第13話 師弟
アンヘルの頭痛は次第に烈しくなった。それは頭蓋の奥で、鈍い楔を打ち込まれるような痛みだった。痛みには波があり、よくなる時もあれば悪くなる時もあった。
いずれにせよ、剣はもう握れない。アンヘルは竜狩りを止め、物乞いをして暮らすようになった。時折、神官モルドバが現れる。理由は分からない。しかしモルドバは時折現れて、アンヘルに金銭と食料を与えてくれた。
このころから、アンヘルは詩を紡ぐようになった。
それがアンヘルなりの運命に対する反逆だった。
壊れていく自分を、沈黙のまま“終わらせない”ための、最後の抵抗だった。
運命は人を選び取る
高い魂は高い道を
低い魂は低い道を
高潔な魂よ 聖なる蒼空を見たか
暗黒の魂よ 地獄の深淵を見たか
奇蹟にも似た
強く美しい旅の終わりに
どちらにもなれない私は
運命の指先からこぼれ落ちて
ぼんやりとした平らな土地に
塵(ちり)となって乾いていく
そのように魂が降り積み
土に還る場所があるという
届かなかった歌が響き
風として巡る場所があるという
そうして生命が溢れていく
高い尾根に高い木々が
低い渓谷に低い繁みが
凡庸の私よ 芽吹く命を見たか
凡庸の私よ 育つ命を見たか
いびつに歪んだ
価値なくさまよう旅の終わりに
運命が人を選び取る
高い魂は高い道を
低い魂は低い道を
やがて新しい子供たちの
運命に満ちた旅が始まる
ぼんやりとした平らな土地に
真理と幻想が溢れていく
どちらにもなれない君は
運命の指先から零れ落ちて
それでも降り積む塵を散らし
剣を手に取り歩いていく
そのように物語が始まり
集う場所があるという
祝福する歌が響き
風として巡る場所があるという
そうして生命が溢れていく
高い尾根に高い木々が
低い渓谷に低い繁みが
凡庸の君よ 潤(うるお)う井戸を見たか
凡庸の君よ そよぐ麦畑を見たか
終わらぬ日常
朽ちない生存衝動の果てに
求める安らぎの場所
君の安らぎを祈っている
私の魂が作り君に与えた
この豊かな土と風の中で
アンヘルが“飛竜狩り”と呼ばれる英雄であるためだろう。まるで幼児が毛布を必要とするように、竜狩り達はアンヘルの詩編を口にするようになった。最初、それは縁起担ぎの一種だった。
ある者は焚き火の前で。
ある者は刃を研ぐ手を止めて。
ある者は目を閉じ。
ある者は唇を噛みしめながら。
次第にアンヘルの詩編は、竜狩りたちにとって特別な意味をもつようになった。戦士達は任務に出かけるその瞬間、半ば祈りのようにアンヘルの詩編を口にするようになった。
信じていなさい
貴方は奇妙な果実であることを
葉は死して実を守る
枝は生きて実を守る
育つ貴方は
未来を繋ぐ者であることを
信じていなさい
貴方は奇妙な果実であることを
少年の唇はセルリに香り
少女の頬はツメクサに香る
貴方は歌う
高らかに歌う者であることを
信じていなさい
果実の種が芽吹くことを
鳥たちは種を運ぶ
運命が種を育てる
滅びた貴方を
繋いだ命が語り継ぐことを
死を前にしたら、だれも懐疑論者にはなれない。誰もが生き延びるためにアンヘルの詩編を口ずさんだ。仕事に向かう前の厳かな儀式として詩編のひとつを口にするようになった。
もちろん、そのことで冗談を言う者も多かった。だが飛竜狩りのアンヘルは、飛竜と戦い、怪我もかすり傷も負わずに帰ってきた猛者のなかの猛者だった。中型竜を何度も屠ってきた実績があった。それは確固たる事実だった。誰も反論できなかった。
いつからか、竜狩り全員がアンヘルを師匠(マスター)と呼ぶようになっていた。
ある時から少年がアンヘルの身の回りをうろつくようになった。少年は怯え、消耗していた。まだ背は低く、肩幅も狭い。歩くたびに靴底が石畳に擦れ、かすかな音を立てる。少年の目は落ち着きなく揺れ、周囲を窺うたびに肩がすくむ。その指先は常に冷えていて、膝の上で小さく震えていた。
