第2話 魔性野郎、運命を狂わせる
「な、なんだよこれ……」
「……クソッ、間に合わなかった」
拳をグッと握りしめた。喉の奥から熱いものがせり上がってくる。
村を呑み込む夕焼けが、私の心情を表しているようだった。
ユウマは目の前の惨状に呆然と立ち尽くしている。
無理もない。数々の惨い現場を見てきた私でさえ、ゾッと背筋が凍るような光景だ。
村人の死体が、あちこちに転がっている。
腹を食い破られ、恐怖と絶望に染まった顔で息絶えている。
クワや斧を持って戦おうとした者、幼い子どもを庇うように覆いかぶさっている者。
誰もが例外なく、無惨に殺され、人間としての尊厳を踏みにじられている。
家屋にも激しい損傷が見られる。
恐らく、家の中に隠れていた者も死んでいるだろう。
死体が夕日に照らされ、赤く染まる。その様子がまるで、血の海のように見えた。
人口50人程度の小規模な村だが、ここまで壊滅させるのは容易ではない。
獣の仕業という可能性もあるが、ただの獣にここまでする力はないだろう。
――いや、答えはわかりきっていた。何が村を襲ったのか。
村に着いた瞬間から、私は彼奴等への怒りと憎しみを静かに燃やしていた。
腰にぶら下げた探知機が、ビーッビーッと警鐘を鳴らしている。
その危機感を煽る音が、怪物どもの存在を示唆していた。
「――魔族が、ここにいる」
その瞬間、どこかから唸り声が聞こえた。地の底に響くような、低く凶悪な声。
1つ、2つ、3つ。初めは1つだった唸り声は、時間が経つにつれ、共鳴するようにあちこちから響いてくる。
……胸糞悪い。唸り声が、村人の死体の中から聞こえてくることに気が付いた。
「なんだこれ、うるさ……っ」
「……ユウマ、私の背後にいてください」
村人の腹の中から、のっそりと現れた影。
1体が出てきたのを皮切りに、死体から次々と影が現れる。10体はいるだろうか。
村人の腹の肉や内臓を食い散らかし、次なる獲物を求め這い出てきた異形。
ユウマを背に庇い臨戦態勢を取る。
村を襲い壊滅させた魔族が、白日のもとに姿を露わにした。
「ば、化け物っ! ――あ。いや、ロボット、か……?」
その怪物は一見、狼の形をしていた。
毛皮に包まれた体に、鋭い牙。ピンと立った耳に、4本の、屈強でいてしなやかな脚。
しかし、それではただの獣。
――魔族の本質は、テクノロジーによって施された身体改造にある。
狼の頭部から四肢、そして臀部にかけて。
胴体以外の体のほとんどが、無機質な機械に置き換わっていた。
「ガウッ! ……グルルルルル」
唸り声をあげながら、警戒したように近付いてくる。
頭を下げ、四肢を滑らせるように動く姿は狼そのもの。
声や仕草は誰が見ても狼だと言わざる負えない。
しかし、機械が剥き出しになった体や、動くたびに鳴るカチャカチャと金属が擦れる音。
口から覗く牙は、生物として研がれた武器ではなく、兵器に搭載された人工的な凶器だ。
ぎょろ、とこちらを捉える瞳に生命の輝きはない。
下級魔族や中級魔族は、もはや生物ではない。
改造を施され、生物本来の強みを機械によって強化された、ただの兵器だ。
「(やはり下級魔族か……! どうしてこんなところに)」
過去、この地域に魔族が出現したという事例はない。
それ故に村の魔族対策も杜撰なものであった。
だからこそ、下級魔族なんかに壊滅させられた。
問題は、ではどうして、過去に魔族が出現したことのない地域に突然現れたのかということだ。
「……まさか」
恐ろしい仮説が頭をよぎる。
反射的に振り返れば、背後にいるユウマは焦った様子で下級魔族を見ていた。
もし、この仮説が合っていれば。合ってしまっていれば。
ユウマは、本当に――。
「お、おい! こっちに来るぞ!」
1体の下級魔族が、こちらに向かって飛びかかって来た。
他の9体は私たちを取り囲むように警戒態勢を取っている。
ユウマを後ろに下がらせたかったが、囲まれている状態で下手に離れるのは危険だな。
……いやだから、どうして私はユウマを守ろうとしているんだ。魔族に殺させればそれでいいじゃないか。
ちら、と後ろを見やる。
不安そうな顔をしたユウマと目が合った瞬間、私の口が勝手に動き出した。
だからなんで私の体は言うことを聞かないんだ……!
