全人類はブロッコリースプラウトを食え

鈴乃

【全人類はブロッコリースプラウトを食え】

 ある日の食卓に見慣れない野菜があった。

 サラダの上に散らされたそいつは短いカイワレのようだった。


「ブロッコリースプラウトっていうのよ」


 妻が言った。


「毎日食べると体にいいんだって」

「へえ」


 と言って俺はひとくち食べた。

 見た目通り、カイワレの親戚みたいな味だ。辛いと言えば辛いが、糸みたいに細く切った大根よりは辛い、くらいだ。


「薬味にしては頼りないな。もっとほしい」

「ちょっとでいいのよ」

「へえ」


 妻がキッチンを指した。

 豆腐より少し大きいくらいのプラスチックパックに、根っこ付きのブロッコリースプラウトがお行儀よく立っている。


「2パック買ったの。カットして食べてね」

「うん」


 これがすべての始まりだった。


 俺はその日のうちにブロッコリースプラウト――――ブロスプについて調べた。

 アブラナ科。成分には抗酸化作用や解毒能力を高める効果がある。1日30gが適量。加熱すると効果が半減する。


「なるほど。カゼの予防に良さそうだな」


 俺は納得した。


 冬とか春とか夏とか秋とか、この世では年中カゼが流行っている。

 電車には一両に二人はゴホゴホ言ってるし、会社に行けば上司がマスクもせずくしゃみをぶっ放す。

 たまにレストランで心配になるほど咳をしてるやつはなんだ? その体調で洋食レストランに来て大丈夫なのか?