アンヘルは「お前は大丈夫だ(You be all right)」と少年に呟いた。モルドバが持ってきた干し魚やリンゴを少年と分け合って食べた。干し魚は塩気が強く、噛むたびに歯にきしむ音が残った。リンゴは酸味が強く、かじると果汁が舌の奥に滲んだ。
少年は無理に微笑もうとした。アンヘルは首を横に振って、そんなことしなくていいんだよ、と少年に伝えた。
アンヘルには分かっていた。すくなくとも、おおよそ少年が抱えている悩みは理解できるような気がした。
焼き立ての匂いは消え、乾いた粉の匂いだけが通りに漂っている。
「竜狩りに出るべし」と叫ぶ声が、酒場や路地の奥から飛び交うようになっていた。
要するにこの都市は総意として、口減らしを要求していた。
少年は竜狩りとなって死ぬか、それとも都市から放逐されて死ぬかの二択を迫られていた。
アンヘルは少年に一切質問しなかった。少年の好きなようにさせることにした。アンヘルは少年を野原に連れ出し、火を
なにか体を動かせる仕事をして気を紛らわせるほうが、少年にとって良いことのような気がした。アンヘルは少年に薪割りを教えた。斧が木に当たるたび、乾いた衝撃が腕に返り、木片が弾け飛ぶ。アンヘルと少年は何時間も何も言わずに黙々と薪割りを続けた。
少年は良く食べ、良く働いた。でも夜になると声を殺して泣いていた。暗がりの中で、鼻をすする音が小さく続く。アンヘルが少年に名を聞くと、少年は「カイル」と名乗った。
「カイル。」
アンヘルはカイルを見た。
「お前は大丈夫だ。」
それだけを伝えた。
カイルは以前、豚の屠殺場で働いていたことを話した。アンヘルが「ひどい仕事か」と尋ねると、カイルは
それらをすっかり聞いてから、アンヘルはカイルにいくつか必要な技術を教えた。
傷口を洗い、布を巻く手順。
竜が嫌う匂いと、好む獲物の癖。
銃の冷たい鉄の重みと、引き金の感触。
竜に追われたとき、幹に爪を立ててよじ登る動き。
湿った地面でも火を起こす方法。
ほどけない結び目の作り方。
森で道を失ったとき、太陽と風を読む仕方。
教えることがなくなると、アンヘルはカイルに剣術を教えた。カイルは汗だくになって剣術を覚えようとした。そこには生き残りがかかっていた。時代がカイルを竜狩りとなることを要求していた。木剣がぶつかるたび、乾いた音が野に響く。カイルは汗だくになり、息を切らしながら剣を振った。
そして一カ月が過ぎたころ、アンヘルはカイルに竜狩りギルドで仕事を受ける方法を教えた。教えられることはそれで最後だった。北の方からひやりとした微風が吹き付ける。そのような日の午後だった。カイルは対岸を見るようにギルドの掲示板を眺めていた。アンヘルも同じように掲示板を眺めた。どれをとっても危険な仕事ばかりだった。
カイルは微笑もうと努力していた。でも結局声を上げて泣いてしまった。アンヘルはそれに気が付かないふりをして掲示板に視線を向け続けた。今、カイルを運命に押し出そうとしているものがなにか分かるような気がした。それは面子だった。プライドと言う愚かしく、それでいて切実な感情。きっとカイルには家族がいるのだろう。カイルが逃げることで恥ずかしい思いをする人がいるのだろう。カイルの兄や妹の顔が見える様な気がした。両親の顔が見える様な気がした。彼に仕事を与えた主人の顔が見える様な気がした。
掲示板の前には竜狩りの戦士達が数多くいた。カイルをあざけるような人間は誰もいなかった。
カイルは泣きながら番号を書き留めた。そしてギルドの受付に番号を提出した。受付嬢が木札を差し出し、カイルは木札を受け取った。そこにいる全員が目撃者だった。人が選択をしようとするとき見守る神や神々のように、絶対的な沈黙を持ってカイルを見守っていた。
カイルは仕事を受けた。カイルの物語が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます