1-2



 翌朝。


 俺は篠宮の事務所で、昨夜の報酬を受け取っていた。


「お疲れさん。天ノ原紫苑、無事に帰ったそうだ」


 篠宮はタバコを咥えながら、俺に現金の入った封筒を渡した。


「……そうか」


 俺は封筒を受け取り、中身を確認する。約束通り、いつもの三倍の額が入っていた。


「しかし、まさかお前が鴉羽を退けるとはな。あいつ、裏じゃ相当な使い手だったのに」


「紫苑が仕留めた。俺はただサポートしただけだ」


「謙遜すんなって。お前の虚刃がなきゃ、あの状況は打開できなかっただろ」


 篠宮は煙を吐き出しながら、ニヤリと笑った。


「で、本題なんだが——」


「まだ何かあるのか?」


「ああ。実はな、天ノ原紫苑から直接連絡があった」


「……は?」


 俺は思わず聞き返した。


 篠宮はタブレットを俺に向けた。画面には、メッセージが表示されている。


『神凪蓮さんと、直接話がしたい。連絡先を教えてほしい』


 差出人は、天ノ原紫苑。


「……なんでだ」


「さあな。だが、断る理由もないだろ?お前、彼女に恨まれるようなことしたか?」


「してない」


「じゃあ、会ってやれよ。プロのS級ランカーから直々にお呼びがかかるなんて、光栄じゃないか」


「……面倒くさい」


「まあまあ。とりあえず、今日の午後、ネオ・カマクラ駅前のカフェで待ってるそうだ」


 篠宮は、カフェの場所を書いたメモを俺に渡した。


「行く行かないはお前次第だが——個人的には、行った方がいいと思うぜ」


「……なんでだよ」


「勘だ」


 篠宮は意味深に笑った。




-----




 午後三時。


 ネオ・カマクラ駅前は、いつも通り人で溢れていた。


 超高層ビルが立ち並ぶ駅前広場。その一角に、モダンなデザインのカフェがあった。


 ガラス張りの店内には、落ち着いた雰囲気が漂っている。


 そして——窓際の席に、彼女はいた。


 天ノ原紫苑。


 昨夜とは違い、白いブラウスに紫のカーディガンを羽織った、シンプルな装い。腰まで届く銀紫の髪が、午後の日差しを浴びて輝いている。


 彼女は一人、コーヒーカップを手に、窓の外を眺めていた。


 その姿は、どこか孤独に見えた。


 俺は店に入り、彼女のテーブルに近づいた。


「……よく来てくれたわね」


 紫苑は、俺に気づくと静かに微笑んだ。


「座って」


 俺は向かいの席に座った。


 店員がメニューを持ってきたが、俺はコーヒーだけを注文した。


「……で、何の用だ?」


「単刀直入ね。嫌いじゃないわ」


 紫苑はコーヒーカップを置き、俺をまっすぐに見つめた。


「昨夜は助けてくれてありがとう。お礼を言いたかったの」


「……それだけか?」


「いいえ」


 紫苑は首を横に振った。


「あなたに、頼みたいことがあるの」


「頼み?」


「私のパートナーになって」


 彼女の言葉に、俺は一瞬、耳を疑った。


「……は?」


「私のパートナーになってほしい。閃刃せんじんのペア戦で、私と組んでほしいの」


 紫苑は真剣な眼差しで、俺を見つめていた。


「……冗談だろ」


「本気よ」


「なんで俺が——」


「あなたの剣が、私には必要だから」


 紫苑の声には、強い意志が込められていた。


「昨夜、あなたの虚刃を見た。あれは、他の誰にもできない技術。相手の精神エネルギーを中和する——それは、私が今まで見たことのない剣」


「……だからって、パートナーになる理由にはならない」


「なるわ」


 紫苑は即座に答えた。


「私は、強い。それは自分でも分かってる」


 彼女の瞳には、どこか虚しさが滲んでいた。


「でも、だからこそ——誰も、私の相手になれない」


「……」


「プロリーグでも、裏リーグでも、誰と戦っても同じ。一瞬で終わる。手応えがない。心が、満たされない」


