな甘い考えがふと頭を過ぎる。


「……来たか」


 現在、〝写し世〟沖津宮にて捕らえられていた一般人を現世に送り返していた誓は、空を見上げて呟いた。

 〝呪い〟によって歪み始める空模様。それだけで今まで幻想的に見えていた景色が、心臓を鷲掴みにされるような浮遊感と恐怖に様変わる。


「〝呪い〟の悲鳴……」


 呪いで歪み始めた空、その元凶が沖津宮にも現れる。

 人の身でありながら生物の負の感情を取り込み、数多の〝呪い〟によって形成された生物とは言えない化物。


「これは、道理で私が祓えなかったわけだ」


 同じ存在が何十人と沖津宮を囲む。

 それだけでも奇妙で気味の悪い光景だと言うのに、その全員がとても濃い〝呪い〟をまとっている。

 絶級呪塊――呪呑者 弓削道金。

 その複製体たちが、結界の外で笑う。


「……〝写し世〟の異変に陰陽寮は必ず気付く。私は応援が来るまでここにいるだけでいいが、問題は――――心くんか」


 脳裏に浮かぶ、鬼と成った少年。

 彼は漂う呪いの一部に感化され、その呪いと共鳴してしまったことで、不安定な状態ではあるもののこちら側の世界へと足を踏み入れた。


「ただ、あれは〝悪〟ではなかった。どちらかと言えば集中状態に近かい……というか〝呪い〟の影響はあったかなぁ。困った、これは本当にどう報告書を記そうか」


 癸 誓は結界の中で微笑んだ。

 年に一度、報告書が倍になる時期。そんな時にまた報告書が増える、もしかしたら今度は倍どころでは済まないかもしれない。その可能性に諦めのような、投げやりな感情から生まれたような、変な笑いがこみ上げる。


