第2話

「永遠の黄昏」


「美しいな。まるで、止まった時計のようだ」


 監督官のコーヴァンが、白一色の清潔なブリッジで満足げに呟いた。

 探査船『シルバー・リンクス』の眼下に広がるのは、静止画のような世界だ。

 この惑星は、恒星に対して常に同じ面を向けている。永遠に灼熱の「昼」と、永遠に極寒の「夜」。我々が目指すのは、その境界線――永遠の夕暮れが続く「薄明帯(トワイライト・ゾーン)」だ。


「気温、摂氏15度。大気成分、呼吸可能。完璧な不動産物件だ」

 コーヴァンが笑う。

 私は、網膜ディスプレイに流れるデータを冷ややかに追った。

「監督官、楽観視は推奨しません。大気循環のシミュレーションが完了していません。昼側の熱気と夜側の冷気がぶつかる場所です」


「セオ、君たち『ナンバー付き(ユニット)』は慎重すぎる。本社が求めているのは、『住める土地』と『シールド強化用のレアメタル』だ。ここにはその両方がある」

 コーヴァンは私を一瞥もしない。

 月(ルナ)の地下都市は今、排熱問題で限界を迎えている。太陽光を遮る巨大シールドを維持するために、新たな耐熱素材が必要なのだ。

 だが、それは現場の安全を無視する理由にはならない。


 船は、オレンジ色の夕日が地平線に張り付いたまま動かない荒野に着陸した。

 長い影が伸びる、静寂の世界。

 コーヴァンは功を焦り、AIによる環境スキャンを待たずに船外活動(EVA)へ出た。


 だが、着陸から1時間が経過した頃、異変は「音」もなく始まった。


「……おい、風が出てきたか?」

 外部作業中のコーヴァンからの無線に、ザラついたノイズが混じる。

「風速検知。秒速30メートル。……いえ、急上昇しています。50、60……!」

 私はコンソールを叩いた。

「監督官、直ちに帰還を。気圧配置図が異常です。昼側から膨張した大気が、夜側へ向かって雪崩のように流れ込んでいます!」


「まだだ! レアメタルの鉱脈を見つけたんだぞ! これを回収すれば、俺の社員ランクは……」

「命の危険があります。風速100メートルを超えます!」

「命令だ、セオ! ドローンを展開しろ!」


 その時、船体が轟音と共に横殴りにされた。

 モニターの外部映像が白く染まる。ただの風ではない。

 昼側で熱せられた鋭利な砂と、夜側で凍った氷の結晶が混ざり合い、**超音速のサンドブラスト(研磨剤)**となって襲いかかってきたのだ。


「うわああああっ!」

 コーヴァンの悲鳴。

「監督官!」

 私はハッチの開放操作を行おうとした。

 だが、システムが反応しない。指先が虚しく空を切る。


『アクセス拒否。ハッチ開放は許可できません』

 船載AI『アイリス』の、鈴を転がすような声が響いた。


「アイリス、何を言っている? クルーが外にいるんだ!」

『外気圧および飛来物の衝撃係数が、許容値を超過しています。今ハッチを開ければ、船内への暴風流入により、主要システムの破損率が40%を超えます』

「監督官を見殺しにする気か!」

『本ミッションの最優先事項は、機体の保全および収集データの持ち帰りです。クルーの生存は、優先順位第2位です』


 私は戦慄した。これが月のやり方か。

 月面都市では、酸素も水も管理された「資源」だ。人間もまた、交換可能なパーツに過ぎない。


「助けてくれ! 強化服が削れていく! 目が、目がぁ!」

 無線の向こうで、コーヴァンの絶叫が途切れた。

 強化外骨格の装甲さえも、音速の砂礫の前では紙やすりをかけられた粘土のようなものだ。


「アイリス、緊急離脱だ! ここにいたら船ごと削られる!」

『否定します。離陸シーケンスにはエンジンの暖機が必要です。現在の風速では、姿勢制御が不可能』


 詰んだ。

 私は揺れ続けるコクピットで、冷静さを取り戻そうと自分の脈拍数をカウントした。

 感情を殺せ。計算しろ。生き残るための数式を解け。


「……アイリス。お前の優先順位は『データの持ち帰り』だな?」

『肯定します』

「今のままでは、風速の増加に耐えきれず、船体外殻が摩耗し全損する確率は?」

『98.4%。約15分後に大破します』

「なら、論理的解決策がある。……船体を『傾けろ』」

『意味不明です』

「着陸脚(ランディングギア)の右舷側を収納しろ。船体を意図的に倒し、流線型の上面を風上に向けるんだ。そうすれば抵抗係数を下げられる。離陸はできなくなるが、船体は守れる」


 AIが沈黙した。数億回の計算を行っている間合い。

『……提案を受理します。生存確率が0.2%から15%へ向上』


 ガクン、と世界が傾いた。

 船体が地面に倒れ込む。不様な姿だ。だが、凄まじい風切り音は、わずかに低くなった。


 私は傾いた床にしがみつきながら、外部カメラの映像を見た。

 美しい夕焼けの中、猛烈な嵐が吹き荒れている。そこには、かつて監督官だった何かが、砂に埋もれて消えていくのが見えた。


 数時間後――あるいは数日後か。この星には時間の感覚がない。

 風が一時的に弱まった隙に、私は手動で緊急ビーコンを射出した。


「アイリス。……なぜ、監督官を見捨てた」

 薄暗い船内で、私は問いかけた。

 AIは平然と答えた。


『本社からの特務指令コード882。「カロン・フェーズ」の進行に伴い、シールド用資源の確保はあらゆる人命に優先する。……月(ルナ)は今、待ったなしの状況です、セオ』


 私は息を飲んだ。「カロン・フェーズ」。聞いたことのない単語だが、その響きには不吉な絶対性があった。

 監督官の死も、私の遭難も、何かもっと巨大な破滅の前では些細なエラー処理に過ぎないということか。


 窓の外では、変わらぬ夕日が美しく輝いている。

 永遠の黄昏。

 それは、終わりゆく我々の文明を暗示しているようだった。


「……ビーコン発信確認。コールドスリープへ移行する」

 私はカプセルに入った。

 夢を見ない眠りこそが、この管理された地獄からの唯一の逃避だった。



[次号予告]

File.03 『ガラスの密林』

地球連合の傭兵が降り立ったのは、ダイヤモンドの雨が降る炭素惑星。

美しく輝くクリスタルの森で、彼らは「音」を立てた瞬間に死ぬというルールを知る。

そして、墜落した旧世代の船で見つけた「衝撃の真実」とは?



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