第9話 後悔しない選択肢 一

 十二月三十一日――二十一時。

 沖ノ連島 開拓地 住宅街。


「やっぱりの夜は良い……毎年、癸の人間が帰って来る理由が分かる」


 〝呪い〟に対して、人間が最も希薄になる日。

 言い換えるならば、〝呪い〟に対して最も耐性がなくなる日と言えばいいか。

 長期休暇、結婚式、誕生日、クリスマス、正月、などがあるが……やはり一番は新年を迎える直前のこの日だ。


「開拓地に来るのは久しぶりだったけど、意外と簡単に終わったなー。癸の人間も、現実世界に来ると勘が鈍るのかな」


 少しでも違和感を感じ取られれば、その瞬間に酒呑童子によって排除されてしまう。ここ数年、偵察用の式神を沖ノ連島全土に放っているが、この開拓地だけは式神や術を尽く消されている。


「目当ての人間は見つからなかったけど収穫はあった。後は手短に帰るだけ……ん?」


 商店街から住宅街までに張り巡らせている呪力を探知する術が反応した。

 微かな呪力反応――――癸の人間でも、酒呑童子や天幻無尾じゃない。

 もの凄い速度で商店街を抜けて……既に住宅街へと侵入している。


「『影歩の術』」


 影の中へ潜り、影を伝って移動する。

 許された、呪力を術式に流し込んで発動する術だ。


「(速いな、身体強化しながら走っているのか? ……あれ、あの子は――――)」


 影から外を覗くと、その正体が分かる。


「(昼間に出会った少年じゃないか! どうしてあの子から……呪力を)」


 闇夜に隠れて観察すると、ぼんやりと心の右手が陽炎のように揺らいだ。


「(あれは……霊障――――ということは、あの子だったのかぁ)」


 ぐにゃりと自分の口角が上がるのを抑えられなかった。

 霊障、微かな呪力、明らかに人間離れした身体能力……自分の中でピースが当てはめられていく。

 自分が今までむず痒く思っていた違和感。

 その正体に近づける糸口だと、不思議と確信を得た。


「(ここら一帯は既に僕のに替えた……今なら――人一人くらい、簡単に引きずり込める)」


 心が家に入って行ったことを確認し、影の中から外へ出る。

 そこから男の動きは迅速だった。


「『匣影結界きょうえいけっかい


 気取られず、音もなく、精細に、慎重に。

 答えに繋がる異分子糸口を、どこへも逃げられない写し世虫籠へ――――捕らえた。


 心が家に帰ると出て行ってから、九十九はずっと心の気配を追っていた。

 〝写し世〟に引きずり込まれ、強制的に〝呪い〟と邂逅を果たした心の体には既に異変が起きている。霊障と呼ばれる、体内の〝呪い〟を解放する儀式。呪塊を祓った時に出来た呪いから受けた掠り傷で、心は既にその儀式を済ませてしまっているため、九十九は心の呪力をいつも通り追うことが出来ていた。

 いつも通りの道を走って帰る……心が家に帰るまで静かに呪力だけを追っていた。

 いつも通り。

 いつも通り?


