第2話 桃園の誓い・放課後の戦い


​「拒否権はない」


その理不尽な宣告から数時間。


私の平穏な高校生活は、半日で崩れ去った。


​昼休み。


私が購買で買った焼きそばパンを教室の自席で食べようとした瞬間、教室のドアが乱暴に開かれた。


「見つけたわよ、孔明」


玲花だ。


彼女は私のクラスメートたちの視線を一身に浴びながら、迷わず私の机まで歩いてきた。


「こ、孔明? 誰のことだ?」


「あなたよ。さあ、行くわよ。軍議の時間だ」


彼女は私の襟首を掴むと、引きずるようにして教室から連れ出した。


背後からクラスメートたちの「あいつ、あの玲花さんとどういう関係だ?」「絶対パシリだろ」という噂話が聞こえてくる。


まさに「四面楚歌」だ。私は天を仰いだ。


​連れてこられたのは、旧校舎の三階にある使われていない空き教室だった。


埃っぽい空気と、古びた机。


玲花は一番前の机に腰掛けると、長い足を組み、私を見下ろした。


​「さて、佐藤俊樹。あなたが私の軍師として役に立つか、最初のテストよ」


​彼女はカバンから一枚の紙を取り出し、私の前に広げた。


それは、手書きの校内地図と、勢力分布図だった。


​「この学園が戦場であることは、朝の件で理解したわよね?」


​私は眼鏡を直しながら、その地図を覗き込んだ。


そこには、驚くほど詳細に学園のパワーバランスが記されていた。


​・【魏】生徒会執行部

学園の北側、管理棟を支配する最大勢力。

生徒会長の「曹(そう)」を中心とした、鉄の規律と圧倒的な権力を持つエリート集団。

予算配分権と風紀取り締まり権を独占している。


​・【呉】文化・体育連盟

学園の南側、部室棟とグラウンドを支配する勢力。

各部の部長たちが同盟を組んでおり、結束力は固い。

生徒会とは不可侵条約を結んでいるが、常に隙をうかがっている。


​・【群雄】その他

帰宅部や弱小部活。

朝の「剛腕の張」率いる柔道部の一部(黄巾党)もここに含まれる。搾取されるだけの存在。


玲花は不敵に笑った。


「私はこの一年で、この勢力図を塗り替える。最終的には生徒会を倒し、私が生徒会長になってこの学園を支配する(天下統一する)。それが私の『覇道』よ」


​私は呆れた。


入学したばかりの一年生が、何を言っているのか。


「……正気ですか? 生徒会は教員とも太いパイプがある絶対王者だ。勝てるわけがない」


「だから軍師が必要なのよ。力攻めじゃ勝てない。知略で内側から崩すの」


​彼女の瞳は本気だった。


狂気すら感じるほどの純粋な野心。


しかし、私には一つ疑問があった。


​「質問してもいいですか。なぜ、今朝の『黄巾の乱』……柔道部の連中は、あんなことをしたんでしょうか?」


​玲花は少し驚いた顔をした。


「え? それは単なる示威行為じゃ……」

​「いいえ、違います」


私は断言した。

軍師として雇われた(強制された)以上、正確な情報分析を提供しなければならない。


​「彼らの行動には矛盾がありました」


​・矛盾点1:場所の選定

ただ威張りたいだけなら、もっと目立つ食堂や中庭で行うはずだ。

登校時間の正門を選んだのは、「登校してくる特定の人物」を見逃さないためだ。


​・矛盾点2:チェック体制

彼らは生徒を威圧しながらも、一人一人の顔を確認していた。

つまり、彼らは誰かを探していたのだ。

​「結論として、彼らは誰かの命令を受けて、特定の生徒を待ち伏せしていた。それも、柔道部を動かせるほどの権力者からの依頼で」

​私は玲花を真っ直ぐに見た。

「……玲花さん。彼らが探していたのは、あなたではありませんか?」


​教室に沈黙が落ちた。


遠くで運動部の掛け声が聞こえる。


玲花は組んでいた足を解き、机から降りて私に歩み寄った。


​「……正解よ」


彼女は悔しそうに唇を噛んだ。


「私は中学時代、生徒会長の弟……副会長と揉めたことがあるの。私がこの高校に入学することを知って、初日から潰しにかかってきたのよ」


​「なるほど。十常侍(生徒会の下っ端)による排除工作ですか」


「ええ。だから私は、彼らにナメられるわけにはいかなかった。朝、あなたが助けてくれなかったら、私は彼らに囲まれて、入学早々に『謝罪動画』を撮らされていたかもしれない」


​彼女の声が少しだけ震えていた。


強気な「覇王」の仮面の下にある、等身大の少女の恐怖。


彼女もまた、この戦場で孤独に戦っていたのだ。

私は溜息をついた。


これは、降りるなら今しかない。


関われば、私は生徒会という巨大帝国を敵に回すことになる。


だが。


​「……乗りかかった船だ」


​私は観念して、彼女に向き直った。


「玲花さん。あなたが天下を獲るというなら、僕がその道を作りましょう。ただし条件があります」


「条件?」


「僕の平穏を守ること。僕が軍師であることは秘密にしてください。表向きは、僕はただの『パシリ』です」


​玲花はきょとんとした後、花が咲くように笑った。

朝の冷酷な笑みではない。年相応の、快活な笑顔だった。


​「交渉成立ね。いいわ、佐藤俊樹。いえ、私の孔明」


「御意」


​彼女は右手を差し出した。


私はその手を握り返した。


旧校舎の空き教室。


桃園の桃の木などないけれど、埃っぽい日差しの中で、僕たちは「共犯」の誓いを結んだ。


​「じゃあ、さっそく最初の仕事よ」


玲花は握った手に力を込めた。


「今朝の件でメンツを潰された柔道部が、犯人探しを始めたわ。さっき廊下で『眼鏡の男を探せ』って怒鳴り声が聞こえたの」


​私は背筋が凍った。


「……それを早く言ってください」


「だって、試したかったんだもの。ここからどう逃げるか、お手並み拝見よ?」


​廊下の向こうから、ドタドタという足音と、「おい、ここも探せ!」という野太い声が近づいてくる。


剛腕の張だ。


ここは三階の行き止まり。


完全な袋小路。


​私は眼鏡を押し上げ、教室内を見渡した。


掃除用具入れ、壊れた机、そして窓の外にある太い配管。


逃げ道はない。戦力差は歴然。


​「……策なら、ある」


​私は冷や汗を拭いながら、玲花に指示を出した。


「玲花さん、髪ゴムを貸してください。それと、演技は得意ですか?」


​これは「空城の計」ではない。


もっと狡猾で、もっと情けない、弱者のための生存戦略だ。

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『放課後の軍師』~学園三国志ミステリー~ リコウ @rikou2990

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