第4話

「時間の墓標」


「いいか、計算を間違えるなよ。ここでの1時間は、故郷での7年に相当する」


 パイロットのエレナが、震える声で再確認した。

 窓の外には、宇宙を歪める巨大な闇――ブラックホール『ガルガンチュア』が鎮座している。その事象の地平面(イベント・ホライゾン)のギリギリ内側を、我々の目指す「水の惑星」が回っている。

 重力が強すぎる場所では、時間は極端に遅く流れる。

 我々がこの惑星で水を汲み、調査を終えて帰還する頃には、地球では数十年が経過している計算だ。


「わかってるさ、エレナ。だが背に腹は代えられない」

 ナビゲーターのキースが、火星仕込みの粗雑な手つきでコンソールを叩く。

「太陽の異常(カロン・フェーズ)は加速している。80年後の未来に帰る頃には、人類は干上がっているかもしれない。だが、この星の『無限の水』を持ち帰る航路さえ確立できれば、未来は救える」


 これは賭けだ。

 我々は時間をドブに捨てて、未来への遺産を取りに行く。


「突入する。重力波、耐衝撃姿勢!」


 船が悲鳴を上げ、時空の坂道を転がり落ちていく。

 視界が歪む。星の光が後方へ流れていき、前方からは無限の闇が迫ってくる。

 そして、雲を抜けた先には――静寂があった。


 見渡す限りの海。

 膝下ほどの深さしかない浅瀬が、地平線の彼方まで続いている。

 波はない。風もない。重苦しいほどの静寂。

 ここは、宇宙の墓場のように静かだった。


「着水成功。……重力、1.2G。許容範囲だ」

 エレナが安堵の息を吐く。

「急ごう。長居すればするほど、浦島太郎になっちまう」


 キースがハッチを開け、浅瀬に降り立つ。

 チャプ、チャプ。水音が響く。

 成分分析の結果は良好。真水だ。これなら飲める。


「おい、エレナ。あれを見ろ」

 キースが指さした先。

 水平線の彼方に、黒い影があった。

 人工物だ。何かが突き刺さっている。


「先行した無人プローブか? それとも、墜落した隕石?」

「いや……形がおかしい。行ってみよう」


 二人は浅瀬を走った。

 近づくにつれて、その形状が明らかになる。

 それは宇宙船の残骸だった。

 だが、ただの残骸ではない。表面は苔むし、装甲はボロボロに朽ち果て、まるで数百年もの間、波に洗われていたかのような姿だ。


「識別信号を確認……。馬鹿な」

 エレナが携帯端末を見て、凍り付いた。

「……IFF(敵味方識別)反応。『クロノス・ダイバー』」


 キースが足を止める。

「おい、冗談だろ? クロノス・ダイバーは俺たちの船だ。今、あそこに停めてある」

 彼は後ろを振り返った。

 確かに、数百メートル後方には、着水したばかりのピカピカの船がある。

 だが目の前には、朽ち果てた「同じ船」がある。


「どういうことだ? ドッペルゲンガーか?」

「入ってみましょう。ブラックボックスが生きていれば……」


 二人は朽ちた船のエアロックをこじ開けた。

 船内は腐敗臭と、潮の香りで満ちていた。コクピットには、白骨化した二体の遺体が、寄り添うように座っていた。

 着ているスーツは、我々と同じもの。

 そして、ネームプレートには『ELENA』『KEITH』と刻まれている。


「キャッ!」

 エレナが悲鳴を上げて後ずさる。

「俺の……骨? 俺は死んだのか?」

 キースが震える手で、コンソールの再生ボタンを押した。

 奇跡的に、予備電源が残っていた。


 ホログラムが浮かび上がる。

 そこに映っていたのは、老婆のように老け込み、やつれたエレナだった。


『……記録日時、ミッション開始から80年と4日。

 これを聴いている「あなた」へ。いえ、過去の私へ。

 逃げて。今すぐ、何も考えずに飛んで。』


 映像の中の老エレナは、涙を流しながら訴える。


『この星は、罠よ。

 重力勾配の計算が間違っていたの。

 着陸した時点で、船のエンジン出力では脱出速度(エスケープ・ベロシティ)に届かなくなる。

 私たちは何度も計算し直した。燃料を精製しようとした。

 でも、重力は日ごとに増していく。

 私たちはここで80年生きたわ。浅瀬の魚を食べて、雨水を飲んで。

 キースは先週、逝ったわ。私ももう長くない』


「嘘だ……計算は完璧だったはずだ!」

 キースが叫ぶ。

 映像の老エレナが、まるでそれを見透かしたように続ける。


『ここは「閉じた時間曲線(タイム・ループ)」の交差点なの。

 ブラックホールの回転が時空を引きずり、未来と過去が重なり合っている。

 あなたが今、この映像を見ているということは、あなたもまた「脱出できなかった私たち」の運命をなぞることになる』


 ザザッ、とノイズが走り、映像が切れた。


「戻るぞ! 今すぐ離陸だ!」

 キースが走り出した。

 二人は水しぶきを上げて、自分たちの(まだ新しい)船へと駆け戻る。

 エレナはコクピットに飛び込み、緊急離脱シーケンスを叩いた。


「メインエンジン点火! 出力最大!」

 轟音。船体が震える。

 だが、船は持ち上がらない。

 まるで、惑星そのものが船底を掴んで離さないかのように。


「重力波検知……! 数値上昇! 1.5G……2.0G……!」

 エレナが絶望的な声を上げる。

「潮汐力が変わったんだわ! さっきまでは『道』が開いていた。でも今は、ブラックホールの位置が変わって『壁』になっている!」


「そんな馬鹿な! たった数十分だぞ!」

「ここでは数十分でも、外の世界では星が動くほどの時間が経っているのよ!」


 エンジンが悲鳴を上げ、オーバーヒートで停止した。

 静寂が戻ってくる。

 あの、墓場のような波の音が。


 エレナは力なくシートに沈み込んだ。

 窓の外を見る。

 遠くに見える朽ち果てた船の残骸。あれは、未来の自分たちの姿だ。

 そして、いずれ自分たちのこの船も、次の「自分たち」への警告として朽ち果てていくのだろう。


「……ねえ、キース」

 エレナは、空を見上げた。

 歪んだ空の向こうでは、星々が早回しのビデオのように流れている。

 人類が、地球が、太陽が、ものすごい速度で歴史を刻み、そして滅んでいく光景が見えた。


「私たちは水を持ち帰れなかったけど……少なくとも、世界の終わりを特等席で見られるみたいね」


 キースは答えなかった。ただ、震える手で彼女の手を握り返しただけだった。

 二人の時間は、ここから永遠に止まる。


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【次回予告】File.05 『深淵からの呼び声』

時空の果てで彼らが見たのは、滅びゆく宇宙の真理。

ついに最終局面。太陽系から脱出した移民船団の生き残りが、最後に辿り着いた「約束の地」とは?

そして、AIアイリスが隠し続けてきた「人類保管計画」の全貌が明かされる。

シリーズ完結編、始動。

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