でまえ

香久山 ゆみ

でまえ

「えっ、まじでラーメン屋っすか!」

「だから、ラーメン屋に行くって言っただろうよ」

 俺の素っ頓狂な声に、和久さんが溜め息を吐く。まるで紫煙のように夜気に吐き出された白い息、ハードボイルドである。

 なーんていってみたものの、その実、俺ら二人とも警察の窓際族だ。警察庁の地下の隅の隅の窓もない資料保管室勤務。未解決のまま時効を迎えた事件資料がたまに持ち込まれて、それを採番・整理するだけの仕事。暇で仕方ない。

 だが、和久さんは時々一人こそこそ抜け駆けしてなにやら事件の捜査をしているっぽい。ずるい。なので、和久さんが今日も早めに切上げて退勤しようとしてたのを見つけてくっついてきたら、ラーメン屋である。確かに「ラーメン食いに行くだけだ」とは言っていたけれど。でも。

「大将、どうも」

「和久さん、らっしゃい。お、今晩は二人ですか」

 和久さんが暖簾をくぐると愛想のいい声と美味そうな油のにおいがする。ぐ~、腹が鳴る。和久さんは常連らしい。「例の」と言いながら、カウンターの奥の席に座る。

「お前、なに頼むんだ」

「え、和久さんは?」

「俺はだよ」

 そう言ってにやりと笑う。教えてくれない。けちんぼ。

「じゃあ俺は、えーと……、豚骨ラーメン。それからチャーハン、あと餃子と、唐揚げもお願いします」

「くくっ、よく食うな」

 和久さんが目を細める。

「俺、若いですから」

 捜査を手伝わせてもらえない腹いせにどんどん頼む。

「なんで一緒に捜査させてくれないんですか」

「捜査ってもんじゃねえよ」

「なら俺が一緒でもいいじゃないですか」

「お前さんとはまだ馴染みじゃないからなあ」

「一緒に仕事してもう二ヶ月じゃないですか」

二ヶ月だよ。何でも首突っ込むんじゃねえ」

 怒った様子でもなく飄々と言う。尚更まだ信頼されていないのだという気がする。ちぇっ。

 どれ程の時間も掛からず、注文品が次々出てくる。

 俺の前に、おひや、餃子、唐揚げ、チャーハン。和久さんの前に、餃子と、あっ、ビール! くそぅ、俺も頼めばよかった。

 目の前の料理をバクバク食ってると、カウンターから「お待ち!」とラーメンも出てきた。どん、と和久さんの前に置かれたのは魚介ラーメン。あーくそ、魚介出汁もいいなあ。とよそ見をしていると、どん、と俺の前にもどんぶりが置かれる。……あ……、指……。目の前に出されたラーメンの豚骨スープにしっかりがっつり白い親指がかっている。「あの」と声を上げる間もなく、指はカウンターの向こうに引っ込んでいった。

 ええ~。思いっきり指入ってたんですけど。大将から出汁とってんですかって言うくらいにずっぽりと。なんなら麺とか他の具材にも付いてたと思うんですけど。

 ちらと隣を窺うと、和久さんはズルズルと美味そうにラーメンを啜っている。

 俺だけたまたま? それともこの店ではこれが普通なのか? 調理場を覗くと、大将は何事もなかったように中華鍋を大いに振るっている。

 はぁ~。ぐちぐち言って小さい男だと思われるのも癪なので、諦めてラーメンを食う。

「どうだ?」

 和久さんが訊く。

「はあ、まあ……、美味いです……」

 まあとかじゃなくて味はめちゃくちゃに美味い。こってりした豚骨脂が食欲を刺激する。もう大分食べたのに、まだ食いたくなる。ただ、脂を感じるほどに大将の指が脳裏をかすめる。いや、別に調理中にも食材を触るんだし同じっちゃあ同じかもしんないけどさあ、なんか気持ち悪いっていうか、でもそれを言うとこれだから現代っ子はとか言われそうだし……、と内心ブツブツ呟きながらも、美味いから箸がすすむ。

「スープも残すなよ」

「へーい……」

 ズズズッとスープを飲み干して「ごちそうさまでした」と、トンッとカウンターにカラのどんぶりを置く。

「ありがとよ。兄ちゃん、これおまけだ」

 俺の食いっぷりが良かったのか、大将がカウンターに杏仁豆腐の皿を出してくれる。ああ、杏仁豆腐の白に毛むくじゃらの手がよく映える。また指入りラーメンを思い出してうえっとなる。……ん?

 あれ? さっきラーメンを出してくれたのは白い指だったよな。毛むくじゃらの大将の指とは全然違う……。カウンターの中や店内をきょろきょろ見回すが、狭い店内には他に店員もいない。時間が早いせいか、さっき一人客が帰って、今は客も俺達だけだ。

「どうした?」

 狐につままれたような顔をしていると、和久さんに声を掛けられる。振り返ると、和久さんが爪楊枝を咥えながらこっちを見てる。別に心配しているふうでもないし、実際大したことではないんだけども。

「あの……指……」

 もごもご言うと、楊枝を灰皿に捨てた和久さんがふっと笑う。

「ああ、しっかりと白い指が浸かってるのが見えたのに完食したんだな。えらいぞ」

「え?」

「普通は幽霊の指が浸かっているのが見えたら、気味が悪くて食えたもんじゃないからな」

「は? え?」

 コトン、とカウンターに紹興酒が置かれる。

「本当に兄ちゃんのお蔭で助かったよ。これもサービスだ」

 大将がにこにこしている。


 一年前、居抜きで店を借りて始めたラーメン屋だが、カウンターに座った客から時々妙な苦情を受けた。

 ――出されたラーメンに幽霊の指が浸かってたから怖くて食えない。

 眉唾物の噂のため広まりはしなかったが、客足も伸びない。味には自信があるが、数回通ううちに噂が耳に入り、足が遠のく。

 近隣からそれとなく話を聞いたところ、大将が入る前も中華料理屋だったが、そこの見習いがはじめて作ったラーメンを出前に行くところ、届ける前に事故で亡くなったらしい。

「よっぽど食べてもらいたかったんだろうなあ」

 大将と和久さんがそんな話をしているのを、トイレでえずくドアの向こうに聞いた。


 出したラーメンを完食してもらえれば成仏するはずだ。

 そんな眉唾理論を真に受けた大将からは、その後もたらふく飲めや食えやで歓待されて、酒のせいか、結局いい気分で店を出た。勘定はいらないと固辞する大将へ、前後不覚の俺に代わって和久さんが適当に支払を済ませてくれたらしい。優しい。

 朧に浮かぶ満月がきれいだ。

「和久さん、知ってたんなら教えてくださいよ。幽霊の指って」

「ちゃんと観察してないからだろ。よく見てたら手首から上がないってすぐ気付くはずだ。現に他の客は気付いてるんだからな」

「うぐっ」

「お前さん、いい目をしてるんだから、もっとしっかり見ろよ。見えるものから色々読み取れ。でないと俺の相棒は務まらんぞ」

「ええー、幽霊ラーメン食べたのにぃ? まだ認められないんすかぁ」

 がっくし落とした肩に、和久さんが手を置く。温かくて、骨張って、少し皺々しわしわの手を。

 以降、和久さんとラーメン屋に行くたびに客は増えているから、どうやら幽霊問題はちゃんと解決したらしい。

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