過去

それから俺は、朝霧と関わるのが怖くなった。と同時に、朝霧の友達と顔を合わせるのが怖くなった。だから俺は、話しかけてくれる朝霧を避けた。また朝霧が友達グループに戻るために。


ある日の放課後。帰ろうとした俺の目の前に、朝霧が立ちはだかった。


「……なぁ、東雲。俺、お前になんかした?」

「え、あ、いや……別に」


思わず目を逸らす。

朝霧は少し不安そうな目で、俺をじっと見つめた。


「その顔、絶対なんかあるだろ。……教えてくれよ」

「だから、なんでもないって!」


思わず声を荒げた。

朝霧は一瞬だけ驚いた顔をしたあと、逃げようとする俺の腕を掴んだ。


「待てって!」


その手を、イラついた勢いで振り払う。


「ごめん。全部俺のせいだから」

「は?」


朝霧の問い返す声を無視して、そのまま走り出す。

もう、振り返る余裕なんてなかった。


しばらくして、後ろから激しい足音が聞こえてきた。

思わず振り返ると、朝霧が全力で追いかけてきていた。


「は!? なんでついてきてんだよ!」

「このままうやむやにできるわけねぇだろ!」


あっという間に追いつかれ、勢い余って二人して地面に倒れ込む。


「……はっや……」

「運動部舐めんな、帰宅部」


呼吸を整える間、沈黙が流れる。

部活生の声と、俺たちの荒い息づかいだけが辺りに響いていた。


先に口を開いたのは、朝霧だった。


「また何かしちゃってたなら、ごめん。……俺、察するの得意な方だと思ってたんだけどなぁ」

「……俺のせいで朝霧が嫌われるくらいなら、俺はもう朝霧と友達やめる」


「は?……何言ってんだよ」


「この間、お前の友達が話してたんだ。朝霧はノリが悪くなった、俺といるから距離ができたって。……俺が、お前の居場所を奪ってるんだろ」


朝霧の目に、はっきり怒りが宿る。


「別に俺が誰と関わろうと、あいつらには関係ねぇだろ」

「みんなはそう思ってない!お前はあっち側の人間なんだよ。

「あっちもこっちもねぇよ。俺は、東雲だから友達になりたいんだ。あいつらの顔色伺って、お前を一人にする方がよっぽど居心地悪いんだよ」


まただ。朝霧はいつも、俺が一番欲しかった言葉をくれる。

嬉しい。このまま、あいつの隣にいたい。……でも、それじゃダメなんだ。朝霧の優しさに甘えて、彼を泥沼に引きずり込むわけにはいかない。

 

俺はしばらく黙ったあと、自分を切り捨てるように低い声で呟いた。


「俺なんかが、友達になれるわけないだろ……?」


「その“俺なんか”って言い方、やめろ」


朝霧は、まっすぐに俺の目を見て、はっきりと告げた。


「卑下すんな? そりゃ自分に自信があれば、そんなこと言わねぇよ。……でもこっちは、昔からずっと周りにバカにされて育ってきたんだ。お前にはわかんねぇだろ!」


「俺だって! 俺だって昔はバカにされてたよ!」


「……は? 朝霧が?」


俺の声は怒りと混乱で震えていた。

朝霧は怒っているようで――でも、それ以上に、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「母親がさ……家を出てったんだ。小3の時。父さんは何も言わず、仕事だけして……気づけば、家には俺ひとりだった」


その短い一言だけで、朝霧の過去の重さが伝わった。

信じられなかった。明るくて、完璧みたいな朝霧が、俺と同じどころか、もしかしたらそれ以上に苦しんできたなんて――。


「俺のほうが辛いなんて言うつもりはない。人によって重さは違うしな。でも……東雲。ずっと辛いからって、そこで止まってたら、何も始まらないって。俺はそう思ってる」


その言葉はまるで、俺の心に直接語りかけるようだった。

嘘なんかじゃない、本心の言葉だとすぐにわかる。


「もちろん、急に変われなんて言わない。けど、身近なところからでも少しずつ変えていかないと、絶対に変われない」


気がついたら、自然と口が動いていた。


「……どうやったら変われる? 朝霧は、どうやって変われたの?」


言ってから気づいた。

俺は――本当は、変わりたかったんだ。

バカにされて、そのまま立ち止まってる自分を、ずっと変えたいって思ってた。


朝霧の表情が、少しやわらいだ。


「俺は、中学で知ってるやつが誰もいないところに行った。そこなら、一からやり直せると思って。……最初は笑顔を作って、無理して明るくして、”普通”を演じてた。でも、続けるうちにそれが馴染んできて、気づいたらそれが俺の新しい自分になってた」


「……辛くなかったの?」


「そりゃ辛いこともあったよ。けど、それ以上に楽しいことも増えた」


その顔はどこか誇らしげで、眩しかった。

俺も――こうなりたい、と思った。


「……俺も、朝霧みたいになれるかな」


「俺を目指すなよ。人によって合うやり方は違うから。俺にはこの方法が合ってただけで、東雲には別の道があるかもしれない」


そう言って、朝霧はふっと笑った。


「でも――変わりたいって思った、それだけでも十分進歩じゃん。……もし本気で変わりたいなら、俺が手伝う。だから、頼ってくれよ」


頼っていいなんて、今まで誰にも言われたことがなかった。

ましてや、朝霧みたいなやつに。


でも、はっきりとそう言ってくれた朝霧を、頼ってみたい、と思った。

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