沈黙融けて、君は

夏空 新〈なつぞら あらた〉

プロローグ


 日本語というのは、本当に面白い言語だ。

 ひらがなとカタカナは五十音あるが、そこに数字、アルファベット、漢字が加われば——表現の選択肢はほぼ無限。

 奇を衒えば他の言語だって……いや、それ以上はゲテモノになるか。

 

 『作家』という生き物は、その果てしない文字の森や海から、必要な“食材”だけをすくい上げ、世界を形作る。

 料理人が調理器具を振るうように、私たちは文字を炒め、煮詰め、味付けしてから盛り付ける。そんな言葉を唱える者が身近にいた。


 私、桐谷きりたに 陽菜ひなもまた、いつかそんな作家の一人になりたいと願っている高校2年生だ。


*****


 ──―と、そんな殊勝なことを考えているわりに、今の私は文芸部の部室で腕を組み、付箋 1 枚乗る紙束と睨み合っていた。紙束の文字列には赤い線がいくつか引かれていた。

 端的に言えば、これは訂正指示だ。どれも至極真っ当で、「てにをはの使い方」や「誤字脱字」等の単なる私のミスがほとんどだ。提出前に2~3回は読み返して問題と思っているがどうもうまくいかない。ヒューマンエラーと言われればそれまでだ。


 しかし許せないのはその付箋に書かれている内容についてだ。


『僕だったら、この場面、主人公とヒロインを恋愛関係にするけどなぁ〜 by.心優しい先輩』


 5月中頃の暖かい時期の窓には澄んだ空と大小まばらな白い雲が浮き進む。

 そんな晴れやかな景色とは対照的に、私の心の中は怒りで沸々としていて、落雷の一つでも起きていい程だった。


(……舐めんな)


 幸いにして部室は私ひとり。 その特権を思い切り行使し、私は机を蹴った。

 紙束は見事に宙へ舞い、物理法則を嘲笑うように散らばる。

「ふざけないで、これはミステリーなの! なんで探偵と依頼人が恋愛に発展するのよ!? 意味わかんない!」

 私は床に落ちた紙を乱暴につかみ、さらに乱暴に投げる。

「アンタが恋愛もの好きなだけでしょうが! 私の作品をダシにして自己満足する気なら、赦さないからね!? 欲しいなら自分で書け! 自家発電なら勝手にやれ!!」

 部室には、乱れた紙と私の怒気だけが取り残された。

 肩で息をしていた。酷く取り乱してしまった。本当に今日が誰も来ないとわかっていて良かった。校舎から少し離れた部室棟の一室での暴れた惨状は愚かしくも両隣の静寂があったからこそ免罪符に好き勝手に出来た。

 文芸部の部室に響いたのは、紙束が床に落ちる音だった。

 蹴り飛ばした張本人たる私は、散らばった原稿にため息を落とす。

「本当にあの先輩は、つくづく私の癇に障ることばかり言うわね。まぁ私は暴力よりペンで殴ることに至高と快楽を感じる。だから次こそは彼を文で殺してやる。ペンは剣よりも強し、ラブコメなんて……書けたらいいけど、今はそんなものじゃないもので叩きつけてやるんだから…!」

 怒りと共に小さな決心を掲げる。


 その間を刺すかのように控えめなノックが扉を叩いた。 振り返ると、少女が一人立っていた。黒髪のおさげに黒い眼鏡、ちょっとうつむき気味に立っている。

 名前は夜長よなが なぎ、今年からクラスメイトになった人だ。だけどどうして彼女はここにいるのだろうか、確か彼女は帰宅部、どこの部にも所属していないはずだ。

「あれ? 夜長さん? どうしたの?」

 何事も無かったかのように気さくに話すが、言葉を交わしたことはほとんどない。

 それもそうだ、。曰く失声症というストレス等を起因に発声できなくなるとのことだ。体というよりも心の方で何かしらの傷を負った、とそのくらいしか知らない。そんな彼女は小さく会釈し、懐にあるタブレット端末を差し出してくる。 画面にはシンプルで短い文字列が映る。


『原田先生が呼んでいたよ。』


「あ、ほんとに!? わざわざこんなところまで……ありがとう、すぐ行く!」

 先生に呼ばれていたことを失念していた。私は慌てて部室を出ていく。

 夜長さんのこの後の行動なんて私にはわからなかった。


*****


(全く原田先生は、ちょっと委員会のことの相談のついでに仕事を頼って。いくら私が女子だからって力仕事はひどくないですか?)

 ここ都立棗高校高校は共学だ。男子に頼むこともできたはずだ。

(まぁ私は「ペンより重いものは持てませ~ん」なんて軟弱体質を名乗る程のものは持っていないし、そんな痛々しいセリフは口が裂けても言えないね)

 心のうちに独り言を残しながら部室に戻る。私はこれからのことを考えるが真っ先に思うことは荒らした部屋を元に戻そう。後で部長に怒られたら厄介だ。そう思いため息交じりの中、部屋に戻ると一人の人影。私がここを離れてから20分くらいも経っていた。誰か部員でも来たのだろうかと焦りかけたが正体は夜長さんだった。

 部室の椅子に座り、乱雑になっていたはずの原稿を読み込む夜長さんの姿に私は動揺を隠せなかった。

「えっ……それって、私の…?」

 夜長さんは今しがた私が来たことに気付いたようで、顔を上げる。少し驚いた様子で口をパクパクさせるが言葉は出ない。それからそそくさとタブレットを取り出し、それを素早く打ち、画面を見せた。

(さっきも思ったけど、この子文字打つの早くない?)

 そんなどうでもいい気づきの中で画面を見ると、先ほど同様シンプルな内容がそこにあった。


『すごく面白い!』


「えっ」

 その7文字(記号を含め)は雷に打たれたような衝撃があった。

 そんな忌憚のない感想は聞きなれたものだ。そんな決まり文句のような、テンプレートな感想であるにもかかわらず、私はふらつくような鮮烈な衝撃を受けた。

 思わず沈黙してしまった私だが、彼女の前で動揺を押し隠しながら、声を絞り出す。

「……そ、そう? あ、ありがとう。いや、でも、あれ読んじゃったのか……えっと、その……」

 夜長さんは小さく首を傾げるだけで、次の言葉を待っているようだった。

(あー、なんで私はこの先の言葉が思いつかないの!? 端くれでも物書きなのよ、なんで!?)

 言葉が見つからず歯がゆさを感じる。

「でも夜長さんはさ、こういう話ってどうなの? やっぱり」

 つくづく私は根に持つタイプだ。先輩の嫌味すら鵜呑みにしてそれを出汁に会話をしてしまう。こんなこと独白で事足りるのにそんな言葉を聞くと代永さんは再びタブレットで何かを文字打つ。少しの間合い、それは独特な間合いだった。そして画面を見せる。

『そんなことないよ。この探偵さん、凄くカッコイイ。事件を解いてくれるような不思議な信頼感がある。 ところで、これってまだ続くのかな? 私、続きが気になる』

「え? あっ、……うん! あるよ!」

この独特な間合いによる会話は私・桐谷 陽菜と彼女・夜長 凪のちゃんとした出逢いだった。

 そして私は、彼女との出逢いでいくつもの物語を歩むことになるのだった。

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