言えない気持ち

 昼食を終えて研究室に行くと、早速遠藤先生が話しかけてきた。


「有紗先生、例の論文のURLと概要を印刷しておいたから、時間がある時に見てみてよ」


 そして、私が使っている机の上にA4サイズの紙を置く。


「ありがとうございます、先生」


 私は、座りながら礼を言うと早速先生がくれた紙に目を通す。そんな私をジッと見た後、先生は真顔で聞いて来る。


「ねえ、有紗先生。ちょっと変な事聞いても良い?」

「何ですか?」


 先生は、少し躊躇する様子を見せてから、言葉を続けた。


「有紗先生は、さ。脇坂先生と、付き合ってるの?」


 私は目を見開き、右手をブンブンと振って答えた。


「つ、付き合ってなんかいませんよ。親友ではありますけれど! あくまで友人です!」


 すると、先生は少しホッとした表情になって言った。


「そっか。……ごめんね、変な事聞いて」

「いえ、大丈夫です。ハハ……」


 私は、笑いながらノートパソコンを操作する。脇坂と付き合うわけ無い。だって、私は大学二年の時から、ずっと遠藤先生の事が好きだったんだから……。




 私が大学二年生の時。ある日私が学食で昼食を取っていると、同期生の女子数人が私の方に近付いて来た。その中でもリーダー格らしい金髪ロングの髪の女子が私に向かって言う。


「ねえ、あなた豊橋さんだよね? 私、崎本さきもとって言うんだけど、生化学せいかがくの実習のレポートをやってたら写させてもらえない? 今日が提出期限なのをすっかり忘れててさ」


 私は、戸惑いながら崎本さんに答える。


「あの……レポートを丸写ししたら先生にバレるんじゃ……」

「ええー、いいじゃん、写させてよ。仮に丸写しがバレても豊橋さんの事を庇うからさ」


 そんな事を言われても、私の方が丸写ししたと疑われるような状況は避けたい。私が困っていると、後ろから声が聞こえた。


「んー、丸写しはいけないなあ」


 見ると、声を掛けて来たのは二十代くらいの男性。青いトレーナーにジーンズというラフな格好をしている。崎本さんは、不愉快そうに眉根を寄せて男性に聞いた。


「どちら様? あなたには関係の無い話だと思うんですけど」


 すると、男性は笑顔で答える。


「俺は、大学院生の遠藤一哉。専攻は違うけど、生化学の太田おおた先生とは結構話す仲でね。余計な事かもしれないけど、レポートの丸写しはやめた方が良いよ。先生は鋭いから不正なんてすぐに分かるし、そういう不正があれば容赦なく単位を落とすから」


 崎本さんは、グッと言葉に詰まった後、「もういいわよ!」と言ってその場を後にした。


 崎本さん達がいなくなった後、私は男性に礼を言った。


「あの、ありがとうございました。助かりました」


 すると、男性――遠藤さんは、手を横に振って言った。


「ああ、良いんだよ、気にしなくて。頑張って書いたレポートを丸写しなんてされたくないよね。君、毎日自習室で勉強してたでしょ。俺も自習室に行く事が多いから、君の顔を覚えちゃったよ」


 私は、そう言う遠藤さんの笑顔を見て目を瞠った。彼の笑顔が、とても素敵に見えた。


 それから私は、たまに遠藤さんのいる研究室に顔を出すようになり、彼と同じく細胞制御学の研究をしたいと思うようになった。


 そして私は大学四年生の時に細胞制御学の研究室に配属され、今に至る。遠藤先生が私を「有紗先生」と呼ぶようになったのは、私が大学院生になった辺りだろうか。




「有紗先生、どうかした? ボーっとして」

「い、いえ、何でもありません!」


 そう言うと私は、またノートパソコンに視線を落とした。七年前の事を思い出している場合じゃない。ちゃんと研究しないと。私は、先生の隣に立てるような研究者になりたいんだから。


       ◆ ◆ ◆


 翌日。私が夕方に研究棟の廊下を歩いていると、向こうから脇坂が歩いて来るのが見えた。


「あ、脇坂! あんたも今から夕食買いに行くの?」


 脇坂は、あきれた様子で答える。


「違えよ! スマホを研究室に忘れたから取りに行くだけだよ! 大体、俺が向かってんのエントランスと逆方向じゃねえか。ほぼ毎日夜まで研究してるお前と一緒にすんな」

「あ、そ、そうなんだ……」


 私はぎこちなく笑う。そうか。夕食をコンビニで買った後、また研究室に戻って研究する私と一緒にされたくないか。


 脇坂は、私をジッと見た後言った。


「……お前さ、どうしてそんなに一生懸命研究するんだよ。やっぱり、遠藤先生の事が好きだからか?」

「へあっ!!」


 急に私の気持ちを言い当てられ、私は変な声を上げた。どうしよう。先生の事を好きだなんてバレたら、先生に迷惑が掛かるかもしれない。

 私は、アワアワしながら否定する。


「ち、違うよ! 私は、細胞制御学に興味を持ったから一生懸命研究してるの! 先生に恋愛感情があるとか無いから!」


「アハハ、そりゃそうだよねー」


 不意に声が聞こえ、私はバッと後ろを振り返る。そこにいたのは、笑顔を張り付けた遠藤先生だった。


「せ、先生……」


 思わず声を漏らす私に、先生が言う。


「ごめんねー、有紗先生。気を遣わせちゃって。……脇坂先生。有紗先生が俺に惚れるなんてあり得ないよ。俺は研究一筋で、女の子に気の利いたセリフ一つ言えないんだ。だから、もう変な事を言わないでね」


 そう言うと、先生はスッと私の側を通り過ぎて行った。


 ――待って! 行かないで! 本当は私、先生の事が大好きなの!


 そう言って呼び止めたかった。縋りつきたかった。でも、先生の迷惑になると思うと、何も出来なかった。


 先生が去った後、廊下には無言の私と脇坂だけが取り残された。

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