「うぉ! どうした、九十九」


 隣で月を見ながら一杯やっていた榊が、急に立ち上がった九十九に驚く。


「心の……呪力を


「ん? そりゃ、いつも通りだろう? 驚かせんなよ」


 グビグビと酒を呑みながら「何を当たり前のことを……」と少し呆れ気味で反応した榊であったが、


「違う」


 九十九の言葉が否定した。


「心の呪力が漏れている……? まさか――――」


 九十九は心がいつも寝ている部屋へと移動し、中を確認する。

 畳まれた布団。

 やりもしない宿題などが入った鞄。 

 枕元に置き忘れているスマホ。

 いつも口酸っぱく「持っていろ」と言っていた〝神隠しの護符〟。


「ッ!! 榊ッ!」


「なんだなんだ、どうしたぁ?」


 声だけで返事をしてきた榊に、少し怒りが混じった返答を返す。


「心が神隠しの護符を身に着けてません……どういうことですか!」


「はぁ? ワシはいつでも身に付けてろと言ってたぞー」


 それは……そうだ。榊にとっても心は大事な愛弟子。

 落ち着け、何か……何か見落としてないか――――

 心が勝手に約束を破るはずがない、約束の破り方も知らないような純粋な子だ。

 何かきっかけがあったはずだ……外しても良いと捉えたきっかけが。


「最初こそ意味はあったが、。これ以上、お前を隠しておくことはできねぇ。お前の存在が〝呪い〟に見つかっちまったからなぁ」


 今日の会話の内容を思い出している途中で、一つ気になった言葉が見つかった。


「……はぁ、ありえない。お馬鹿にもほどがある」


 確かに、あの時は説明する過程で「意味がなくなった」と言った。

 だが「もういらない」とは言ってない。全部説明しても分からないと思って、必要なことしか言わなかったのが、素直なあの子にとって悪手だった。


「おーい、なんかあったのかー」


「いえ、何でも。とにかく、私は心を追います」


 〝呪い〟は祓った分だけやり返しにやってくる。

 しかし、ただの呪いに。だから、どれだけ心に向かって来ようと敵ではない――――現実世界でならば。

 だが〝写し世〟は別だ。あの場所では〝呪い〟は意思を持つ。

 とても小さな呪いを少しずつ、心は十年近く呪いを無意識に祓ってきた。

 前回のように願に巻き込まれて引きずり込まれるならば問題はないが、心を標的にされた時――――その積もった因果の影響で、どんな〝呪い〟が現れるか分かったものではない。


「誓に連絡をします。万が一は――――」


「おいおい、落ち着けよ」


 いつの間にか移動して来ていた榊に受け止められる。

 

「これは心が選んだ道。手助けしようとし過ぎだ」


「ですが……」


「どうせ何も考えてねぇだろうが、これも心が選んだ道だぞ。こっからは……陰陽師になると決めたあいつに任せるのが筋だろ?」


 呪いが関わる以上、安全も安心もない。

 それをよく知っている九十九だからこそ、心に同じ目に会ってほしくない。

 しかし、過保護な面が見える九十九とは正反対に、榊にとっては違う。まだまだ鍛えてやる必要はあっても守ってやることはないという認識だった。


「結局のとこ、身を持って知るしかねぇのよ……。言葉で伝えようとしたって伝わりきらないもんだってあんだろ?」


「…………」


 九十九が心に言った言葉の中で、一番鋭利な言葉。

 鏑木 心という人間の記憶を、貴方の周りにいた人間の記憶から消す――――これが、最も楽な方法です。

 究極、これが一番心も心以外も最小限の傷で済む選択肢なのは間違いない。

 しかし、それで納得できるかどうかは話は別だ。

 だから心が帰って来た時に少し安心した。

 どこか吹っ切れた表情をしていたからだ。


「もしも、心に何かあったら……」


「そん時のために師であるワシがいる。まぁ、心配するな」


 何があっても、取り敢えず体は動くはずだ。

 「目に見えないものに屈するな」そう鍛えてきた。

 後は――――乗り越えられるか、だけだ。


「(屈するなよ……自分の運命に)」





 床が、壁が、天井が、光が、人間が、黒に侵食されていく。

 今まで平和だと思いこんでいた自分の日常を、安全だと思いこんでいた生活を、嘲笑うかのように塗り潰していく。


「どうなってんだ……何で――――」


 違和感。


「何で……みんな……」


 そうだ、違和感。違和感を感じてる。

 何かが違う。何だ、何が違う?

 いや……だけは何もかも違う?


