第二部 カイル

第14話 星空

 ——お前は大丈夫だ(be all right)


 カイルは師の言葉を噛みしめ、小型竜の出現地点で待ち伏せをしていた。道沿いに密生したクロスグリの藪に身を潜めていた。星の位置が傾いても何の変化もなかった。あたりはまだ暗く、霞がかかっていた。


 カイルは鞘から剣を引き抜き、その形を眺めた。アンヘルから譲り受けた魔剣。それは確かにわずかな伸縮を繰り返していた。


 ひとつひとつ細かい段階を踏むように、夜明けはやってきた。わずかな眠気を覚えながら道を見つめていた時に、竜人の娘が現れた。


 竜人の娘は黒いローブを纏い、美しいサンダルを履いていた。灰色の美しい両眼をしていた。娘はリラックスしている気配をまとっていた。片手に籠を持っていた。特に急ぐ様子もなく、娘は道の真ん中を歩いていた。


 思わずカイルは立ち上がっていた。条件反射的にそうすべきだと思っただけだった。道徳や、政治学や、あるいは何らかの責務を考慮してそうしたわけではなかった。


 娘が振り返り、カイルを見つめた。


 カイルは「違うんだ」と言った。


「怖がらないでくれ。竜狩りをしているんだ。」


 カイルはそう言った。


 娘はカイルを見つめてから、奇妙なことをした。娘は優雅な物腰でゆっくりとターンをした。それから半分目を閉じて、つま先で立って美しいステップを踏んだ。それはソロで踊るワルツだった。娘は規則正しいステップで、クローズドチェンジ、ナチュラルスピンターン、リバースターンを繰り返した。


 カイルが見つめている間、娘は踊り続けていた。彼女は夢を見ているように見えた。だから、カイルは娘に声をかけた。


「ここは危険なんだ。竜の出没情報があって、だから、僕はここにいないといけなくて、」


 カイルがそう言っている間も、娘は踊り続けていた。それから娘はお辞儀をして、ダンスを止めた。


 カイルは首を横に振った。


「ここは危険地帯だよ。君の家まで送るよ。」


 そう言ってしまってから、カイルはあわてて付け足した。


「もちろん、もし君が嫌でなければ。」


 カイルがそう言うと、娘は一瞬首をかしげて、それから頬を上げてわずかに笑顔を見せた。それから、娘は歩き出していた。


 カイルは再び首を横に振った。知的に障害のある娘なのかもしれない、と本気で思った。だとしたら、ますます一人にしてはおけない。ここは危険なのだ。


「安全地帯まで送るよ。迷惑ならそう言ってくれ。」


 カイルは娘の背中にそう言って、娘の背後をついて歩いた。


 娘はカイルを振り返り、空を指さした。

「10万年前に、星降る夜があったのよ。翼を備えた機械が星たちの世界に飛び立って小さな隕石を捕まえた。そうしてから、機械は流れ星になってこの人間世界に帰還した。沈黙の海、記憶の無い海、黒い海や香料の海、夢みる海や白の果てに幾度も星降る夜が続いた。」


 娘は再び歩き出していた。


「ある法治国家の集合体は、さらにおおくの小惑星を手に入れようとした。そのために特別な機械を作り、その機械が人工島を作り出した。機械たちはたくさん働いて、人工の諸島を作り出した。諸島が大きくなった分、所有できる海の面積も大きくなった。そうして法治国家の集合体は、合法的に隕石を集積してさらにたくさんの機械を作り出した。」


 娘は言葉を重ねていた。


「人間は、その諸島を総称してリステンブルグと呼んでいた。人間達が衰退した後も、機械たちは動き続けてリステンブルグを拡大させた。そうしてリステンブルグは一つになって、別の陸地に接合するほどに拡大した。大きな半島になったのよ。」


 娘はそう言って、カイルを振り返った。


「私たちは竜人。学名はオリニス・サピエンス。リステンブルグで生まれた種族なんだよ。」


 それが娘の言葉だった。


 カイルは首を横に振ることしかできなかった。


「戦場では馬鹿げたことが起こる」とアンヘルは言っていた。その通りかもしれない、とカイルは思った。カイルは竜を狩るためにこの場所へ来た。今は竜人の娘について歩いている。


