第7話 楽観と達観

 場が凍りついてしまったような静寂。気の所為ではないのなら、少し温度も下がったように感じた。

 それくらい、九十九が放った言葉に威力があった。


「……はぁ? 何を言って――――」


「――心。陰陽師というのなら、今までの常識を捨てなさい。楽観的に考えるのはやめなさい。一度入ってしまえば、もう帰ることは出来ないと思いなさい」


 酒瓶を持つ師匠の表情が、いつもと違って少し暗いように見える。

 今まで普通に会話していた誓の顔から、朗らかな笑みがなくなっていた。

 願も心配そうな表情をしている。祈……願の妹は少し慌てているように見えた。


「結構……真面目な感じっすね」


「当たり前です。そもそも、私は貴方が陰陽師になることに賛成しているわけではありませんよ? 確かに貴方はには呪いを祓う才能はあるでしょう、普通の生活に必要のない不自由な体質を持っているでしょう、それでも普通に暮らせていけるのであれば、そのまま暮らしていけばいい。断言できますが、呪いに関わって幸せになることはありませんよ」


 自分にとっての普通の暮らしを考える。

 それはつまり……今まで通り、家族団欒や友達と遊ぶこと。

 その当たり前がなくなると、九十九は心に問いかけているのだろう。


「だけど、俺はもう〝呪い〟とやらに見つかってるんですよね? 時既に遅しって話では?」


 だけど、俺は既に呪いを祓う戦いへと一歩踏み込んだ場所にいるだろう。

 だからこそ〝呪い〟の話しを今更されている。本当なら師匠と出会った時にされてもいいはずなのに。


「えぇ、だから聞いているんです。今まさにと考えている貴方に」


「むっ」


「貴方の考えている通り、もう既に引けない状況です。まぁ、この引けない状況になてしまったのも、貴方を鍛えた榊のせいだと言えるでしょうが」


「なら!」


 陰陽師になるしか方法ない。

 そう言い返そうとしたが、


「貴方が陰陽師になりたくないと言うのであれば、私と榊で貴方の大事な全てを守り抜きましょう。どこでも、何をしていても、私達であればそれが可能です。よく考えなさい、心。もしかしたら――生きている間に二度と会えなくなるかもしれないんですよ? 家族への愛、友への愛はいつの時代でも尊いものです、それを失いたくないと思うのは生物の本能でしょう。果たして貴方に、その尊さを自ら手放す覚悟がありますか?」


 揺れる……物理的なものではなく、感情的に。

 初めての感覚だ――――今まで、そんなことを考えたことがなかったから。

 寝て起きたら家族がいて、学校に行ったら唯一の友達がいて、それが当たり前。一生会えなくなるなんて考えたこともなかった。


「……少し、考えます」


 九十九に問い詰めらた心は、力なく少し暗い表情で道場を出て行った。

 榊が心配そうに背中を眺めていると、


「情を……移し過ぎましたね」


 隣に座る九十九が小さく呟いた。

 その言葉の裏には「本来、私達には関係がないのに」と言っているような気がした。


「九十九様……」


「これは私の役目です。人間が少ないこの沖ノ連島離島で暮らしていたためか、呪いが見える以外にストレスがほとんどない環境で過ごしてきた。素直で純粋なあの子には良い薬になるでしょう」