「カ、カ、おぉおか、オカエリィい」


「みみ、ミツケタああ」


 心が考えている間に、目の前で三人が姿を変えた。

 見たことがある――――呪塊だ。


「っ!?」


 揺れる視界、震える体、今にも吐き出したいくらいに高鳴る心臓。

 極度の緊張と混乱。そんな状態でも心の体は動き出す。

 ドズ黒い呪いを撒き散らしながら動き出した呪塊に迫られる前に、玄関へと駆け出して靴も履かずに外へ出る。


「(落ち着け、落ち着け……! まずは安全な――――)」


 雲一つない夜。

 皆既月食が浮かぶ空。

 色の落ちた灰色の建物。

 至る所から黒い霧が漂う視界――――


「写し世……」


 バゴンッと鼓膜が震えるような破壊音とともに家の玄関が吹き飛び、自分の家に大穴が開くとそこから呪塊が三体。


「……まずは移動」


 気にするな。考えるな。走れ、今は何も考えず走れ。

 単純だ。考えることを狭めていけ……一つ、一つずつやれ!

 自分にそう言い聞かせながら、背後から迫る地鳴りのような足音から逃げるように、いつも体を動かしている運動公園まで無我夢中で走る。

 行動の単純化、そのおかげで心はいつも以上の速度で運動公園に到着する。

 当たり前だが誰もいない。


「はぁ……ッ、はぁ……! ――――ふぅ」


 いつもと違う景色だと思っていた、だから違う世界だと。

 でも違う。いつもと同じ場所に来たら、意外とそんなことはない。

 落ちついてきた……。


「(体は、動く……なら次だ)」


 少し離れた位置から破壊音だけが響く。道など関係なく、自分に向かって一直線に追いかけて来ている存在――呪塊の存在を確認する。

 的が大きい化物、前と同じなら勝てそう。

 速さは……目で追える。

 一発もらったらどうなる? ……まぁ、骨は折れそうってだけ。


「やるしかねぇ」


 最終的な目標は、この〝写し世〟を出ること。

 方法は、ボスを倒すこと。

 そんなことが一瞬だけ思い浮かぶが、一旦置いておく。


「まずは、やれるだけやってから……!」


 運動公園に呪塊が三体侵入。

 すかさず、心は一番前を走ってきた呪塊に向けて全力の一撃を叩き込む。


「……?」


 その結果は、あまりにも呆気なく。

 肉の感触――と同時に、呪塊が黒い霧へと霧散する。

 一撃で呪塊を一体葬り去った。


「……っ!」


 あまりにも呆気ない結果に、心は一度思考停止したが迫る巨腕に体が反応した。

 見える、躱せる……最小限の動きで。

 自分に対して驚くのをやめられないほど、恐ろしいくらいに冷静で的確な最小限の動き。


「(あれ……なんか、俺、動けてね?)」


 見た目が化物なだけで、行動は大振りで隙が多い。

 あくまで人型、その巨体が人間離れしているだけで、心はほとんど毎日自分よりも大きな相手と対峙していた。


「(――――そう言えば、師匠より遅い、師匠より威圧感はない)」


 心を圧し潰さんと倒れ込んで来る呪塊の範囲外へ、一体が倒れ込んでいるうちにもう一体の呪塊に向かって容赦なく回し蹴りを叩き込むと呪塊の胴体が黒い霧となって消し飛んだ。


「(あー、そっか。ってのが怖かっただけで……それ以外――――)」


 起き上がろうとしている呪塊。

 その表情のない呪いに塗れた顔面に向かって、容赦なく拳を振り抜いた。


「あんま、怖くねぇや」


 また一歩。

 初めて〝呪い〟と対面し、うずくまるほど恐怖した己から踏み出した。


「目に見えないものに屈しない」


 師匠と初めて鍛錬し始めた時に言われた言葉を思い出す。

 強くなるために、乗り越えるために、着実に進むための勇気を貰える言葉だと改めて感じた。

 しかし、「目に見えないもの現実」は残酷である。


 パン、パン、パンパンパン。

 だだっ広い運動公園に拍手の音が響き渡る。


「ぶらぼー、ぶらぼー」


 にゅるり、と影の中から人が現れる。

 心はその人に見覚えがあった。


「――――やぁ、少年。悩みは、解決できたのかい?」

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