宝石箱をひっくり返した夜、君の嘘が僕の光になる

つっくん

第1話

雨の雫が窓を叩くたび、俺の世界は色とりどりの光となって滲んでいく。

キャンバスの上で踊る筆先を止め、あの日、窓越しに二人で見た東京タワーを思い出す。

その光景はまるで、ひっくり返した宝石箱のように美しく、そして残酷なまでに切なく揺れていた。


かつての俺は、中堅ゼネコンの営業マンとして奔走する傍ら、暇を見つけては絵を描く事に没頭していた。

唯一の救いは、仕事終わりに恋人の未絵と交わす、青臭い夢の話だった。

写真家を目指す彼女は、重い機材を抱えながらも、いつも誇らしげに笑っていた。


ある雨の夜、未絵はNikonのファインダーを覗きながら、一枚のプレビュー画面を見せてくれた。

窓に付着した雨粒が街の灯りを乱反射させ、その向こう側に東京タワーが淡く光っている。

技術的には未熟だったその写真には、しかし言葉にできない体温が宿っていた。


「いつか、未絵が撮った最高の一枚を、俺が最高の絵にするよ」

彼女はファインダーから目を離さずに、照れながら静かに応えた。

「約束だよ。その時は、世界で一番幸せな色で描いてね。満くんの色彩は、誰よりも温かいから」


やがて俺たちはそれぞれのフィールドで成果を挙げ始める。

俺は脱サラし、画家となった。

そこそこ名の知れた賞を獲得しては、小さいながら各地で個展を開けるようになった。

未絵も、女性カメラマンとして独り立ちし、その世界で頭角を現し始めた。

二人が語り合ってきた夢が、ようやく現実のものとして、手が届くところまでやってきたのだ。


将来の青写真に確信を得た俺は、未絵と一生を共にする決意を固めた。

雨の降る夜、東京タワーを望む場所で、俺はありったけの想いを込めて結婚を申し入れた。

きっと受け入れてくれると信じていた。

だが、返ってきたのは思いもかけない言葉だった。

「ごめんなさい。私、好きな人ができたの。」


予想だにしない成り行きに、俺は二の句が継げなかった。

どんな男なのか、いつからなのか、何故……。

問いかける言葉さえ発せられぬまま、俺は茫然と、雨の中を去っていく彼女の背中を見送った。


絶望はやがて、猛烈な憎悪へと変質していった。

裏切られた。俺の人生を狂わせておきながら、おまえは別の男と幸せになるのか。

増幅する憎しみとともに、俺の絵は色彩を失い、筆は呪いを吐き出すための道具に成り下がった。

来る日も来る日も、キャンバスを薄汚い情念で汚し続けた。

絵は売れるはずもなく、荒んだアトリエで孤独と困窮に震える日々が続いた。

彼女を恨み、彼女を信じた愚かな自分を指弾した。


創作意欲の火が完全に消えかかろうとしていた、ある豪雨の日のことだ。

雨宿りにとある書店に逃げ込んだ。

なにげなく書棚を見渡していると、ふと、一冊の写真集に目が留まった。

写真家の名前は 「山崎未絵」。

こんな本まで出せるようになったんだな。出世したもんだよ、おまえは。


一旦は手に取ったものの、未練と断じ、棚に戻そうとした。

しかし何故か、俺はその本の感触に、説明のつかない引力を感じ取った。

まるで引き寄せられるように、写真家の経歴欄に目を通したその瞬間、俺の心臓は凍り付いた。

――2025年、癌により逝去。

俺たちが別れた、わずか翌年の事であった。


「……う、嘘だろ、未絵!」

本を持つ手が震えた。

掲載された写真はどれも、二人で歩いた想い出の風景で満たされている。

そして、すがるようにめくった最終ページ。

俺は、完全に言葉を失った。


そこには、あの日二人が見た、雨に濡れて煌めく東京タワーの写真が載っていた。

かつて彼女が見せてくれたあの未完成な構図と色彩が、研ぎ澄まされた光の芸術として昇華されていた。

キャプションにはこう記されていた。

「私の命の灯が消えても、あなたの色彩は消さないで。絶望の雨を、どうか光に変えて描いて。愛しています、永遠に。」


立っていられなかった。

止めどなく涙があふれ、視界が霞む。

床に膝まづきながら、俺は自分の無知と浅ましさを呪った。

あの時彼女が喉の奥から絞り出したのは、哀しくも優しい「愛の嘘」だった……。


その夜、俺は再び真っ白なキャンバスと対峙した。

静かに筆を執り、そして誓った。

かけがえのないあの光景を、俺が最高の絵に仕上げてみせる。


窓の外は雨。

粒の一つひとつが、宝石のように輝きを放って見える。

しばらく降りやむ気配はなさそうだ。

あの日と同じように……。

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宝石箱をひっくり返した夜、君の嘘が僕の光になる つっくん @tsuyotsuyoman

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