第2話【針木研究所】
───────2040年 7月16日……
昼の12時を過ぎ、外気温は40度……焼けるアスファルトには蜃気楼が映る。
すぐ辺りに目をやれば、汗水垂らすサラリーマンや、公園の噴水で水浴びをする子供たちの姿。
鳶人にとっては関わることの無い人々達。
鳶人は出所後、ネットカフェで一夜を過ごした。
狭い個室で横になりながら、鳶人は何度も資料を読み返していた。
それ以外に、考えることが無かった。
そして今日、厳しい暑さの中『針木研究所』へ向け足を進める。
片手には研究所の資料、もう片方には地図アプリを開くスマートフォン。
そして刑務官の電車ですぐ行ける距離と言う言葉通り、所要時間60分程で目的の建物の姿が目に映った。
まるで白い要塞。清潔な大型病院のような印象を受ける建物の前には、『針木研究所』の文字が刻まれた記念碑が鎮座している。
「ここか……例の研究所とやらは……。」
汗を拭いながらそう呟く。
鳶人は、資料を握る手に無意識に力が入っていることに気づいた。
この建物を前にして、胸の奥がわずかに熱を持っている。
檻の中では出所後の不安と、もう戻れない過去への悔やみしか心に無かったが、この研究所という『やり直すチャンス』が舞い込んできてから、そういう『期待』が心にあった。
鳶人はジャケットを今一度整えながら、研究所の入口へ歩く。
研究所の自動ドアをウィーンと抜けると、そこは本当に病院のような印象。
刑務所のカビや湿った匂いを嗅ぎ続けた鳶人にとって、研究所に充満するアルコールの清潔な匂いは新鮮に感じた。
鳶人は中央に位置する、受付であろう円形のカウンターへ進む。
そこには、清楚で美しい、黒髪の女性が立っている。
兎にも角にも、鳶人は話しかけた。
18年ぶりの女性との会話。何故か鼓動が早くなり、顔が
「え、えーと……今日から世話ンなる武良という者だが……。
きっと、昨日
鳶人は資料をカウンターの上に置く。
カウンターの女性は頷くと、長い髪をかき上げ、手元のパソコンにカタカタと何かを打ち込む。
カチリカチリ……数回のクリック音が鳴ると、女性は顔を上げ、鳶人へ微笑みながら話す。
────やはり、外見通りの綺麗な、高い声が耳に入る。
「えぇ、お待ちしておりました武良様……本研究所長の針木が、直々にお迎えに上がります。
もうしばらくお待ちください。」
そう聞くや否や、その瞬間。
突如、鳶人の背後から男の声がした。
こもったような、鼻の詰まったような声。
足音ひとつ無く、背後に誰かがいる。
「噂をすればなんとやら……かな?」
ほんの2、3秒……すぐ聞こえるその声に、鳶人は息を飲んで振り向く。
そこには声の主……いかにも博士風の、白い衣装に身を包む高齢の男が立っている。
身長は鳶人より一回り低く、
しかし、鳶人が一番気になるのは、振り向いく瞬間まで、そこに人の気配はなかったこと。
後ろから近づく足音さえ聞こえなかったのにどうやって。
その男は、驚く鳶人の顔を見ると、更に話し続ける。
「私がこの研究所を管理している『
貴方が推薦状に書いてあった、武良 鳶人さん……ですね?」
半兵衛と名乗る男────その笑顔はあまりに穏やかで、
鳶人は逆に、
短く「俺が武良です。」とだけ、鳶人は答える。
その返事を聞く半兵衛はまた、話し続ける。
「貴方は───ずいぶん長い間、社会から切り離されていたようですねぇ……。
しかしもう大丈夫。ここでは貴方のような人達を助ける活動をしています。
更生プログラム───まずは部屋でじっくりお話しませんか。」
鳶人の心は『危険信号』を発令している。彼の勘から来るものなのか、無意識に半兵衛に敵意を持っている。
しかし、ここで「やっぱ辞めておきます」と言えば、シャバへ復帰することは叶わない事も知っている。
鳶人は心の信号に逆らい、半兵衛の後へ続き、とある部屋へ歩みを進める。
半兵衛の後を追い研究所のエレベーターへ乗り込む。
押された階のボタンは『地下15階』────嫌に深く潜るなと鳶人は感じた。
エレベーター内は至って普通に見える。しかし、地下へ進むにつれ、鳶人はやはり警戒する。
半兵衛は依然、にこやかにエレベーターのドアを見ている。
「……深いですね。ここまで地下に行くエレベーターってのも始めて乗りましたワ。」
鳶人はつい言葉を漏らす。
緊張、警戒、期待……様々な感情が入り混じった、半兵衛への語り。
半兵衛は、鳶人へ「心配しなくてもいいですよ。」と一言発するのみ。
そうしているうちに、約2分の時間をかけて、二人は地下15階へと行き着く。
ウォーンとエレベーターのドアが左右へ開き、二人は外へ足を踏み入れる。
地下15階─────鳶人は周囲を見回す。
そして、どこか見た事のある場所だとデジャヴを感じる。
コンクリートの壁、鉄格子、
足枷の鎖がジャラジャラと音を上げる。
─────既視感。
「──────ここは……。」
瞬間、鳶人は気が付く。
心の中の危険信号は、今や最高潮を迎えている。
鼻から入るのは、湿った匂い。汗や垢の不潔な腐敗臭……期待よりも後悔が上回る。
心臓の鼓動、ドッドッドと加速し続ける。
18年前に入れられた監獄が、今鳶人の脳裏をよぎる。
「こ、ここって─────ムショの中じゃねぇか……。」
鳶人の反応は正しい。東京都内某所の、あの刑務所の廊下と同じ光景。
そんな鳶人の心配を他所に、半兵衛は不敵な笑みを見せる。
「クククク……」と、鼻の奥で鳴らすような笑い声。
半兵衛は鳶人へ、静かに話す。
「似てるでしょう。
『人を管理しやすい建物』を突き詰めると、刑務所になるんですねぇ……。」
口調がさっきと変わる。まるで独裁者のような、なにか冷たい感情がこもっている。
「受刑者─────そう呼ばれる人達は、強い力を持っています。
殺そうと思って人は簡単に殺せません。」
やっぱり引き返すべきだった……鳶人は立ち止まり言い返す。
恫喝するように、低い声で吠える。
「何考えてるんだ……所長!!
俺に何するつもりなんだ!!!
この施設は一体……!!!」
半兵衛は立ち止まり、鳶人の方へ体を向ける。
鳶人の後ろへ視線を移し、一言だけ放つ。
「──────やれ。」
────鳶人は、後頭部に激痛が走るのを感じた。
『ゴンッ』という、鈍い衝突音。頭の中に反響する。
打撃、ポールやバールのような、棒状のもので殴られる感触。
それは電気のように、頭から背中へ、脚へ、痛みは駆けていく。
視界が遠のき、膝が折れるように崩れる。
「痛い」というその言葉さえ出せず、鳶人はその場に倒れ伏した。
まるで半兵衛へ頭を垂れるように。
鳶人の背後には、半兵衛と同じく白衣を纏った男が、黒い鉄製の棒を抱え立っている。
この男が鳶人を殴ったことは言うまでもない。
彼の持つ鉄製の棒からは、ツーっと深紅の雫が床へ垂れている。
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