1-3


 それから三日後。


 俺は、いつも通り裏リーグの地下闘技場にいた。


 今夜も何人かの選手のD-SABREをメンテナンスする予定だ。


「神凪、頼むぜ」


「ああ」


 俺は淡々と作業を続けていた。


 D-SABREの刃を研ぎ、エネルギー変換装置を調整し、プラズマの安定性を確認する。


 この三日間、俺は天ノ原紫苑のことを考えないようにしていた。


 だが——


 頭の片隅に、いつも彼女の姿が浮かんでいた。


 あの寂しげな瞳。


 孤独な横顔。


 そして——俺に向けられた、強い意志の眼差し。


「……ッ」


 俺は頭を振って、作業に集中しようとした。


 その時——


「よう、神凪」


 聞き慣れた声が、背後から響いた。


 振り返ると、そこには篠宮がいた。


「今夜は暇か?」


「……何の用だ?」


「ちょっと面白い試合があってな。見に行かないか?」


「興味ない」


「まあまあ、そう言わずに」


 篠宮は、ニヤリと笑った。


「今夜、プロリーグの公式戦があるんだ。しかも——天ノ原紫苑が出場する」


 その名前を聞いた瞬間、俺の手が止まった。


「……」


「どうだ?見に行くだろ?」


「……行かない」


「本当に?お前、あれから彼女のこと、ずっと気にしてるだろ?」


 篠宮の言葉に、俺は何も答えられなかった。


「まあいい。チケットは二枚あるから、気が変わったら連絡しろ」


 篠宮はそう言って、チケットを俺の作業台に置いていった。




-----




 午後七時。


 俺は——結局、プロリーグの闘技場に来ていた。


「やっぱり来たか」


 入り口で待っていた篠宮が、にやけながら俺を迎えた。


「……うるさい」


「素直じゃねえなあ」


 篠宮と一緒に、俺は観客席に入った。


 プロリーグの闘技場は、裏リーグとは比べ物にならないほど豪華だった。


 広大なリング。最新の照明設備。そして——数千人を収容できる観客席。


 すでに多くの観客が席を埋めており、会場は熱気に包まれていた。


「今夜の試合は注目カードだからな。天ノ原紫苑vs御剣 鋼次郎みつるぎ こうじろう——S級ランカー同士の頂上決戦だ」


「御剣……」


 その名前を聞いて、俺の表情が険しくなった。


 御剣鋼次郎——プロリーグS級ランカー。


 そして——三年前、柊を再起不能にした男。


「……あいつが、相手か」


「ああ。御剣は、紫苑の最大のライバルだ。この二人の試合は、いつも激戦になる」


 篠宮は、リングを見つめながら続けた。


「ただ——最近、噂がある」


「噂?」


「御剣が、裏の組織と繋がってるって話だ」


 篠宮の声が、低くなった。


「三日前の鴉羽の件も、実は御剣が裏で糸を引いてたんじゃないかって」


「……証拠は?」


「ない。だが、状況証拠は揃ってる」


 篠宮は、タバコを咥えながら続けた。


「御剣は、勝つためなら手段を選ばない男だ。三年前の——あの事件も、そうだっただろ?」


 俺の拳が、ギュッと握りしめられた。


 あの日のことが、鮮明に蘇る。


 柊が倒れた瞬間。


 御剣の冷たい笑み。


 すべてが——


「試合が始まるぞ」


 篠宮の声で、俺は我に返った。


 リングに、照明が集まる。


 そして——


「S級ランカー、天ノ原紫苑、入場!」


 アナウンスが響き渡った。


 会場が、一斉に沸き立つ。


 リングに現れたのは——紫と銀のプロテクターに身を包んだ、天ノ原紫苑。


 腰まで届く銀紫の髪を、高い位置でポニーテールにまとめている。


 その姿は、凛としていて——だが、どこか孤独に見えた。


 彼女は観客席を一瞥したが——俺の存在には気づいていないようだった。


「そして、対するは——御剣鋼次郎!」


 リングの反対側から、赤と黒のプロテクターを纏った男が現れた。