「榊様の弟子って報告すれば、みんな納得してくれるかなぁ……無理だよなぁ」


 全てはこの結界が破られないことを知っているからこその余裕であった。

 もはや、外にいる弓削の分身など気にも留めていない。

 面倒だが面倒見が良い、榊にそう言わせた男が考えることは一つだけ。


「まぁ、存分にやり切ってくれたら良いか。私ならもっと早く終わらせられたけど……心くんも男の子だし、大切な人は自分の手で守りたいよね」


 鏑木 心、ただ一人の無事だけだった。

 外からの攻撃など、中には音すら通さない。

 誓はただ待つだけだ。

 自分のやりたいことをやり切って、全力を尽くした彼の終わりを。

 それが勝利であれ敗北であれ、誓が動くのは終わりだけ。

 子供がやってみたいことを全力で応援する親のような気分で、ただ終わりが来るまで見守っている……。



◆



 地面を蹴って進む。

 この凄い力に目覚めてから感じることができた新しい感覚だった。

 体が動く、景色が速い、でも見逃している場所はない。

 動き続けることで鬼の力に慣れ始めていた心は、合体山から街のほうまで十数秒で駆け下った。


「……すぅー、ふぅ」


 いつもと変わらない澄んだ夜の空気、誰の気配もない住宅街。

 昨日か今日か、瓦礫と化したはずの自分の家などは完全に修復されていた。

 一瞬だけ〝写し世〟の仕組みを垣間見た心だったが、まだ足を止めない。

 合体山からわざわざここまで来たのには理由があった。


「こっち」


 いつも以上に〝呪い〟が見えることで、確かに感じ取れる気配。

 それは心の背中をずっと追いかけ続けて来ていた。

 その証拠に見覚えがある黒い刃が至るところから急襲してきている。


「(もうすぐだ)」


 建物の隙間、電柱の影、少し垂れた電線、至るところから黒い刃が襲いかかるが心は一段階加速することで全てを抜き去っていく。

 そして到着したのは、見渡す限りの九割が平地である運動公園。

 何も気にすることなく、思う存分暴れまわることが出来る……言わば決戦の地。

 運動公園の名の通り、心は到着してから体をほぐし始める。


「……よし、っと」


 あれだけの動きをしたのに体に全く痛みはない。

 むしろ、体の反応は最高に良かった。


「ちょっとちょっと~、逃げ足が速いよ」


 心の背後から声が届く。


「逃げたわけじゃねぇ……分かってんだろ?」


 振り返ると、そこには弓削一人がいつの間にか立っていた。

 何度も見たが恐らく黒い穴を通って来たのだろうと予想がつく。そうじゃなければ、心の速度に着いてこれるはずもない。


「誘い込んだ、とでも? あはは! どこだって変わらないって! 〝写し世〟は今、僕の手中にあるんだよ? 何を仕掛けようと僕が何も気付かないわけないだろう」


 手の平を合わせて呪いを集め始める。

 その禍々しい力を素早くまとめると、弓削は地面に流し込んだ。


「……癸 誓と何かを企んでると思えば、こんな場所を選ぶなんて少し拍子抜けだ。この平地を選んだ君の意図が全く分からないや――――」


 無数の黒い穴から骨が剥き出しになった人体が現れる。

 次第にそれに肉が付き、皮が付き、形を成していく。


「数の暴力。呪力を消し去る力を持っていたとしても、僕の複製体を何十体も相手にできるわけがない。……んー、なんか興冷めだ。さっきまで無駄に必死になっている少年を見て嘲笑(わら)ってられなのにさ」


 平地を埋めていく人の影。

 数が増える度に周囲が暗くなっていくほど、尋常ではない〝呪い〟が集まっているのが分かる。

 心の瞳にも当然〝呪い(それ)〟は見えていた。


「さっ、僕は癸の方へ行くよ。また必死に悪足掻きでもしててくれよ、少年」


 興が冷めた。

 そう言って誓の方へ向かおうとしている弓削に、今まで静かに話を聞いていた心がようやく言葉を返す。


「……まず、感謝でもしとくか? 今ので分かったよ、お前が本物だな?」


 〝呪い〟を見通す心の瞳を誤魔化すことはできない。

 どれだけ精巧に自分を作り出したとしても、本物に宿る〝呪い〟の核が違いを示していた。


「だからって少年に僕が祓えるとでも? 自惚れすぎででしょ。あ、でも僕相手に頑張れるならまた少し興味が湧くかも」


「うるせぇ、お前に興味を持たれても一ミリも嬉しくねぇよ。あと確かにお前をここに誘い込んだけどな……別になんかあるわけじゃねぇよ」


 今まで無意識で取り込んでいた呪力を、意識的に解放する。

 すると、鬼の角が赤く輝き放ち心の背にある炎輪が動き出す。


「この場所が、一番動きやすいと俺が思っただけだ……勘違い野郎が」


 力一杯に地面を踏みしめて、前方へ突進する。

 その速度はもやは視認することが出来ず、心の視界に捉え続けているのは、未だに心がいた場所をつまらなそうに眺めている弓削の表情だった。

 心を見失った弓削が動き出したがもう遅い。

 大地を踏みつけて急停止、そのせいか爆裂音が響く。


「なっ!?」


 手加減なし。

 覚醒した鬼の力が相まった、呪力を消し去る力をまとった拳が弓削の脇腹に突き刺さる。


「――ぅッッ!???」


 その一撃の威力は凄まじく、余波ですらも周囲の〝呪い〟を弾き消すほど。

 弓削の複製体も自らが気が付かぬ内に数体消滅した。


「ぐぅぅうあああぁぁ!!」


 弓削本体の苦痛に歪む叫びに、周りの複製体も心の姿をようやく捉え同時に動き出す。黒い刃が大量に地面から吹き出し、心がいた場所に剣山が生まれる。


「んぐ……はぁ、はぁ、何だ今の動き――――」


 目にも止まらぬ速さ。

 気が付いたら地面が弾け、気が付いたら自分の脇腹に拳が減り込んでいた。

 おかげで胴体が祓われた。


「さっきの言葉、そのまま返してやるけどな……自惚れんな。俺の何を知った気でいやがるのかは知らねぇけど――初めてだろ? 俺と戦うの」


 黒い刃の射程外へと移動していた心が、剣山の向こう側から声をかける。


「何を……」


「何って、殴り合いだ。今まで一回でもあったか? 俺とお前しかいない殴り合いの場が」


 一回目も守るべき人が近くにいた。

 二回目も守るべき人が後ろにいた。

 そのどちらも、一方的に弓削が攻撃に転じていただけの話だった。


「俺は喧嘩はしたことねぇけど、師匠のおかげで殴り合いは慣れてんだ。幸いにも、今の俺にはお前に対抗できる力もある」


 呪いで作られた黒い剣山が、黒く熱を持って最後に灰に変わる。

 向こうに立つ心は蹲る弓削を見下ろす。


「まぁ、何も知らん俺が少し不利か? 術も使えないし。でも、これでようやく戦える。さぁ、やろうぜ――――今度はちゃんと決着をつけようぜ」


 目覚めた〝鬼の力〟と〝呪い〟を消し去る呪力。

 その二つを使い始めている未覚醒の少年は、ただ大切な人を守りたいという一心で心を奮わせる。

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