第2話 革命の基本は5Sから
薄暗い通路を抜けた先に、小さな扉があった。
「静かに。外だ」
黒布を巻いた兵士——革命軍だと言う男が、周囲を確認してから扉を開けた。夜気が冷たい。城壁の陰に沿って走り、いくつかの見張りをすり抜け、最後は下水みたいな匂いのする狭い穴をくぐる。
……で、辿り着いた。
古い倉庫。人の動線から外れた場所で、普段なら誰も寄りつかない。看板もない。窓は板で塞がれ、扉の蝶番が軋む。
「ここが我らのアジトだ」
案内役の男が言った。
天野優河が「秘密基地だ!」と目を輝かせ、一ノ瀬蒼が「カビ臭い」とだけ言い、如月祈は俺の背中の後ろに隠れた。
俺は、入った瞬間に理解してしまった。
このアジト——終わってる。
床に物が散乱している。武器、箱、布、紙束、何かの部品。通路が通路じゃない。足元が危険。
壁際に積まれた木箱の中身も混在している。食料と火薬が同じ棚にある。衛生面と危険物管理が同居している。最悪だ。
しかも湿気。埃。カビ。暗さ。
異世界要素が、嫌な方向に濃い。
床の隅に、乾いた根っこみたいなものが転がっている。札に「マンドラゴラ干物」と書いてある。
踏んだら叫ぶやつだ。叫んだらいずれ周囲にバレる。バレたら終わる。
足元の別の場所では、謎の割れた瓶の中身が染み出して、床が半分スライム化している。
滑る。転ぶ。火薬に突っ込む。終わる。
……5Sが死んでいる。
俺の中の「中間管理職」が、勝手に点灯した。
「すみません。ちょっとだけいいですか」
革命軍の男たちがこちらを見る。目が鋭い。
「まず、ここ。通路が潰れてるの危ないです。暗いし、転んだら——」
「転んだら?」
「火薬があるので、いろいろ終わります」
革命軍の男が鼻で笑った。
「掃除の話か? 馬鹿にするな。我らは明日をも知れぬ身だ。汚れなど気にしている暇はない」
「部外者の指図を受ける筋合いはない」
健全な反発だ。だがアジトは不健全だ。
「分かりました」
俺は頷いた。
「じゃあ明日、死にますね。戦闘じゃなくて事故で」
「なっ——」
ざわっと空気が動く。反発の熱が、ちょっとだけ下がる。
俺は足元の黒い粉を指差した。木箱の脇からこぼれている。
「火薬、こぼれてます。あと、ここ」
壁際の導火線みたいな縄束。湿気を吸って、変に膨らんでいる。
「導火線、湿ってますね。燃え方が読めない。途中で消えるか、逆に暴発します」
「暴発など——」
「します。湿気て固まってる粉の上を、誰かがランタン持って歩いたら終わりです」
次に、床のスライム化した場所を指差した。
「ここ滑ります。滑って転んだ人が、火薬箱に手をついたら終わります」
最後に、マンドラゴラ干物。
「それ踏んだら叫ぶやつですよね。叫んだら気づかれて、ここが終わります」
革命軍の顔色が目に見えて変わった。
「汚れを気にする暇はない」という顔から、
「いや、たしかに死ぬ」という顔へ。
如月が小さく言った。
「……あぶない……」
その一言で、革命軍の数人がざわついた。
「いまの……聖女様の……?」
「予言か……?」
「我々の死が見えているのか……?」
いや、足元が危ないだけだ。
でも、訂正する理由がない。
「……ええ、まあ」
俺は真面目な顔をした。
「このままだと事故による破滅の未来が確定している。と聖女は言っています」
(ざわっ……)
「だから片付けましょう。今すぐ」
まとめ役らしい年上の男が一歩前に出た。
「……お前が召喚された者か。田島一平」
「はい。田島です」
「係長、と聞いたが」
「気にしないでください。こっちも気にしてます」
男は腕を組む。
