第11話「静かなる王の怒り」
灰都が去った後も、部屋の中には緊張した空気が残っていた。蓮は何も言わなかったが、その全身から放たれる静かな怒りは、俺にも痛いほど伝わってきた。それは、俺に向けられたものではない。俺を傷つけた過去と、今なお俺を脅かす存在、その全てに向けられた怒りだった。
「……どうして、俺の居場所が分かったんでしょう」
「おそらく、興信所でも使ったんだろう。あの男なら、やりかねん」
蓮の言葉に、背筋が凍る。灰都は、俺が知らないところで、ずっと俺を監視していたのかもしれない。そう思うと、吐き気がした。
「大丈夫だ。もう、君に手出しはさせない」
蓮はそう言うと、どこかに電話をかけ始めた。会社の部下だろうか。彼の口から発せられる言葉は、いつもとは比べ物にならないほど冷徹で、有無を言わせない響きを持っていた。
「ああ、俺だ。藤堂家のことを調べてくれ。そうだ、藤堂灰都。金の流れ、女性関係、裏の繋がり……どんな些細なことでもいい、全てだ。急いでくれ」
電話を切った蓮の横顔は、まるで氷の彫刻のようだった。彼が、ただの優しいアルファではないことを、俺は改めて思い知らされた。彼は、巨大な企業を率いる、冷徹な判断力と絶対的な権力を持つ、王のような男なのだ。
そして、その王が今、俺一人のために、その力を使おうとしてくれている。
その事実に、身震いするほどの喜びと、同じくらいの罪悪感を覚えた。俺なんかのために、彼をこんな世界に引きずり込んでしまっていいのだろうか。
「蓮さん……俺のせいで、あなたに迷惑を……」
「迷惑だなんて、一度も思っていない」
蓮は俺の言葉を遮ると、俺の目を見て、はっきりと言った。
「俺は、君を愛している。愛する者を守るのは、当然のことだ」
愛している。
その言葉が、雷のように俺の身体を貫いた。
今まで、誰にも言われたことのない、真摯で、重い言葉。
灰都が口にした「運命」なんていう薄っぺらい言葉とは、全く違う。蓮の言葉は、彼の魂そのものから発せられているように感じられた。
「だから、君は何も心配しなくていい。全て、俺に任せろ」
涙が、また溢れてきた。でも、それはもう悲しみの涙ではなかった。
この人に出会えてよかった。心の底から、そう思った。
***
数日後、俺は蓮の勧めで、彼が所有するセキュリティの万全なマンションの一室に身を寄せることになった。俺のアパートは、もう安全とは言えないからだ。
花屋の仕事も、しばらく休むように言われた。
何から何まで、彼に頼りきりだ。不甲斐ないとは思うが、今の俺には、彼の言う通りにするしかできなかった。
そんなある日の夕方、蓮が少し疲れた顔で帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
彼を玄関で出迎える。まるで、新婚の夫婦のようだ、と場違いなことを考えて、少し顔が赤くなった。
「藤堂灰都のことだが」
リビングのソファに腰掛け、蓮が重々しく口を開いた。
「あいつ、かなり悪質なことをやっていたようだ。会社の金を横領し、複数の取引先のオメガに手を出して、問題を起こしていた。藤堂家も、その揉み消しに躍起になっていたらしい」
「……そう、だったんですか」
俺が知っている灰都は、自信家で傲慢なだけの男だった。その裏に、そんな醜い顔が隠されていたとは。
「今回の一件で、全てが明るみに出た。藤堂家は、息子の不祥事を隠し通せなくなり、灰都を勘当したそうだ。婚約も当然、破棄。彼は全てを失った」
あっけない幕切れだった。あれほど俺を苦しめた男が、こんなにも簡単に。
それは全て、蓮が動いてくれたからだ。
「……すっきりしたか?」
蓮が、俺の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「……いいえ」
俺は、正直に答えた。
「ざまぁみろ、とは思いません。ただ……もう、俺の人生に関わってこないでほしい。それだけです」
そうか、と蓮は静かにつぶやいた。
そして、俺の手を取ると、その甲に、優しく口づけを落とした。
「これで、君を過去に縛り付けるものは、何もなくなった」
彼の灰色の瞳が、俺をまっすぐに見つめている。
「湊。改めて、言わせてほしい」
彼の声は、少しだけ震えていた。
王のように冷徹な判断を下すこの人が、俺の前では、ただ一人の恋する男になる。
「俺の、番になってくれないか」
静かな部屋に、彼の声だけが響く。
それは、呪いのように俺を縛り付けていた過去を、完全に解き放つ、魔法の言葉だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。