第8話 地獄、通常運転

――サルコジ島・サルトリ村/朝

サルコジ島の朝は、だいたい優しい。

潮の匂いを含んだ風が、草の先を撫でていく。

遠くの港町サルコジの方角から、微かな鐘の音が聞こえる。ギルドが朝礼に使う、あの軽い音だ。

サルトリ村――村民一人。

村長一人。

つまり、レイ・バァフェットの家を中心に世界が回っている。

家の周りには、畑。

馬小屋。

牛舎。

鶏小屋(十羽が軍隊みたいに整列する)。

そして、増築された納屋――いや、もはや建物として別枠の“納屋兼鍛冶場”。

島の大自然は広く、空はやたら青く、海はやたらきらめく。

「のんびり余生」に必要な素材は全部揃っている。

……揃っているはずだった。

■ 朝の静寂、秒で崩壊

「……おはよーございまーす!」

納屋の扉が、バァン!と開いた。

元気の塊が飛び出してくる。

マイだった。

黒髪ロングを後ろで束ね、鍛冶用の革エプロン。

顔は可愛い。動きは元気。

ただし、言動は天然の天才。

マイ

「今日も、鉄が私を呼んでます! 私、愛されてます!」

レイ

「鉄は喋らん」

レイは庭先の椅子に座り、コーヒーを飲んでいた。

朝一番のコーヒーは、レイにとって“儀式”だ。剣より大事かもしれない。

マイ

「先生! コーヒーに鉄粉入れます? 強くなりますよ!」

レイ

「やめろ」

次の瞬間、家の中から、もぞ……っと瀕死の声がした。

「……うぅ……」

アーモンドが出てきた。

金髪を束ね、騎士団仕込みの清潔感。だが、目の下にクマ。

アーモンド

「先生……朝って……何時ですか……?」

レイ

「朝だ」

アーモンド

「回答が雑!」

続いて、銀髪の美女――クリームが、静かに出てきた。

目は開いている。顔は平然としている。

だが、魔力が薄く揺らいでいる。……つまり、内心はボロボロだ。

クリーム

「……アーモンド、朝は朝よ」

アーモンド

「わかってるわ!! 体が理解してないの!!」

マイ

「私の体は理解してる!」

アーモンド

「お前は理解じゃなくて“壊れてる”だろ!」

そこへ、家の戸がもう一度開く。

ふわり、と甘い香り。

焼き菓子と、木の葉のような匂い――エルフ特有の、気品の匂い。

ニベアが出てきた。

銀髪が朝日を弾き、絶世の美貌が普通に庭にいる。

しかも、完全に平然としている。

クリーム

(小声)「お母様、朝から眩しい……」

ニベア

「エルフは朝が強いのよ。千年単位で健康管理してるから」

アーモンド

「え、健康管理、千年単位……? スケールが国家予算……」

レイ

「騒ぐな。近所に迷惑だ」

アーモンド

「近所って誰ですか! 村民あなた一人でしょうが!」

レイ

「鶏が起きる」

「コケェッ!!(起きてる)」

アーモンド

「起きてるわ!!」

■ 今日から“地獄の通常運転”