 娘は北方向へ歩き、壊れた寺院を目印にして進路を変えて北東へと進路を変えた。


 遠くでハプタ藻油のランタンが揺れていた。天井を低く抑えた小さな家が立ち並んでいた。土を固めた道があり、草食竜が草をはむ竜舎があった。丸みを帯びた屋根の隙間から、細い煙が立ちのぼっていた。


 娘はランタンの光る場所に向けて、まっすぐに歩きつづけていた。


 カイルは、ひょっとして自分は別の世界に踏み込んでいるのではないか、と思った。実はもう竜に狩り殺されていて、死後の世界に来てしまったのではないか。そう思えるほど、目の前の娘はどこか現実離れした雰囲気をまとっていた。


 家屋が近づくと、温めたミルクと煮込みスープの匂いがした。草食竜の濡れた鼻息と、草を噛む湿った音が聞こえた。戦場の匂いとは正反対の、暮らしの匂いがあふれていた。


 娘が住居のひとつに歩を向けて、木扉を開けた。そうしてカイルを振り向き、「来て」と言った。カイルはしばらくの間、どうしたものかと逡巡しゅんじゅんした。入る理由も入らない理由もない。心の中で、アンヘルならどうしただろう、と思った。


 アンヘルなら——竜の情報を得るために出来る努力をするだろう。


 そう思った。ここまで来たのなら、竜の情報を集めるために出来ることをするだろう。三日後には契約期間が切れる。目撃情報は多い方がいい。カイルは剣の柄に手を触れた。アンヘルの名誉のためにも、初任務は成功で終わらせたい。


 カイルは娘の眼をまっすぐ見て踏み出し、木扉をくぐった。


 カイルは家の中に視線を巡らせた。家屋の中には、おびただしい書物と薬瓶が並んでいた。乾いた紙の匂いと、薬草を煮詰めた甘苦い香りが混じり合っている。空気は温かく、わずかに湿っていた。壁際の棚には古い巻物が積まれ、硝子瓶の中では淡い色の液体がランタンの光を受けて揺れていた。


 床は滑らかで、素足でも歩けそうなほど整えられている。


 そしてテーブルの先に老いた竜人が座っていた。


 竜人の娘が老人に向けて「私の護衛をしてくれたんだよ。」と言った。

 そして「何か食べ物をあげたいの。」と付け加えた。


 老人はわずかにうなづいたようだった。灰色に近い肌をしていた。長い年月を刻んだ皺が目元に深く刻まれている。だが、その眼だけは、刃のように澄んでいた。


「お前は竜狩りか。娘が、リザが世話になったようだ。」


 鋭い目で、老人はカイルにそう言った。カイルは頷いた。


「僕は竜狩りだよ。依頼を受けてきたんだ。」


 老人は目をしばたいて、まっすぐにカイルを見つめた。


「怖いとは、思わんのか。奴らは咆撃を吐くぞ。」


 老人の言葉を受けて、カイルは自分の左腕を示した。


「逆鱗の盾がある。師から譲り受けた。」


 カイルはそう答え、うなだれた。そう答えた瞬間、胸の奥が締めつけられ、カイルは視線を落とした。


「そう。僕は先生からたくさんの物事を教わった。たくさんのものを譲り受けた。先生のためにも、絶対に竜狩りは成功させたい。もちろん、僕のためにも。情報が欲しいんだ。」


 カイルは視線を上げ、老人にそう言った。老人は、情報か、と呟いた。


「この辺りに小さな竜の集団がいるのは間違いないな。儂らも家畜を少しやられた。」


「大勢ではないんだね。」


「糞の量と足跡から見ても、大勢とは思えんな。被害も大したものではない。」


 竜人の娘——リザが、温かいシチューを持ってきた。リザは「召し上がれ」と言った。香草と乳の匂いが広がり、腹の奥がきゅっと鳴る。


 カイルは、どうしたものか、と思案したが、結局、さじをとった。とろりとしたシチューを口に運ぶ。シチューは舌にやさしく、根菜の甘みと肉の旨味が静かに広がった。

 冷えきっていた身体が、内側からほどけていくのが分かる。シチューはおいしかった。気が付くと、カイルは夢中でシチューをむさぼっていた。


「シチューをありがとう。ごちそうさま。」

 カイルはそう言い、席をたった。結局、我を忘れてシチューを完食してしまった。自分の未熟さが恥ずかしかった。


「また来い。」

 老人がそう言った。




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