第1話:コールドスタート(胎動)

​​ 11月10日。時刻は深夜2時を回った。

 静まり返った部屋の暗闇の中、高峰碧斗たかみねあおとの脳裏に、物理的な光を伴わない鮮明な文字列が浮かび上がる。

​ 『コールドスタート(起動)を開始します……』

​ 今日は碧斗がこの世界に生を授けてから、16回目となる特別な誕生日、生まれてから2度目の「生誕日」だ。

 この世界には、8年に一度、「生誕日」が訪れる。その夜、人は誰しもコールドスタート胎動によって「前世との約束」を呼び醒ます。

 この世界で生きるためのイニシャライズ初期設定を実行し、魂の根源をアップデートする為に。

​ 意識が急速に、深い闇のさらに奥底へと沈んでいく。

 そこには、16年前の誕生よりもさらに昔――「前世」の記憶が、冷たい雨の音と共に眠っていた。

​ (前世の記憶)

​ 「ああ、なんで俺は……こんなことしてるんだろう」

​ 足元を濡らすのは、土砂降りではないが、執拗に体温を奪う一足早い冬時雨だった。シトシトと降り続く雨は、手足の指先を氷のように凍てつかせる。

 11月10日。深夜1時50分。32歳になったばかりの夜。

​ 最悪の一日だった。

 パワハラ上司から押し付けられた不条理な残業。それが原因で、大切な誕生日の約束に致命的な遅刻をした。そして今しがた、5年交際した恋人から別れを告げられたばかりだ。

 二人で暮らすために買ったマンションのローンは、皮肉にも今月から始まっていた。

​ 「待ってくれ、行かないでくれ……!」

​ 惨めな声で叫びながら、彼女を追いかけて深夜の街を徘徊する。彼女はとっくにタクシーを拾い、実家か友人の家に向かった後だろう。そんなことは分かっている。

 けれど、「探さなかった」という事実を作りたくなかった。一度立ち止まってしまえば、二度と彼女が戻ってこないという強迫観念が、震える足を動かしていた。


​ 『――なんでこうなった?』

​ どこからか、自分の内面を抉るような声が聞こえる。

​ 『――どこで間違えた?』

​ ずっと蓋をしてきた問いを、ソイツは執拗に引きずり出そうとする。

 車に飛ばされた泥水の冷たさも、歩道橋の階段で転んだ膝の擦り傷も、何もかもが「間違った道を選んだ自分」を嘲笑い、責めている気がした。

​ 「俺は……どうすればよかったんだよ……」

​ かつて、夢中になってボールを追いかけていた自分。

 いつから、何のために生きているのか分からなくなった自分。

 遠のく意識の端で、信号機の赤色がひどく滲んで見えた。

​ (転生2回目、16歳の生誕日の記憶)

​ 不意に、視界に無機質なプログレスバーが現れた。

​ 『コールドスタート(胎動)実行中。電源を切らずにしばらくお待ちください(完了までの残り時間:5分)』

​ それは物理的な視覚ではなく、魂に直接刻まれるインターフェース。

 今夜、2度目の生誕日を迎えた碧斗の意識下で、システムが静かに唸りを上げている。

​ 8年に一度、人は眠りの中で自らの能力をアップデートする。

 システムによって呼び覚まされた「前世の悔恨」という名の記憶が、碧斗の意思決定を待っていた。

​ 前世の自分は、何もかもを諦めたまま雨の夜に消えた。

 だが、今の俺には「城南高校」の仲間がいる。まだ間に合うはずだ。


​ 『同期完了。イニシャライズを開始します……』

​ 暗闇の中で、碧斗の瞳が意識とは関係なく無機質に見開かれる。

 16年前の絶望を塗り替えるための、眠っていた新たな「心臓の鼓動スキル」を呼び覚ますアップデートが始まった。

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