「安心して下さい。あなたに傷は付けさせません」
「ろ、ロレッタ……」
目線を前に向け、下級魔族と対峙する。
狼の形をした兵器。金属の口を大きく開き、人工的に作られた牙を光らせて、今にも嚙みつかんと飛びかかって来ている。
その動作は獣そのもの。体のほとんどが機械に置き換わっているとは思えない動きだ。
生物として自然な仕草と、剥き出しの機械の体。そのギャップが私に嫌悪感を抱かせる。
テクノロジーによって身体改造を施した、汚らわしい兵器であるお前らに、生物としての秩序など残っているはずがないのに。
魔族の身体改造が、生物本来の性質を強化するものであると頭では理解している。
上手く活用できれば有用な技術だろう。
しかし、私たちの魂は魔族を忌避するようにできているのだ。
目前に迫った下級魔族を睨みつける。
「ギャアウ!」
ただの兵器のくせに。
まるで自分は生命であると主張するかのように、大きく吠える。
……気に食わない。
迎え撃つべく、拳にグッと力を入れた。
懐に入って来た下級魔族。その顎めがけて下からアッパーを突き上げる。
冷たい、硬質な機械の感触がした。
突き上げられたマズルが上を向く。「ギャア!」と一丁前に悲鳴を上げた。
アッパーで顎を破壊するつもりだったが、上手くいかなかったか。
一歩踏み込み、反対の手で横っ面にストレート。
バキ、と金属が砕ける音がした。
下級魔族は抵抗もできず、物凄いスピードで吹っ飛んでいく。
家屋を貫通し、向こう側に生えていた木にぶつかる。
バキャ!と不愉快な音を立てた後、力なく地面に落ちた。
「ロレッタ!」
ユウマの鋭い声が響き、バッと振り返る。
残りの9体の下級魔族が、私たちめがけて一斉に飛び上がっていた。
なるほど。仲間が1体やられた瞬間に、一斉に攻撃をしかけて、私の隙を突こうというわけか。
私の魔力は探知しているはずだが、先ほどの戦闘を見て「何故だか知らないがこいつは魔法を使わない」と、そう考えたんだろう。
私の魔力量と魔力操作技術を承知した上で、無謀にも戦いを挑んでくるほど下級魔族は愚かではない。
つまり、魔法を使わない私になら勝てると、そう判断したわけだ。
――随分と舐められたものだな。
「機械ごときが、私を殺せると思うなよ」
前方にいるユウマを背後に投げ飛ばし、自分が前に出る。
最も近くにいた下級魔族の攻撃を腕で受け止めた。
牙が皮膚を破り、肉に食い込む。
まあ、噛まれたところで、私の体を嚙み千切るのは不可能だが。
下級魔族が食いついた状態で、腕をブオン!と思い切り横に振る。
そのまま、横にいた下級魔族5体を腕でふっ飛ばした。
遠くでガシャン!と金属がぶつかる音が聞こえる。
致命傷にはならないだろうが、ふっ飛ばしたことで距離を取ることができた。
後は残りの下級魔族を破壊し、ふっ飛ばされた奴らが戻って来たら全滅させよう。
そう拳を構え――。
「ギャーーッ!」
投げ飛ばされたユウマが後方で絶叫しているのが聞こえた。
咄嗟に振り返りそうになり、我に返る。
いやだから、もう。ユウマの心配なんかする必要ないんだって。
……でも、魔力を持たないユウマは弱くて脆いし、もし力加減を間違えていたら。