 御剣鋼次郎。


 185センチの長身に、がっしりとした筋肉質な体格。オールバックの短髪。鋭い赤茶色の瞳。


 その顔には——傲慢な笑みが浮かんでいた。


「よう、紫苑。今日こそお前の連勝記録を止めてやるよ」


「……好きにしなさい」


 紫苑は冷たく答えた。


 二人がリングの中央に立つ。


 審判が、試合のルールを説明する。


「D-SABREによる一対一の戦闘。相手のプロテクターに設定されたコアを破壊するか、戦闘不能に追い込めば勝利。ルール違反は即座に失格。いいな?」


 二人が頷く。


 そして——


「試合、開始!」


 ゴングが鳴り響いた。




-----




 御剣が、一瞬で距離を詰めた。


「遅い!」


 赤いプラズマの刃が、紫苑の首筋を狙う。


 だが——


 シュッ


 紫苑の深紫のプラズマが、それを弾いた。


「……相変わらず、荒っぽいわね」


「うるせえ!」


 御剣が、連続で斬りかかる。


 赤いプラズマの軌跡が、リングを埋め尽くす。


 だが、紫苑は冷静にすべてを捌いていた。


 彼女の動きは、まるで舞うように流麗だった。


「くそっ……!」


 御剣の攻撃が、次々と空を切る。


 観客席から、歓声が上がる。


「さすが天ノ原!」

「無敗の女帝!」


 だが——


 俺は、違和感を覚えていた。


「……おかしい」


「何がだ?」


 篠宮が、俺を見た。


「御剣の動きが——妙に遅い」


「遅い?」


「ああ。三年前に見た御剣は、もっと速かった」


 俺は、リングを凝視した。


 御剣の動きには、どこか——迷いがあった。


 いや、迷いというよりは——


「……わざと、か?」


「どういうことだ?」


「御剣は、わざと本気を出していない」


 篠宮が、眉をひそめた。


「なんでそんなことを——」


 その時——


 リング上で、異変が起きた。


 御剣が、突然大きく後退した。


 そして——


「おい、紫苑。ちょっと面白いもの、見せてやるよ」


 御剣が、不敵に笑った。


 彼のD-SABREから立ち上る赤いプラズマが——突然、黒く変色した。


「……!?」


 紫苑の表情が、初めて驚愕に変わった。


「それは……!」


「気づいたか?そうだ——これは『強制同調フォースド・シンク』だ」


 御剣の声が、リング全体に響き渡る。


「本来、同調ってのは二人の精神を重ねる技術だ。だが——これは違う」


 彼のD-SABREから、禍々しい黒いプラズマが溢れ出す。


「これは、他人の精神エネルギーを強制的に奪い取り、自分の力に変換する——禁断の技術だ」


「バカな……そんなもの、使ったら——」


「ああ、使用者の精神は蝕まれる。最悪、廃人になる」


 御剣は、狂気じみた笑みを浮かべた。


「だが——勝つためなら、それくらい安いもんだ」


 審判が、慌てて笛を吹こうとした。


 だが——


「遅い!」


 御剣が、一瞬で審判の前に立ち、その首に刃を突きつけた。


「動くな。動けば、この審判の命はない」


 会場が、一瞬で静まり返った。


「御剣……あなた、正気!?」


 紫苑が、怒りを込めて叫んだ。


「正気だよ。俺は——お前に勝ちたい。それだけだ」


 御剣の瞳は、すでに正気を失っていた。


「さあ、紫苑。本気で来い。そうじゃないと——この審判、死ぬぞ?」


 紫苑は、歯を食いしばった。


 だが——彼女には、選択肢がなかった。


「……分かったわ」


 彼女は、D-SABREを構え直した。


 深紫のプラズマが、さらに強く輝く。


「来なさい」


「ハハハ!それでこそ、天ノ原紫苑だ!」


 御剣が、狂ったように笑いながら襲いかかった。


 黒いプラズマと、深紫のプラズマがぶつかり合う。


 ギィィィンッ!