「ここは我らの拠点。勝手なことは——」
「勝手なことはしません。ただ、整えた方がいいです。死にたくないなら」
「整える?」
「はい。まず5Sから」
「……ごえす?」
「整理・整頓・清掃・清潔・躾です」
革命軍の面々が、ざわついた。
天野が小声で言う。
「ごえすってカッコいいな」
「いや、かっこいいやつじゃない。地味なやつ」
「でも技っぽいし!」
「響きはどうでもいい。とにかく手を保護して——軍手とか」
その瞬間、視界に半透明の文字が出た。
【稟議書を提出してください】
「……稟議?」
俺の脳内に稟議書の枠が出た。
件名は『保護具(軍手)購入の件』。理由は『素手だと死ぬため』。数量は――
俺が提出したつもりになった直後、白い軍手が落ちてきた。
次の瞬間には床にも、束で。さらに束で。
……通った。決裁って絶対3営業日かかると思ってたのに。こっちの部長は仕事が早い。
一ノ瀬がぼそっと言う。
「……稟議、係長の必殺技?」
「必殺じゃない。殺されるのはサラリーマンの心だけだ」
まとめ役の男が軍手を拾い上げ、眉を上げた。
「……お前、本当に何者だ?」
「係長です。現場を回すのが仕事です」
「勇者ではないのか」
「違います。勇者は——」
俺が言いかけたところで、横から元気な声が飛んだ。
「危険物エリアのドクロ! 完璧!」
まとめ役の男の視線が、そっちへ吸われる。
俺も同じ方向を顎で示した。
「……今の、あれです。うちの勇者」
俺は軍手の束を指差した。
「とにかく、全員つけてください。火薬と刃物と割れ瓶がある場所で素手はダメです」
「軍用の手袋か?」
「たぶん、会社用です」
革命軍が半信半疑で軍手をはめ始める。
軍手をはめる革命軍という絵面に、少しだけ平和が混ざった。今だけだと思うけど。
「じゃあ、今日のゴールを決めます」
俺は倉庫の中を見回した。
「今日全部は無理です。無理なものは無理です。まず三つだけ」
「三つ?」
「危険物隔離、通路確保、滑る床の応急処置。今日はここまで」
革命軍が「現実的だ……」みたいな顔をする。
革命家が現実に弱いのは、たぶん世界共通だ。
「まず整理。必要なものと不要なものを分けます」
「不要なものなどない! 全ては戦いの糧だ!」
さっそく来た。予想通り。
俺は床の隅を指差した。錆びた刃物、割れた瓶、折れた椅子脚、魔獣の骨釘みたいなもの、よく分からない紐、そしてマンドラゴラ干物。
「じゃあ聞きます。折れた椅子の脚と、魔獣の骨釘と、マンドラゴラ干物、全部同じ床に置く理由はなんですか」
「全部使う!」
「使うのはいいです。置く場所を分けてください。使うのと散らかすのは別です」
まとめ役が言い返す。
「場所を決めると、敵に踏み込まれたとき不利になる」
「踏み込まれたら片付ける暇ないです。だから普段から決めるんです」
「……ぐぬ」
「あと、敵が来る前に自分たちが転んで死にます。そっちの方が不利です」
まとめ役が悔しそうに口を閉じた。
俺は続けた。
「捨てる捨てないは今日決めません。今日は全部、仮置き場に集めるだけです。タグ付けします。赤い札とか」
「タグ?」
「目印です。後で揉めるから、最初に可視化します」
その瞬間、視界にまた出た。
【稟議書を提出してください】
「また?」
ぱさ、と赤い札が落ちてきた。ぱさ、ぱさ、と追加で落ちてくる。
一ノ瀬が眠そうに言う。
「……係長、やっぱそのスキル強い」
「いや、たまたま通ってるだけだ。……たぶん」
天野が赤い札を手に取って喜ぶ。
「赤い札! 革命っぽい!」
「革命じゃなくて整理です」
如月が小さく、でもはっきり言った。