そんな考えが過った途端、ユウマの声が空気を裂いた。
「オレの顔に傷が付いたらどうすんだァ! オレはこれで稼いでんだよ!」
「…………」
……気を取り直し、私に飛びかかる下級魔族の対処をする。
あと10秒程度でふっ飛ばした奴らが戻ってくるから、その前に撃破しなくては。
攻撃を避け、いなし、カウンターで下級魔族の体を破壊する。
機械の部品が砕けた先で、赤い血が滲んでいるのが酷く不愉快だった。
近くにいた下級魔族を全て撃破したところで、背後に向かって回し蹴りをする。
脚が下級魔族の胴体にめり込み、骨と、体の中に仕込まれた機械がメキメキと音を立てた。
ふっ飛ばした奴らが戻って来たのだ。
回し蹴りに便乗して方向転換し、戻って来た魔族共と正面から相対する。
「……あ、」
背中に差した杖が戦闘の邪魔になっていたことに今更気が付いた。
片手で杖を抜き、ユウマの方向に優しく投げる。
いや、何で優しく投げてるんだ。ぶん投げて殺せばよかったのに。ああ、もう。
「うおっ! ……って、これ、杖?」
「あなたが持っていてください。杖を背負ったままだと戦いにくいので」
「いや……というかっ! あんた魔法使えるんだから、魔法で倒せばいーじゃん!」
ユウマの言葉に、頭がすうっと冷えていく。
意識がぼんやりと揺らぐ。
憎き魔族の汚らわしい唸り声も、向けられる殺意も、機械の体を破壊する感触さえも、遠い夢のように感じる。
黙り込む私に、ユウマは更に言葉を重ねた。
「空飛んだりとか、あんな凄いことできるんだ。化け物を倒す魔法だってあるんだろ? 何でわざわざ生身で戦ってんだよ!」
「……私は攻撃魔法なんか使わなくても、自分の力で戦えます」
「そうは言ってもさ!」
ちら、とユウマの方を見る。
私に訴えかける彼の表情に、他意は一切見られない。
――純粋に、私を心配している。
ユウマからすれば、突然見知らぬ場所にやって来て、得体のしれない化け物に襲われて。
そうして縋る先は初対面の、善人かどうかもわからない私しかいなくて。
そして自分は何もできないまま、私が化け物と戦っているところを見ている。
私からすれば、魔力がないユウマに何もできないことなど至極当たり前のことだが、彼にとってはそうではないだろう。
だからこそ、私に攻撃魔法を使えと言っている。
その心情は理解できる。ユウマは悪くない。ユウマはまだ何もしていない。
全ての原因は、300年前に世界を破滅させた、あの魔性の異世界人だ。
あの男だけが、悪なんだ。わかっている、それはわかっているが。
心の内から溢れ出す感情を止めることができなかった。
――攻撃魔法を使えと。よりにもよって、お前がそれを言うのか。
「使いたくっ、ないんですよ……!」
「使いたくないって……」
力任せに下級魔族を殴り倒す。
これが最後の1体だった。
魔族はもう全滅させたが、心のやり場がなく、地面に転がる機械の死骸をダンッ!と踏みつけた。
私の名前を呼ぶユウマを無視し、ひたすらに魔族の死骸を睨みつける。
杖を握りしめて、心配そうに私のことを見つめるユウマのことなんか、視界に入れたくなかった。
――ビーッ!