「あれは、相当効いてたな……。珍しく揺らいでたぞ」


「年齢のわりに、ほとんど本能で生きているような子ですからね。あれで効いていなかったら困ります」


「あの、心のことは追わなくてもいいんでしょうか?」


「願、今は一人にしてあげて下さい。答えは見つけられないと思いますが、心の成長になるでしょうから」



 ◆



 時計が十二時を回った鐘が、微かに聞こえた。

 頭が回らない、そんな状態で歩き続けていたら、いつの間にか海沿いを歩いて遠くまで来ていたようだ。


「(あぁ……さっむ)」


 顔を上げると波打つ海。

 遠くに灯台が見えることから、合体山を超えて対馬の方へ来ていたらしい。


「……これが、巷で噂のエモいってやつなのかー……」


 砂浜に座り込んで、ただ海を眺める。

 太陽が一番高く昇る時間だと言うのに、沖ノ連島の冬の風は皮膚がヒリつくような凍える風だった。

 ただ、その痛み、その冷たさが今は心地良いとまで思う。


「(呪い……)」


 人形ひとがたのデブ化物……

 伝染していく呪い……

 写し世とかいう現実世界にそっくりな変な場所……


「(みんな大事な人に迷惑かけたくねぇ……。一生会いに行けないのはつれぇ……けど、もしも俺が口を滑らせたら――――)」


 いつも薄っすら嫌な思いをしながら払っていた黒い霧は、陰陽師で言う〝呪い〟と呼ばれているものだった。

 願の反応、見たこともない化物、あんな場所にいきなり連れて来られたとして、果たして正常な状態でいれるのか。否、正常であっても助かる方法があるのか。

 今回は運が良かったが、その幸運は果たして自分の大事な人に訪れるのか。


「(俺だけだ。たまたま俺の運が、にいただけ……)」


 答えは、出てる。

 俺が踏み切れないだけ。

 家族と会えなくなるのは嫌だし、友達と会えなくなるのも嫌だ。

 でも最悪なのは、大事な人を巻き込んでしまうかもしれないということ――――


「お? この時間に人がいるなんて珍しいこともあるもんだ」


「ん?」


 画材を持った男……年齢で言えば二十~三十歳くらいに見える。


「随分とまぁ……寒そうな格好だなー、少年」


「まぁ、はい」


 九十九に着せられたであろう和風の寝間着。

 確かに、端から見たら寒そうに見える。実際に寒い。


「黄昏れてたのか? 悩みが多そうな年頃だもんな」


 手に抱えていた画材を砂浜にセットし、真っ白なキャンバスボードを置いた男。

 沖ノ連島の開拓地では見たことがない……つまり、山を超えた対馬方面の人だ。


「まぁ、悩みっちゃぁ悩みっすね」


「少年はまだ若いもんなー、だいたい予想付くぞ。ずばり、恋だろ?」


「恋……恋とは違う気がしますねぇ」


 親父と母さんの馴れ初めの話は沢山聞いたけど、この感情は多分違うと思う。

 あの時は少しのドキドキとワクワクがあったけど、今はズーンと気分も鼓動も落ち込んでいるように感じる。


「なーんだ、恋じゃねえのか。若い時って言ったら恋の悩みだろ普通は」


「そういうもんすか? やっぱり恋とかって悩むもんなんすかね」


「当たり前だろ? 恋ってのは、ほとんどの人を悶々とさせんだよ。学校行く途中に好きな子に会ったらどうしよう? 教室で好きな子と目が合ったらどうしよう? 家に帰ってから、スマホを見てる時、眠る前、起きて学校に行くぞってなった時。色んな場所で、勝手に悩ませてくるのが恋ってもんなんだよ」


「す、すげぇ! まさか恋愛マスター!?」


「へへっ、褒めてもなんも出ねえぜ」


「大人ってすげぇ……。やっぱ色んな経験しないと色んな考え方って出来ないのか」


「まぁ、ぶっちゃけると人の性格ってのは経験が基礎だからな。その経験を糧にできるかって話だが……まっ、とにかく色んな経験しねえと小さい男になるぜ?」


 そう語る男は確かに色んな経験をしてきたのだろうと思えるような、人としての分厚さみたいなものを感じる。きっと酸いも甘いも経験してきたからこそ、中学生の自分なんかとも話を合わせられるのかもしれない。


「そ、それなら……やりたくないけど、やらないと後悔しそうな時って――――やらないといけないのかな?」


「お、なんだやっぱり恋の話か?」


「いや、恋じゃないけど……」


「恋じゃないかぁ……でも通ずるものはあるよな、やっぱり後悔ってのはしないほうが良いと思うぜ。そういう時の後悔ってのは、だいたい『失敗だった』で済まない方が多いしな」