「……危険の色……」
(ざわっ)
「二回目だ……」
「確定演出じゃないか……?」
「聖女様が二度も言うなら、もう終わりじゃないのか……!」
俺は真顔で頷いた。
「……ええ。リーチ中に金系入って、激熱セリフ二回目です。外れたら苦情が来ます」
革命軍が困惑している。たぶん「リーチ」が分からない。
だが「外れたら苦情」は分かるらしい。何故だ。
「つまり」
俺は言い直した。
「従ってくださいと言うことです。」
革命軍が、渋々じゃなく自発的に動き始めた。
勝手に怖がって勝手に動いている。助かる。
危険物——火薬箱、湿った導火線、割れた瓶の残骸、呪いの紙束を一箇所に集める。
食料は別へ。資料も別へ。武器も別へ。
問題はスライム床だ。
「これ、どうする?」
革命軍の一人が言う。
俺は少し考えた。
「吸わせますか。なんかいらない布、あります?」
「ある。……雑巾みたいなのが」
「じゃあそれで。あと、乾いた砂か灰。滑り止めに撒けますか」
「灰ならある!」
「素晴らしい。今日のMVPは灰に決定しました」
天野が前のめりになる。
「俺も撒く! 革命の灰!」
「残念ながら、仕事の灰です」
一ノ瀬が箱の蓋に刻まれた文字列を眺めた。
「……『火気厳禁』ね。これだけだと分かりにくい」
「さすが。誰でも分かるように工夫出来るか?」
「文字と、魔法で爆発のエフェクトつける」
「完璧。頼む」
如月には小さな仕事を渡す。
「無理しなくていいから、埃を拭ける範囲だけでも」
「……ふ、ふく……」
如月が布を握って動いたのを見て、革命軍の隊員が何人か連鎖的に動き出した。
人は、やる人が一人いると動ける。どこの職場も同じだ。
通路が一本できた。
火薬が食料から離れた。
スライム床が応急処置された。
マンドラゴラ干物は、踏まない場所に隔離された。
たったそれだけで、空気が変わった。
「……転ばない」
「武器が探しやすい」
「パンが火薬臭くない……」
革命軍の感想が全部、生存に寄っている。悪くない。まず生きろ。
天野が札を貼りながら言った。
「これさ、地味じゃない?」
「地味だよ。仕事の九割は地味」
「え、仕事ってこんな感じなの?」
「そう。で、一割が燃える。だから燃えないようにする」
「なるほど……大人って大変」
一ノ瀬が眠そうに言う。
「……めんどい」
「うん。でも、めんどいのが一番効く」
まとめ役の男が、少しだけ表情を和らげた。
「……お前、敵ではないと思って良いのか」
「その前に安全管理の敵です。ここにいる全員」
「言い方がひどいな」
「事実なんで」
俺は最後に釘を刺した。
「今日は動線と危険物だけです。明日から捨てるが入りますよ」
革命軍の空気が、ピキッと固まった。
「捨てる……?」
「捨てます」
「捨てるものなど——」
「あります。いっぱいあります。まず折れた椅子の脚」
「……それは象徴だ」
「象徴は壁に飾ってください。床に置かない」
まとめ役が悔しそうに笑った。
アジトは、まだ汚い。
まだ臭い。
まだ散らかってる。
でも、通路が一本できて、火薬が隔離されて、転んで死ぬ確率が下がった。
革命軍は、ほんの少しだけ組織になった。
現場を整えたら、次は仕組みを整えたくなる。点検表とか、担当表とか、教育とか。
中間管理職の病気だ。
……明日も、現場が呼んでいる。
その頃、城下では騎士団が血眼になって勇者一行を探していた。
俺たちが危険物エリアの区画と、マンドラゴラ干物の置き場で揉めている間に。
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