 紫苑は窓の外を見つめた。


「私は、孤独なの。誰も私を理解してくれない。誰も私と対等に戦えない」


 その横顔は、どこまでも寂しげだった。


「でも——あなたの剣なら、違うかもしれない」


 紫苑は再び、俺を見つめた。


「あなたの虚刃は、私の力を中和できる。つまり——あなたなら、私と対等に戦えるかもしれない」


「……」


「それに、あなたの剣には——何か、惹かれるものがある」


 紫苑の瞳が、強く輝いた。


「昨夜、あなたが戦っている姿を見た時——久しぶりに、心が動いた」


 彼女は、俺の目を見つめながら続けた。


「だから、お願い。私のパートナーになって」




-----




 俺は、しばらく沈黙した。


 彼女の言葉は、理解できる。


 孤高の天才。強すぎるがゆえに、誰も相手になれない。


 それは、ある意味で——呪いだ。


 だが——


「……悪いが、俺はもうリングには立たない」


「どうして?」


 紫苑の声には、疑問が滲んでいた。


「あなたには、才能がある。虚刃という特殊な能力もある。なのに、どうして戦わないの?」


「……理由がある」


「理由?」


「過去のことだ。詳しくは話せない」


 俺は視線を逸らした。


 柊の顔が、頭に浮かぶ。


 三年前のあの日——俺は、彼を失った。


 それは、俺の責任だった。


「……そう」


 紫苑は、それ以上追求しなかった。


 彼女は再びコーヒーカップを手に取り、一口飲んだ。


「でも、諦めないわ」


「……は?」


「私は、あなたが必要。だから、諦めない」


 紫苑は微笑んだ。


 その笑顔は、どこか寂しげで——だが、強い意志に満ちていた。


「これから、何度でもあなたに会いに来る。そして、いつか必ず——あなたを、私のパートナーにしてみせる」


「……好きにしろ」


 俺は立ち上がった。


「じゃあな」


「待って」


 紫苑が、俺の手首を掴んだ。


「……なんだ?」


「これ」


 彼女は、一枚のカードを俺に渡した。


「私の連絡先。何かあったら、いつでも連絡して」


「……いらない」


「受け取って。お願い」


 紫苑の瞳が、真剣に俺を見つめる。


 俺は、仕方なくカードを受け取った。


「……じゃあな」


 俺は店を出た。


 背後から、紫苑の視線を感じた。




-----




 その夜、俺は自分の工房に戻っていた。


 薄暗い部屋の中で、D-SABREのメンテナンスをしながら、今日のことを思い返していた。


 天ノ原紫苑——孤高の天才剣士。


 彼女の瞳に宿っていた孤独。


 それは、どこか——俺自身と重なるものがあった。


「……関係ない」


 俺は頭を振って、作業に集中しようとした。


 だが——


 ピンポーン


 突然、インターホンが鳴った。


「……誰だ?」


 俺はモニターを確認した。


 画面には、見慣れた顔が映っていた。


 結城 明里ゆうき あかり——俺の幼馴染で、現役のB級プロ選手。


「蓮!開けて!」


 明里の元気な声が、インターホンから響いた。


 俺はため息をつきながら、ドアを開けた。


「よっ!久しぶり!」


 明里は、いつも通りの笑顔で飛び込んできた。


 明るいオレンジがかった赤毛のセミロング。温かみのある茶色の瞳。小柄で愛らしい体型。


 彼女は、俺の数少ない——理解者だった。


「……何の用だ?」


「冷たいなぁ。幼馴染が遊びに来たんだから、もっと喜んでよ」


「忙しいんだ」


「嘘ばっかり。どうせ一人でメンテナンスしてただけでしょ?」


 明里は、ずかずかと部屋に上がり込んだ。


「ねえねえ、聞いたよ。蓮が天ノ原紫苑を助けたんだって?」


「……誰から聞いた?」


「篠宮さんから。すごいじゃん!あの天ノ原紫苑だよ!?プロのS級ランカー!」