 凄まじい衝撃波が、リング全体を揺らした。


「くっ……!」


 紫苑が、初めて押され始めた。


 御剣の力が——異常に強い。


「どうした、紫苑!もっと本気出せよ!」


「……ッ!」


 紫苑の刃が、御剣の猛攻に押されていく。


 観客席から、悲鳴が上がる。


「やばいぞ、これ……!」

「誰か止めろ!」


 だが——誰も動けなかった。


 御剣の狂気が、会場全体を支配していた。


 そして——


「終わりだ、紫苑!」


 御剣の黒いプラズマが、紫苑の胸元に迫る。


 紫苑は、それを防ごうとしたが——


 間に合わない。


 その瞬間——


 シュッ


 透明に近い、薄い銀色のプラズマが、御剣の刃を弾いた。


「……ッ!」


 俺は、リングに飛び降りていた。

 手には、長年メンテナンスし続けてきた愛機――『虚刃キョジン』。


 その刀身には、プラズマの色が乗らない。ただ、陽炎のような透明な歪みだけが、静かに空間を削っていた。


「……神凪、蓮……!?」



紫苑の声が、背後で震える。


「邪魔すんな、神凪」


 御剣が、どす黒い殺意を隠そうともせず俺を睨んだ。


「お前も――三年前のあの『失敗作』の続きを拝みたいか?」


 その言葉が、俺の脳裏で火花を散らす。

 三年前、柊の夢を、人生を、この男は踏みにじった。

 そして今、また同じ惨劇を繰り返そうとしている。


「……もう、許さない」


 俺は重心を低く落とし、虚刃を正眼に構えた。


「お前のその歪んだ力。俺が、ここで断ち切る」


「ハッ、笑わせるな! 落ちこぼれの整備士がッ!」


 御剣が爆発的な踏み込みを見せた。

 黒いプラズマが咆哮を上げ、死神の鎌となって俺の視界を塗りつぶす。


 凄まじいプレッシャー。だが、俺の瞳は冷徹にその出力を見極めていた。


(出力、安定限界を突破。だが――回路に負荷がかかりすぎている)


 ギィィィンッ!


 黒い刃と、透明な刃が激突した。


 火花は散らない。代わりに、御剣の黒いプラズマが、俺の刃に触れた瞬間から霧散していく。


「な、なんだ……!? 俺の出力が……吸い込まれるだと!?」


「これは『虚刃』。エネルギーを奪うわけじゃない。お前の同調を強制的に中和し、ゼロに還元する」


「ふざけるなッ! 喰らえええええ!」


 御剣が狂乱し、黒い剣筋を叩きつける。

 横薙ぎ、斬り上げ、唐竹割り。

 暴風のような連撃。だが、俺にはそれが見えていた。


 技術者として、D-SABREの構造を知り尽くしているからこそ、彼が次にどこへエネルギーを回すかが、熱源反応のように手に取るように分かる。


 俺は最小限の動きで黒い刃をいなし、その内側へと潜り込んだ。


(今だ)


 俺の虚刃が、御剣のD-SABREの基部――エネルギー変換効率が最大になる一点を、正確に突いた。


「ぐああああああっ!」


 過負荷状態だった黒いプラズマが、中和の衝撃に耐えきれず逆流し、御剣の腕を焼き、その体勢を大きく崩させた。


 決定的な隙。


「紫苑!」


 俺の声に応えるように、背後から圧倒的な光が溢れた。


「ええ……。これで、終わりよ!」


 紫苑が地を蹴る。


 深紫のプラズマが、一筋の流星となってリングを横断した。


 俺が作った道。彼女はその信頼に応えるように、御剣の胸元のコアへと刃を突き立てた。


 パリンッ――。


 乾いた音と共に、会場を支配していた不浄な黒が霧散した。


 機能を停止した御剣が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。




-----




 会場は、一瞬の静寂の後——


 爆発的な歓声に包まれた。


「すげえ!」

「天ノ原紫苑、勝利!」

「あの男は誰だ!?」


 だが、俺は観客の声など気にしていなかった。


 俺は、紫苑を見た。


 彼女は——じっと、俺を見つめていた。


 その瞳には、驚きと——そして、何か強い感情が宿っていた。


「……どうして」


 紫苑が、静かに尋ねた。


「どうして、助けてくれたの?」


「……分からない」


 俺は、正直に答えた。


「気づいたら——体が動いていた」


 紫苑は、少し微笑んだ。


 それは——今まで見たことのない、柔らかい笑顔だった。


「……ありがとう」


 彼女は、俺の手を握った。


「あなたが来てくれて——本当に、良かった」


 その手は、温かかった。


 そして——俺の心も、少しだけ——温かくなった。


「……どういたしまして」


 俺は、そう答えることしかできなかった。


 だが——この瞬間、俺は気づいていた。


 もう、彼女から逃げることはできない。


 天ノ原紫苑——孤高の天才剣士。


 彼女との運命は——もう、動き出していた。


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