探知機の音がまだ止んでいない。
そのことに気付いた時には、もう遅かった。
「ガアアアァッ!」
「……えっ?」
獣の声と、ユウマの素っ頓狂な声が辺りに響く。
何が起きたのかわからないまま、導かれるように声の元へ視線を向ける。
「ぐああああっ!」
全滅させたはずの下級魔族が、ユウマの首元に噛みついていた。
鋭い牙が白く柔い肌を貫き、ユウマの顔が苦悶に染まる。
「ユウマ!」
すぐさま駆け寄り、首に噛みついている下級魔族を蹴飛ばす。
魔力を込めすぎたようで、下級魔族は蹴飛ばしただけで粉々に砕け散った。
探知機が鳴り止んだことを確認する。
脚が酷く痛んだが、そんなことに構っている余裕はなかった。
「ろ、れった……」
「喋るな!」
倒れそうになったユウマの体を支える。
膝立ちになった私の腕の中で、彼はもたれかかるように身を預けていた。
急いで最大級の治癒魔法をかけるが、効きが悪い。
対象の魔力に反応する治癒魔法は、魔力を持たぬ異世界人に対してはその効果を発揮しにくいようだ。
治癒魔法をかけながら必死に記憶を辿る。
あ、と声が出た。
腕でふっ飛ばした下級魔族の数と比べ、戻って来た下級魔族の数が一体少なかったことに気が付いた。
恐らく、戻って来る際に一体だけ草むらに隠れ、隙を狙ってユウマを襲ったのだろう。
ユウマが、私の弱みであると勘付いて。
私たちは魔族の気配を察知することができない。
その弱点をありありと突き付けられたような心地がした。
「……ユウマ」
幸い傷はそこまで深くない。
しかし、私の油断と錯乱によって彼に傷を負わせてしまった。
その事実が、重くのしかかった。
ビーッ、ビーッ!
ユウマの苦しむ声と、私の沈黙。
重い空気を切り裂くように、探知機の音が高々と鳴った。
「……は?」
探知機が、魔族の存在を告げている。
確かにさっきは油断と錯乱によって魔族を見逃したが、今度こそ全滅させたはずだ。
一度探知機の音が止んだのだから、正真正銘魔族はこの場からいなくなったはず。
それがまた鳴り始めるなど、そんなこと、魔族が新しく現れでもしない限り。
――前方から、のっそりと大きな影が現れた。
いや、大きな影ではない。複数の小さな影が、大量に重なることで大きな影に見えたのだ。
唸り声と、金属が地面を叩く足音。
「……クソッたれ」
木々の間から、30体程度の下級魔族が現れた。
群れを成し、私たちを虎視眈々と狙っている。
本来であれば魔族の出現しない地域。
そこに魔族の群れがやって来るのは明らかに異常事態だ。
……やはり、ユウマは。
「グルルルル……ッ!」
私一人であれば下級魔族が何体いようとも対応できるが、ユウマを庇いながらだとそうもいかない。
悔しいことに、先ほどの失態でわかってしまった。
およそ30体。この数の下級魔族と普通に戦えば、今度こそユウマを死なせてしまう。
史上最悪の魔性。世界を破滅させた、忌々しい異世界人。
300年前のあの男とユウマは、恐らく同じ性質を持っている。
頭ではそうわかっているのに、私はもう、ユウマを殺そうという気持ちが湧かなくなってしまっていた。
膝立ちでユウマの体を支えながら、ジッと前を見据える。
下級魔族の群れも同じく、警戒したように私の様子を伺っている。
私の魔力量と魔力操作技術を探知した上で、攻撃を仕掛けるか見極めているのだろう。
この状況を突破するには、先ほどと同じ戦い方じゃ駄目だ。
もっと強く、より圧倒的な力――攻撃魔法を、使う必要がある。
「……そんなの、いやだ」
私の声に反応したユウマが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
彼の表情が目に入った瞬間、ドク、と心臓が歪に鳴った。
出会った時からずっと、感情がわかりやすい表情を見せていたユウマ。
だというのに、これは何だ。
喜怒哀楽どころか、この世で名前のついている全ての感情が当てはまらない。
無ではないが、どこまでも静謐な。
