スタングレネーニー
吟野慶隆
スタングレネーニー
おれはぎんぎんに勃起した陰茎を目立たないよう必死に隠しながら歩道橋の上を歩いていた。なにも変態というわけではない、ちゃんと服も着ている。超強力な精力剤を飲んだ状態で性風俗店に向かっているのだ。
今は八月中旬、土曜日の夕方で、一時間ほど前までは大雨に見舞われていた。もう降ってはいないものの、空は灰色の雲に覆われたままで、大気中にはむわっとした湿気がこもっている。地面の、やや荒れたアスファルトもびしゃびしゃに濡れていた。
階段を下り、ガードレールのない車道に沿って歩道を進んだ。楽器店の前に差しかかる。外壁にローカルアイドルグループのポスターが掲示されていた。ミリタリーをテーマにしたチームで、各メンバーには軍曹だとか上等兵だとかいうあだ名が付いていた。
交差点を曲がった時、弱い便意を伴う腹痛に襲われた。昨日の晩、勤め先である軍需品メーカーの同僚たちと焼肉屋で豪遊したことが原因だろう。ちょうど、百メートルほど進んだあたりにコンビニが建っているのが見えた。あそこに寄ってトイレを借りておこう、性風俗店ではニューハーフのキャストの極太陰茎をおれの肛門に挿入してもらう予定だ。
プレイの内容に思いを馳せていると、直腸付近がひくついたような気がした。なんとはなしに尻をかく。ズボンの後ろ、肛門のあるあたりに位置する小さな縫い目が指に引っかかった。この服はハイブランドの品だがかなり古い物で、一昨日の晩に不吉な音を立てて裂けたため、今日の朝に縫って閉じたのだ。下に穿いているトランクスはさらに古く、同じ場所がひどく薄くて今にも穴が開きそうになっているが、こちらは安物なので直さずに捨ててしまうつもりだ。
なおも歩いていると、カレー屋の前に人が群がっていることに気がついた。狭い二車線の車道を挟んだ反対側、ガードレールのない歩道に面する店だ。人垣は半環状になっていて、ぽっかり空いた中心部にはテレビ番組の撮影クルーやローカルアイドルグループのメンバーの少女――伍長というあだ名が付いている――、お笑い芸人などがいた。スタッフのうちの一人は「生放送中 ご協力お願いします」と書かれたボードを持っている。警備員も何人かいて、見物人が番組関係者に必要以上に近づかないよう警戒していた。
少し興味を引かれたが、わざわざ見に行くほどでもなかった。数秒後には顔を前に向け、引き続きコンビニを目指す。
スポーツ用品店のショーウインドウの前に差しかかったところで、思わず小さな歓声を上げた。以前から欲しかったモデルのトレーニングシューズが相場より安い価格で陳列されているのを見つけたからだ。ぜひ、明日の社会人サッカーチームの練習試合に履いて行きたい。帰りに寄って買おう。
「おい、ごらぁっ! 伍長!」
そんな大声、というより怒号が反対側の歩道から聞こえてきた。ぎょっとして足を止め、目を遣る。カレー屋の前にいる群衆も、揃って同じほうに顔を向けた。
怒鳴り声の主は、店から少し離れたあたりに立つ中年の男だった。普段は肉体労働をしているのか、肌は日に焼けて浅黒く、体は鍛えられている。人相は悪く、右手の甲には不気味な絵柄のタトゥーが入っていた。ローカルアイドルグループのロゴが描かれたシャツを着て、体に掛けているボディバッグにはメンバーの写真がプリントされた缶バッジ――一等兵というあだ名の少女――を飾りつけていた。
「伍長、お前さえ邪魔をしなければ、おれの推しの一等兵が選出されていたんだ! 卑怯な盤外戦術ばかりの厄介者め! こんなことは許されない、たとえ世間が気にしていなくてもおれが許さない! 焼きを入れてやる!」
男はバッグのファスナーを開け、中から細長い六角柱を取り出した。幅は約五センチメートル、高さは約十四センチメートルだ。
思わず口をあんぐりと開けた。昨日の昼、勤務中に扱った資料でその六角柱の写真を見たことがあったからだ。いわゆるスタングレネード――炸裂すると猛烈な音響と強烈な閃光を周囲に撒き散らす手榴弾だ。
カレー屋の前にいる人々は悲鳴を上げたり逃げ出したりした。カメラマンはレンズを男に向け、アシスタントディレクターは通信機器に唾を飛ばし、警備員はアイドルの少女をかばった。
男はスタングレネードのピンを抜き、それを持った右手を大きく振り被った。その時、ひそかに接近していた一人の警備員が男に組みつき、揉み合いになった。手榴弾を奪おうとする。
おれも急いで逃げ出そうとした。しかしその直前、一段と強い便意を伴う腹痛に見舞われた。肛門に渾身の力を込めて歯を食い縛り、その場に直立して治まるのを待つ。おそらくは軟便、というよりほぼ下痢便だろうな、と直感した。
しばらくすると便意と腹痛がかなり和らいだ。思わず安堵の溜め息を吐く。その時、かん、かん、という何か硬い物が地面を跳ねる音が聞こえてきていることに気がついた。
視線を遣る。スタングレネードが地べたを跳ね転がり、こちらに向かってきていた。男と警備員が揉み合っている最中、何かの拍子に吹っ飛ばされたのだろう。数秒後にはおれの目の前に到達して、底面がアスファルトの窪みにすぽっと収まり、直立した状態で静止した。
おれは超高速で思考し始めた。まずい。昨日に見た資料のおかげで、あの手榴弾の仕様についてはよく知っている。ピンを抜いてから炸裂するまでの時間もだ。もう抜かれてからじゅうぶんな時間が経ってしまっている。拾って遠くに投げようとしたところで、持っている間に炸裂してしまうぞ。だが今から避難しようとしても間に合わない、轟音と閃光に巻き込まれてしまう。こうなったら蹴り飛ばしてやろう、社会人サッカーで鍛えたおれの脚なら一瞬のうちにかなり遠ざけられるはずだ。
おれは左足を軸にし、右足を後ろに振り上げた。すぐさま振り下ろし、前に向かって一気に振り抜く。
右足はスタングレネードの脇を通り過ぎ、高く振り上げられた。空振りだ。
左足がずるっと前に滑り、靴底がアスファルトから離れた。ズボンの後ろの縫い目が破れる音が聞こえる。今や右足は天に向かって上がっていて、尻は地に向かって落ちていっていた。
一秒後、臀部が地面に激突した。六角柱の先端はズボンの裂け目を通り抜け、トランクスの薄くなっていた部分を突き破り、肛門を貫通し、下痢便を押しのけて直腸内を突き進み、S状部にぶち当たった。
スタングレネードが炸裂した。
〈了〉
スタングレネーニー 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t
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