レイはコーヒーを一口飲み、淡々と言った。

「……訓練、再開する」

アーモンド

「えっ」

クリーム

「えっ」

マイ

「やったぁ!」

アーモンド

「やったぁじゃない!!」

クリーム

「……先生、昨日の件で、今日は……その……話し合いの続きとか……」

レイ

「話は終わってないが、鍛錬は待たない」

クリーム

「言葉が剣聖すぎる……」

ニベアが、涼しい顔で頷く。

ニベア

「正しいわ。大事な話ほど、体を動かしながらした方がいい」

アーモンド

「女王様!? 話の種類、間違えてません!?」

ニベア

「女王だから正しいの」

アーモンド

「理不尽が女王権限!!」

レイ

「まず、島一周だ」

三人

「「「は?」」」

レイ

「装備は軽装。武器は持て。走れ」

アーモンド

「島一周って……先生、サルコジ島って、結構でかいですよ!?」

レイ

「見渡すかぎりの大自然だ。畑作り放題だからな」

クリーム

「フォローになってません!」

マイ

「先生! 山越えコースですか!? 海岸コースですか!?」

レイ

「山」

アーモンド

「地獄!!」

■ 走りながら見る、サルコジ島の顔

四人――いや、実質三人が走り、ニベアは優雅に歩いてついてくる。

アーモンド

「女王様、走らないんですか!?」

ニベア

「私は“視察”よ。あなたたちの成長を見るのが仕事」

アーモンド

「便利な言葉だなぁ!!」

クリーム

(小声)「お母様、完全に観光です」

ニベア

「観光は重要よ。土地を知るのは統治の基本」

アーモンド

「ここ統治してないですよね!?」

レイ

「……村長だ」

アーモンド

「そうだけど!! 村民一人の村長って何!?」

坂を越えると、森が広がる。

木々は太く、葉は濃い。

足元には黒い火山灰の土が混じり、島が火山島であることを思い出させる。

海が遠ざかり、かわりに風が冷たくなる。

鳥の声が高く、木漏れ日が揺れる。

マイ

「森って、鉄取れます?」

アーモンド

「取れないよ!」

マイ

「取れる気がする!」

クリーム

「君はまず、自然を“全部鉱脈”に見ないで」

マイ

「でも先生の島、良質の鉄が出るって!」

レイ

「出る」

アーモンド

「肯定するな!!」

■ 異世界小ネタ:ギルド掲示板と謎の論文

山道の途中、休憩所がある。

小さな木の屋根の下に、掲示板が立っている。

港のギルド本部ほど大きくはないが、情報の流通はここにもある。

・討伐依頼

・交易情報

・薬草採取のコツ

・魔物の生態メモ

・そして――意味不明な貼り紙

『無欲のナーユ博士:筋肉と魔力回復の相関について(第38稿)』

『脚は第二の心臓。心臓は裏切らない。つまり脚も裏切らない』

アーモンド

「博士、誰ですか……?」

ニベア

「あの人はね、魔将なのに無欲で研究ばっかりしてる変人よ」

クリーム

「変人で片付けていい規模じゃないです」

マイ

「脚は裏切らない! じゃあ私、脚鍛えます!」

アーモンド

「いま鍛えてるわ!!」

レイ

「……水飲め」

ニベア

「レイ、優しいわね」

アーモンド

「先生の優しさって“水飲め”の一言で完結するの!?」

■ 休憩:剣聖の質素メシと脳筋の理屈

休憩は短い。

レイはマジックバックから、干し肉とチーズとパンを出す。

質素だが、栄養がある。孤児院育ちの節約魂がにじむ。

レイ

「食え」

アーモンド

「……食べるけど……先生、これ“訓練の一部”ですか?」

レイ

「そうだ」

クリーム

「えっ、食事が?」

レイ

「食わないと回復しない。回復しないと鍛えられない」

マイ

「理屈が脳筋だけど、正しい!」

ニベア

「食事はね、愛情よ」

アーモンド

「急にエルフの詩みたいなこと言う!」

ニベア

「長命種は詩が好きなの。千年、長いから」

クリーム

「お母様、時間の長さを言い訳にしないで」

■ 午後:型稽古と“魔陣稽古”の始まり

帰宅すると、日が高い。

海が光っている。畑の緑が眩しい。

レイは庭に三人を並べた。

「午後は、型」

アーモンドは剣を抜く。

ロングソードの刃が光る。

クリームは細身の魔装剣を抜き、呼吸を整える。

魔力の循環を意識しているのが分かる。

マイは戦槌を担ぐ。

重い。普通なら持ち上がらない。

だが、彼女は笑っている。

マイ

「先生、私、三回目で会心の一撃なんですよね?」

レイ

「……そうだ」

アーモンド

「その“武器の仕様”を本人が自慢するな!」

クリーム

「仕様が本人の人生を支配してる……」

レイ

「夕方まで型。夜は魔陣稽古」

アーモンド

「魔陣……?」

クリーム

「陣形訓練ですね。チーム戦」

レイ

「対人、対魔族、対魔物。全部やる」

マイ

「全部! 全部セット!」

アーモンド

「地獄のセットメニュー!!」

■ 夜:会話の芯(重くしすぎず、少しだけ)

日が落ちて、海が黒くなる。

遠くで灯台の灯が一回、二回、点滅した。

庭先の地面には、木の棒で描いた陣形の線。

三人は汗だくで息を切らしている。

レイは窓際に立ち、いつものように外を見ながらコーヒーを飲む。

それが、レイの“平常”だ。

ニベアが隣に来た。

銀髪が夜風に揺れる。

ニベア

「レイ、あなた……弟子に厳しいわね」

レイ

「生き残らせる」

短い。

だが、そこに全部入っている。

クリームが少し顔を上げた。

アーモンドも、マイも、黙る。

ニベア

「魔王が死んでも、世界は平和じゃない」

レイ

「……ああ」

ニベアは、レイの首元に視線を落とした。

そこには――彼女が昔、渡した銀のネックレス。

(※ここでは“意味”はレイは知らない。ニベアは知ってる。クリームは習慣として知ってる。魔法付与の詳細はまだ秘密でもOK)

ニベア

「それ、まだ付けてるのね」

レイ

「大事なものだ」

ニベア

「……そう」

ほんの一瞬、女王の顔が柔らかくなる。

だがすぐ、いつもの笑み。

ニベア

「じゃあ、明日も頑張ってね。弟子たち」

アーモンド

「女王様、明日も島一周ですか……?」

レイ

「明日は、山を二回」

三人

「「「地獄ぅぅぅぅぅ!!!」」」

マイ

「やったぁ!」

アーモンド

「お前だけテンション違うんだよ!!」

レイ

「……コーヒーがうまい」

クリーム

「先生、現実逃避しないでください」

ニベア

「ふふ。賑やかで、いい家ね」

サルトリ村の夜は、静かだ。

けれど剣聖の家だけは、今日も騒がしい。

そして、その騒がしさが――

やがて世界を巻き込むことを、まだ誰も知らない。

次話へのフック(軽く)

翌日、港のギルドから届く依頼の束。

その中に混じる、妙に“急いでる”封蝋の手紙。

――カーター王国からの速達は、いつだって嫌な予感しかしない。

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