「……なるほど」


「ただ、後悔ってのは何年、何十年後かには絶対にためになるもんだ。例え後悔してもってことを憶えておけばいい。人生に正解も不正解もないってのは、誰もをしていないからだしな」


「――――間違いはない、確かに」


 生まれて十五年、未だに後悔をしたことはない。

 もしかしたら成長してから、あれがダメだった、これがダメだったとなるかもしれないが……今のところはない。

 ということは――――まだ、自分の直感を信じても大丈夫ということだろう。

 なぜなら、少なくとも十五年間……正解の道を進んできたということだから。


「答えは見つかったか? 恋する少年!」


「うん、とりあえずはこのまま行ってみようかなって」


「良いじゃないか。自分で答えを選べたなら、そのまま進んでみな」


「やっぱり大人ってすげぇ!」


 別に答えは出ていないが、背中を押された気持ちなった。

 雲で少し太陽が隠れより温度が下がった海辺で二人。男に「もう十三時を回ったぞ、大丈夫か?」と言われ慌てて心は海辺を走る。


「あ、色々あざっした!」


 後ろを振り返って手を振る心に、男は笑顔で手を振り返す。


「おー……あいつ足早いなぁ」


 パレットに並べてある色から、肌色を掬い取りキャンバスボードに塗っていく。

 描かれているのは男からすれば、たった今――――目の前にいた少年。


「鍛えれた肉体、素直そうで操りやすそうな性格、身長はこんなもんだったか?」


 完成度約八割と言ったところで、自分が描いた絵に向かって黒を無茶苦茶に塗り手繰っていく。次第に少年の絵は真っ黒に染まり、キャンパスボードが何もなくなった。


「あぁ……良いぃぃ。まさに太陽が雲に隠れ始めるような……未練が感じとれるような……面白い少年だった。本当に、良い〝呪い〟を産んでくれそうだ――――」


 空を見上げると太陽が雲の裏に完全に隠れ、一瞬だけだが昼間とは思えないほど周辺が暗くなる。

 しかし男が見ていたのは、そんな薄暗くなる瞬間だった。

 空にゆっくりと描かれていく術の軌跡――――


「暗くなると……でも、結界はまだ完全じゃないなぁ。でもここに来てはいるんだよなー、は。新年に向けての準備と被って忙しくしている……? ありえないか、癸の人間は真面目なやつが多い。なら、なんか問題があった――――勘付かれたか?」


 しかし、例え〝写し世〟から現実世界へ〝呪い〟が干渉していたとしても問題はない。〝呪い〟を視認できる人なんて、陰陽庁にいた頃でも聞いたことも見たこともない。


「焦るな、逸るな、まずは癸よりも片付けないといけないやつがいるだろう?」


 誰かは分からない。

 もしかしたら、癸の結界が呪いを防いでいるのかもしれない。

 色んな可能性を考えて、考えて、考えたが……結局分からなかった。

 でも、不安要素を探すのは間違いではない。

 

「そいつに集中しよう」


 三年前から潜入している沖ノ連島。

 対馬を主に、数々の小さな島が霊災の影響でぶつかりあった特殊な島。

 隅々まで調べた、慎重に……慎重に進めてきたから三年もかかった。

 だが、念入りに進めて来た計画を邪魔してくる存在が、この沖ノ連島にいることは分かっている。だが、それは『酒呑童子』や『天幻無尾』の仕業ではない。あれは現実世界に干渉してはいけない約束を『初代 安倍晴明』と交わしているはずだ。


「昨日も邪魔が入ったんだよなー……まぁ、あの呪力に反応したってことは癸の家系だろう。……は用意してあるし探ってみるか。〝写し世〟混じりの時……準備も終わってないようだし、仕掛けるなら早い方が良いな」


 その男は影に溶けるように、ゆっくりと黒い渦の中へ消えていく。

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