 そういうわけで俺は毎日ブロスプを食べた。

 納豆に混ぜたり、サラダにのせたり、忙しい日はハサミで切ってつまみ食った。

 妻もだ。


 だが一週間たって気づいた。


 ブロスプが減らない。

 俺たちが食うよりも早く伸びてるんだ。


 4日もあれば完食できそうなパックの中で、フタが閉まらないくらいブロスプがひしめいている。


「意外と成長が早いんだな」


 俺は笑った。このときはまだ笑っていられた


 適当な皿に水を張ってプロスプを株分けした。

『思ったより長持ちするんだ。買わなくてラッキー』くらいの気持ちだった。


 株分けしたブロスプは爆発的な速さで伸びた。

 2つに分けたから2倍のスピードだ。


 気づけばキッチンテーブルの天板はブロスプで埋まっていた。

 俺と妻はリビングが侵食されないよう必死だった。


「ブロスプ食べてよ!」

「食べてるよ!」


 口ゲンカが絶えなくなった。


 一度、早く片づけてしまおうと思って、50gほど一気に食った。

 そこからのことは思い出したくもない。

 俺は世界新の速さで体調を崩し、救急車の世話になった。


「――――捨てよう」


 俺たちは決断した。

 ブロスプを初めて食べてから3ヵ月が経っていた。

 食べ物を捨てる罪悪感はあったが、ブロスプはリビングの床まで広がりつつあった。


 それでもきっとうしろめたかったんだ。俺と妻は深夜、ブロスプでパンパンのゴミ袋を3袋、回収に出した。

 24時間ゴミ捨て可のマンションに住んでいてよかった。


 夜が明けた。

 俺と妻はけたたましいサイレンで目を覚ました。


 俺は窓から乗り出して表を見た。

 緑のかたまりがマンションのエントランスを飲み込んでいた。見覚えのあるツタ先が1階の窓を覆い、2階に届こうとしていた。


 警察と自衛隊と消防が来た。

 悪しきブロスプは切り払われ、トラックに積まれて郊外のごみ処理場へ運ばれた。


 ご近所さんがひそひそウワサする。


「何だったのかしら」

「知らない、きっと危ない植物よ」

「この町にそんなものを育ててる人がねえ……」


 一応、管理会社から

「あれはブロッコリースプラウトという安全な野菜だ」

と説明があったが、耳慣れない単語に首をかしげる人のほうが多かった。


 俺と妻は息をひそめて日々をやり過ごした。

 口には出さなかったが『大変なことをやってしまった』と思った。


 だが安心もしていた。

 だってもう我が家にブロスプはないんだ。ごみ処理場で焼かれて埋め立てられた。もうキッチンから迫る緑のじゅうたんにおびえなくていい。


 俺たちはいつしかブロスプのことを忘れ、仲むつまじく平穏に過ごしていた。


 そして、例の感染症が世界を恐怖させた。


 外出は制限され、マスクも薬も行き届かない。みんなが不安で、希望が見えなくて、誰かのちょっとしたルール違反に大騒ぎすることでどうにか平静を保っていた。


『郊外の埋め立て地が大量のブロスプで覆いつくされ、町まで伸びています』


 ニュースを見て俺は、いや俺だけじゃない、人々は思い出した。ブロスプには高い健康効果があることを。


 葛藤はあった。だって発生源はゴミ捨て場だ。 

 でも、街の近くまで伸びてきているんだから、そこから収穫すれば、死ぬほど不衛生ってこともないんじゃないか?


 たぶん多くの人も同じように考えて、こっそりブロスプを刈りに行った。

『誰かに見られたら叩かれる』と思っているから、人に見られないように真夜中を選んだ。


 入れ替わり立ち代わり、誰かがブロスプを刈って、去る。

 街に届きつつあったブロスプはどんどん短くなって、最後のほうはみんな埋め立て地まで行って刈っていた。


 3年かかって、人類はあらたな病に追いついた。

 ブロスプの効果がどれくらいあったかは知らないが、俺の街では死者は少ないほうだったらしい。


 地図を見てくれ。


『南ブロスプ市』って地名があるだろう。そこが俺のいた街だ。

 元は別の名前だった。みんなが呼ぶからそうなっちまった。


 人類は例の病との折りあい方を見つけた。みんな安心して、だんだんブロスプを食わなくなった。俺もさ。

 結果ブロスプは伸びまくって、ついに街を埋めつくしてしまった。


 焼いても埋めても、種のカケラが生きていればまた芽を出す。一部の業者が無断で収穫して売ってたが、その程度じゃ一晩で元通りだ。


 南ブロスプ市の景観は人気らしい。

 無人の建物や家具がそっくり緑に覆われて神秘的だとか、自然の力を感じられるパワースポットだとか。

 ここをユネスコが保護するって案も出てるそうだが、俺は反対だ。

 やつらはそんなか弱いもんじゃない。


 俺は先週ネットニュースを見た。

 南ブロスプ市隣町の境まで、ブロスプが伸び始めていると。

 このままでは第二第三の南プロスプ市が生まれてしまう。


 俺と妻が始めた過ちだ。俺たち二人が責任を取るべきだが、二人で食べられるブロスプの量には限界がある。


 今売られてるブロスプの7割は、南ブロスプ市から収穫されたものらしい。モグリの業者じゃなく、国の認可を受けた農家がきちんと収穫してる。

 にもかかわらずあの町のブロスプは減らない。

 なぜかって? ブロスプを食うやつが少ないから、全体の流通量も大したことないのさ。


 だから俺は協力者を募っているんだ。

 なるべくたくさんの、健康な人々の力がいるんだ。


 全人類はブロッコリースプラウトを食え。

 上限は1日30gだ。食べ過ぎると肝臓に負担がかかる。

 法に触れるから断定はできないが、少なくとも俺はカゼだけはひきにくくなった。


 全人類はブロッコリースプラウトを食え。

 おひとり様1パックまでだ。

 買い占めはするな。俺と同じ運命をたどるぞ。


 全人類はブロッコリースプラウトを食え。

 ただし子供に無理に食わせるのはよせ。

 持病や体質によって合わない場合もあるから、個人の責任と判断で少しずつ試してくれ。


 じゃあな。

 俺は今日のぶんのブロスプを食いに行く。

 カゼひくなよ。




end.

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