第8話 後悔の足音
対馬方面の海岸沿いを歩いて二時間半、心が道場に帰って来たのは午後三時を少し回った中途半端な時間だった。
「おかえりなさい、心」
「ただいま帰りました!」
外で出迎えてくれたのは、朝の時とは服装が変わっている九十九。
家の中からは「わはははっ! ワシの勝ちぃ~」と大きな声が玄関まで響き渡ると、「予想外でしたね、これは……」と誓の声が聞こえてくる。
「みんなまだいるんすねー、良かったぁ」
「先程また訪れたんですよ。それよりも心、風呂に入って汗を流してきなさい。上がったら遅い昼ご飯です」
「いや、風呂はまだで。少し整理したいんで、このまま軽く鍛錬してから入ります」
「分かりました。では昼食は軽いものを持って来ますね」
「あざっす」
そのまま九十九は道場の中へ、心は道場の外に向かう。
道場の外に置いてあるのは二つの鍛錬用具。
ボロボロのマットレスが巻いてある大岩と砂袋が巻いてある大木だ。
どちらもかなり年季が入っているが、それもそのはず……榊に鍛えれたこの十年、ずっと心が拳や脚を叩き込んできたものだ。
「――――ふぅ」
とんとん、とマットレスが巻かれた大岩を軽く叩き――――
「……ッ!!」
一撃、一撃、一撃、威力を重視した拳が放たれる。
その威力は大岩を少しズラすほど、そして道場と少し離れた家から、
「……ご、ゴリラみたいだね」
「あぁ……あれが心の素の身体能力――――」
願と祈の視線をを奪うほどのものだった。
「呪力をまとってない状態で……しかも、あの威力を連続的に。〝写し世〟の中でも思ったが、心は鍛えられ過ぎている」
横目で
次に、心の着替えや昼食を用意し始めた九十九を見る。
「(意外と……過保護なのか?)」
呪いから身を守るための護符を用意する。
呪いから身を守るために鍛える。
今もそうだ……心が帰って来てから少しだけ雰囲気が明るくなった。
いつでも助けに行けるように、いつでも迎えに行けるように、九十九も榊も外で鍛錬している心に対して意識を割いているのが分かる。
「(……まぁ、こう見てる時点で私も同じようなものか)」
「お姉ちゃんはどう思う? 彼が陰陽師になることについて」
「…………」
「実際、彼は〝呪い〟に巻き込まれた。だから
「確かに、向いてるとは言えないな。心のようなやつは〝呪い〟に飲み込まれる側の性格だと、私も思っている」
善人と言えば聞こえは良い。
けど陰陽師として生きていくならば、善人だけでは耐えられない現実が待っているだろう。心が強く、様々な経験をし、それでも尚〝善人〟であるならば話は別だが。
「彼がどうやって大事な人と別れてこっちの道に来るのか……ちゃんと一区切りつけて来れると良いけど、心配だよね」
「なんだ、意外だな。心配していたのか?」
「だって良い人じゃん。私もだけど、生まれつき不遇でも頑張って生きてきた人を心配したくなるのは普通じゃない?」
私も、ね。
「以心伝心、だな。祈と同じ考えをしてるって思うと、正しく成長できていると実感できるよ」
「流石に褒め過ぎじゃない……? 恥ずかしいよ」
「はははっ」
呼吸を乱すことなく、全力の殴打を繰り出し続ける心。
彼もまた何かを考えながら行動しているのは間違いないだろう。
繊細ではないが隙はなく、躊躇いはあるが遠慮はなく、決めたことをどう遂行しようかと考えているのだろう。
今も無心で打ち込みをしているわけじゃなさそうだ。
「(……体が熱い、変な熱さを感じてる――――)
後悔はしないほうが良いが、後悔をしたとしても間違いじゃない。
心の中に綺麗に腑に落ちた言葉だった。
「(それなら迷わない。俺が行きたい道へ……大事な人が助かる道へ……それが一番後悔しない方法だ)」
ただ、巻き込まないと決めたら大事な人たちとは離れないといけない。一緒に暮らしていても俺が不幸を呼んでしまう。
勝手に俺が行ったらダメな道に進んでしまったから。
でも、それは仕方ないと割り切った。
だって、そっちの方が後悔はないから。
「(無理矢理にでも進もう、守るためなら仕方ないじゃんね)」
拳から伝わってくる痛みで「嫌だ嫌だ」と駄々をこねる心を説得させる。
だって、それ以外に道がない。
俺以外に危険が及ぶなら、俺は進んで一人になれる。
「――ッ!!」
渾身の一撃を叩き込み、大きく息を吸い込み……吐き出す。
体の蒸気が、口から漏れ出す白い吐息が、心の熱を冷やし始めた。
「言うのは、明けましておめでとうの後だな」
今日は、十二月三十一日。
家に帰って、年越しそばを家族で食べて、来年の進学先の話を軽くした後、どうにかして母さんと姉さんを説得しよう。こんな時なら親父もきっと力になってくれるだろう。
「まずは……風呂入ろ――――ん?」
違和感。
視界に収まった景色、その至る所から物足りなさを感じ取る。