 明里は目を輝かせながら、俺の肩を叩いた。


「で、どうだった?めちゃくちゃ強かったでしょ?」


「……ああ」


「やっぱり!私も一度だけ、彼女の試合を見たことあるけど、もう圧倒的だったもん」


 明里は嬉しそうに話し続けた。


「でもさ、彼女——なんか寂しそうだよね」


「……は?」


「だって、いつも一人じゃん。試合でも、プライベートでも。誰とも仲良くしてるところ、見たことないもん」


 明里の言葉に、俺は昼間の紫苑の姿を思い出した。


 カフェで一人、窓の外を眺めていた彼女。


 あの寂しげな横顔。


「強すぎるって、辛いんだろうね」


 明里は、少し悲しそうに呟いた。


「誰も対等に話せる相手がいない。誰も自分を理解してくれない。それって——すごく孤独だと思う」


「……」


「だから、蓮——もし彼女が何か頼んできたら、聞いてあげてほしいな」


 明里は、真剣な表情で俺を見た。


「蓮の虚刃なら、彼女の力を中和できる。つまり——蓮なら、彼女と対等に戦えるってこと」


「……もう断った」


「え?」


「今日、紫苑に会った。パートナーになってくれって頼まれたが、断った」


「なんで!?」


 明里が、俺の肩を掴んだ。


「せっかくのチャンスじゃん!蓮、またプロに戻れるかもしれないのに!」


「……俺には、無理だ」


「なんで?柊のこと?」


 明里の言葉に、俺の胸が締め付けられた。


「……」


「蓮、いつまで過去に囚われてるの?」


 明里の瞳が、真剣に俺を見つめる。


「柊は、蓮が剣を捨てることなんて望んでない。蓮が笑顔で剣を振るうこと——それを、一番願ってたはずだよ」


「……分かってる」


 俺は、拳を握りしめた。


「分かってるけど——俺は、あいつを守れなかった」


 三年前のあの日。


 俺と柊は、ある試合に出ていた。


 それは、プロへの登竜門となる大会だった。


 だが——相手は、卑劣な手段を使った。


 ルール違反ギリギリの攻撃。


 俺は、それを止められなかった。


 そして——柊は、重傷を負った。


 彼は、二度と剣を握れなくなった。


「……あれは、蓮のせいじゃない」


 明里は、優しく言った。


「相手が悪かっただけ。蓉は、何も悪くない」


「……」


「だから——もう一度、剣を握ってもいいんだよ」


 明里の言葉が、胸に染み入る。


 だが——


「……まだ、無理だ」


 俺は、静かに答えた。


 明里は、少し悲しそうに微笑んだ。


「……そっか。ごめん、無理言って」


 彼女は立ち上がり、ドアに向かった。


「でも、いつか——蓮が笑顔で剣を振れる日が来ること、私は信じてるから」


 明里は、そう言って部屋を出ていった。




-----




 一人になった部屋で、俺は天井を見上げた。


 柊の顔。


 紫苑の寂しげな瞳。


 明里の言葉。


 すべてが、頭の中で渦巻いていた。


「……もう一度、剣を握る、か」


 俺は、自分のD-SABREを手に取った。


 透明に近い、薄い銀色のプラズマが刃を覆う。


 虚刃——相手の力を無効化する、俺だけの剣。


「……」


 その時、ポケットの中で何かが触れた。


 取り出すと、それは——紫苑のカードだった。


『天ノ原紫苑』


 シンプルな名刺に、連絡先が書かれている。


 俺は、それをじっと見つめた。


 そして——


「……まだ、無理だ」


 俺は、カードを引き出しにしまった。


 だが——心のどこかで、分かっていた。


 この出会いは、簡単には終わらない。


 天ノ原紫苑——孤高の天才剣士。


 彼女との出会いが、俺の運命を変えようとしている。


 それを——止めることはできない。


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