裏切り

放課後の教室は、昼間の喧噪が嘘のように静かだった。

忘れ物の教科書を取ろうとドアに手をかけたとき、中から笑い声が漏れてきた。

ドアは半端に開いていて、隙間から光が漏れる。

聞き慣れた声が交じる。――朝霧だ。


「なぁ、お前、いつまであいつに付き合ってんの?もう罰ゲームやめていいだろ、結構時間経つし」

「そうだなぁ。でも……ああいう反応されんの、珍しくてさ」

「何、情が湧いちゃった感じ?」

「違うって。……なんか、あそこまであからさまに“嫌です”オーラ出されるとさ、逆に構いたくなるっていうか。……あと、似てんだよね」

「似てる?誰に」

「誰かさんに」

「いや誰だよ」

「教えなーい」


軽いやりとりと笑い声が、廊下にまで響く。

全部は聞き取れなかったけれど、胸に冷たいものがじわじわ広がる。

やっぱり、俺のことだ。そう確信できてしまう感じ。

昔からそうだった。

笑われる側、出汁にされる側。そういう役割は、これからも変わらないのだろう。


その瞬間、教室のドアが軋む音がした。


(やばっ!)


反射的に踵を返して走り出す。だが、足は思うように動かず、廊下で盛大に転んだ。

手のひらに痛みが走り、膝がじんと熱くなる。恥ずかしさと情けなさで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。


(痛……クソ、なんなんだよ)


「東雲?」


振り返ると、朝霧が立っていた。

いつもの完璧な笑顔。でも、その奥の目だけが、かすかに違って見えた。


「……」


立ち上がろうとするが、膝の痛みでうまく動けない。


「大丈夫?転んだの?」


朝霧が近づいてきて、俺の前でしゃがみ込む。

距離が近い。息がかかる。鼓動が嫌なほど大きく響く。


「近いんだよ。……もう、わかったから」

「ん?」

「お前、やっぱり罰ゲームなんだろ。俺と絡むの。さっき聞いた」


言葉が、刃物みたいに自分の喉を切る。

朝霧の顔が一瞬だけ揺らいだ。けれど、すぐにまた仮面が戻る。


「……そっか、聞かれちゃったか」


耳たぶに触れる指が、小さく震えている。


「最低だな」

「うん、そうかもね。でも、感謝してよ……じゃないと、たぶん、君はずっと一人のままだったでしょ?」


その言葉の最後だけ、声音がかすかに揺れた。

同時に、朝霧の目がほんの一瞬、焦りを含む。

用意していた台詞が崩れそうになったのを、必死に隠しているように見えた。


(……あれ、今の目)


胸の奥に小さな違和感が刺さる。

けれど、口元の笑顔は完璧なままだった。


「……ふざけんなよ。大きなお世話だ」


痛みと悔しさ、どうにもならないモヤモヤが胸をかき乱す。

信じたくなかった。なのに、心のどこかで信じていた自分が何より腹立たしい。

足の擦り傷より、心の方がずっと痛い。

俺は、その痛みから逃げるように走り出した。

角を曲がる瞬間、視界の端に朝霧の顔が見えた。

──なんで。

なんでお前が、そんな顔してんだよ。

悔しそうで、どこか寂しそうで、まるで俺と同じように、最後の最後で突き放された誰かのような顔で。


(……意味わかんねぇ)

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