「……気の所為か?」
少し痛みが残る手をふらふらと振りながら家へ戻る。
それから風呂へ入り、昼食を食べ夜まで一眠りする。そうでもしないと年越しまで起きていられないからだ。
ピピピッ。
「…………」
手探りでスマホを探し、真っ暗な部屋で画面を見る。
時刻は夜の八時前。
「……やらかした」
刻んで設定していたアラームの中でも最長、家に帰ろうとしていた予定のギリギリに心は目を覚ました。
「一回帰らねぇと」
目を擦りながら襖を開けると、リビングから榊と九十九の声が聞こえた。
もう願たちは帰ったらしい。
「おはざっす……」
「おう、起きたか。今から帰るのか? それとも何か食って行くか?」
「いや、寝過ぎたんで一回帰ります。姉さんからメッセージも届いてたんで」
スマホを見た時に「何時頃に帰る?」と三回も来ていた。
内容は見てないが、親父からも連絡があったから結構焦ってる。
大至急帰らないといけない。
「それなら軽食を用意します。帰り道に食べなさい」
「あざっす。それじゃ一旦帰りますんで……あ、荷物は置いていきますね」
「分かりました。着替えは洗っておきます」
そして洗面台に向かって冷たい水で表情筋が起きるまで何度か顔を洗い、部屋に戻って上下長袖長ズボンのスポーツウェアに着替え、スマホだけをポケットに突っ込む。これで帰る準備は整った。
「それじゃ、明けましたらまた来ます」
「あいよぉ~気をつけてな」
「足元には特に気をつけて下さい」
「はーい」
もう何万回とした別れの挨拶をし終え、心はもう完全に夜に切り替わった外へ出た。
「あぁー……体起きる~」
昼とは違った、無音で風が吹かない深い寒さ。
この太陽が昇り始めた、夜と朝の間のような時間帯に似ている感覚が、心をゆっくりと目覚めさせる。
関節を回し、その場で軽く飛んでから、喉を潤すように九十九が用意してくれた温かいお茶を少し飲み、ここから約一時間ほどかかる住宅街へと走り出す。
「(うーん……夜は良いな、空気も新鮮で――――視界も綺麗で)」
長い獣道を十分で抜けて、海岸沿いを通る広い道路を三十分、ようやく商店街入口へと入る。不思議といつもよりペースが速いような気がした。
気分は少し昂ってる気がしていた。
街灯もほとんどない真っ暗闇の中、誰にも見られる(元から誰もいない)ことなく夜の街を駆け抜けていく。まるで忍者みたいだと、変なテンションになっているのは間違いないだろう。
だからかは分からないが、いつもより速いかもしれない。
「はぁ、はぁ……」
しかし、商店街を走り抜ける約十分で次第に考えが変わって行った。
月の明かりだけを頼りに反射している真っ黒な建物や看板。
人の気配が全くしない空間。
いつも以上に黒で染まり、まるで映る景色が全て〝呪い〟にしか見えないような視界。
「(そう言えば……夜に走ったことあったか? 俺って)」
昔から夜があんまり好きじゃなかったのは確かだ。
成長して、怖くなくってからも、夜に外に出歩くことはなかった。
「(……何でか知らんけど、後ろ振り向きたくねぇー)」
心のその気持が、走る速度を更に加速させる。
商店街を疾走し、一気に抜けると住宅街が見えた。
なんだが、ようやく到着したという気分で、商店街とは違い明かりが点いている家を見ると少し心が安堵したような気がした――――
その瞬間。
歩道に設置されている数少ない街灯が点滅した。
「……っ、びっくりしたぁー」
住宅街の中心くらいにある自宅まで、あと五分。
これだけ家の明かりが点いている中、街灯が点滅しただけで体が反応する。
それだけ……俺は〝呪い〟や〝写し世〟と呼ばれていたものに怖気づいているのだと実感する。
「……ふぅ」
夜がこんなにも怖いとは思わなかった。
……今日は、色んなことを知った日だ。
それで良い、そういう日で良かった。
家まで、あと三分……一分……三十秒――――
「(あぁ、良かった。そうだよ、いつも通りだよな。ビビり過ぎだ……あの時が異常だっただけなんだから)」
一旦、忘れよう。
明かりが点いた玄関、外からでも分かるよ。みんないる。
大丈夫だ。今はなんもない、何かあるはずがない――――
「ただいまー……」
玄関に入り、並べられた靴を見て……ホッと一息ついた。
親父もいる、母さんもいる、姉さんもいる。
リビングからはテレビの音が聞こえるし、姉さんの笑う声も聞こえる。
うん――――やっぱりいつも通り、
「だたいまー、寝てて帰るの遅くなっちゃ――――」
え?
「おー、遅かったなぁ」
「もうご飯食べちゃったわよ?」
「ちょっとー、帰るの遅いわよー」
何で……
何で、みんな黒い?
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