まるで、美しい毒花が花開く寸前のような。何か恐ろしいことが起こる前の静けさのような。
私の腕にもたれかかっていたユウマが、グッと体を起こす。
それだけの動きに、ビクッと体が反応してしまった。
黒い前髪が目元に垂れ、下を向いている彼の表情は見えなくなる。
ドク、ドク。心臓が早鐘を打っている。
目の前の少年が、さっきまでとは違う生き物のように感じる。
ユウマの指先が、蝶のようにしなやかに動き始める。
抱えていた私の杖を手に取り、そっと私の掌に押し付けた。
決して強くはない力だ。
しかし、どこか有無を言わせない空気を感じゾッとする。
彼の意図に気付いてしまったからだ。
――ユウマは、私に攻撃魔法を使わせようとしている。
「(ふざけるな……!)」
お前に、あの男と同じ異世界人に攻撃魔法を使わせられるなど。
そんなのいやだ。絶対にいやだ。
杖を持つ手がカタカタと震える。
ユウマへの怒りか、はたまた別の感情か。
私の頭はもう、冷静な判断ができなくなってしまっていた。
ひた、ユウマの冷たい手が私の頬に触れる。
ゾワッと肌が栗立つ。
反射的に視線を前に向けると、私を見つめるユウマと目が合った。
目元にかかった前髪の奥で、黒曜石の瞳が弧を描いている。
桃色の唇が、艶めかしく吊り上がっている。
――笑っている、ように見えた。
しかし、この表情を笑顔と形容してしまうのは、あまりに抵抗があった。
まるで世界に私と彼の二人だけしかいないような、蠱惑的な笑み。
ユウマの瞳から、唇から、目を離すことができない。
「――あ」
目を、見開く。
ユウマの白い首筋に、赤い血が流れていた。
先ほど下級魔族が噛んだのはユウマの首の後ろだった。
治療や新しくやって来た下級魔族の群れに意識を向けていたり、彼の正面にいたことから、ユウマが血を流していることに今まで気が付かなかった。
首の後ろから前側に垂れるように、一筋の血液が柔肌を流れている。
鮮やかな赤が、刺すような鋭さで私の目に飛び込んでくる。
漆黒の髪に、弧を描く黒曜石の瞳。
吊り上がる桃色の唇。
そして、白い首筋を流れる鮮血。
あまりの光景に、目の前がくらくらする。
ドサッと、尻もちをついた。
黒色の髪や瞳も、赤い血も、全てユウマが異世界人である証明。
300年前に突如ニッポンから訪れ、あらゆる人間を魅了し、世界を破滅へと導いた。史上最悪の人物と語り継がれるあの魔性と、同じ。
まさしく禁忌の象徴だ。
彼に惹かれるなど、決してあってはならないことだ。
確かに私は女神様への信仰心は薄いが、それでもこの体に、魂に染みついているはずなんだ。
異世界人への嫌悪が、染みついているはずなのに。
どうしてこんなに、揺さぶられてしまっているんだ。
「あははっ」
場に似合わない、軽やかな笑い声が聞こえた。
頬が血潮の色を透かしてバラ色に染まっている。
小さく開いた口から犬歯が覗いているのが、何故か直視できなかった。
恍惚と揶揄が混ざった表情。
ユウマは、自らの手によって私が乱されているということをわかっている。
なんなら、私がそう勘付いているということもわかっている。
全てわかった上で、私を誘惑している。
私を利用し、攻撃魔法を使わせるため。
それもあるだろうが、彼は人を乱すことを楽しんでいるように見えた。
……こんなの、娼婦の方がまだマシだ。
ユウマは尻もちをついた私の脚を跨ぐように、私の体に乗り上げる。
そっと脚の付け根辺りに腰を下ろした。
そのまま胸を密着させ、私の首に腕を絡める。
まるで恋人同士かのような仕草に、否応なしに脈が速くなってしまう。
鼓動はきっと彼にも伝わってしまっているだろう。
ユウマは私の耳元に口を寄せ、酷く愉快そうな声で囁いた。
「――たすけて、ロレッタ」
「なッ……!」
瞬間的に血が上る。
頭の血管がいくつか千切れた錯覚を覚えた。
バッ!とユウマの顔に視線を向ける。
耳元に口を寄せていた彼は、下から覗き込むように私を見つめている。
その瞳と唇は、私をからかうように歪んでいた。こいつ、こいつ……っ!
――助けてほしいなどと、微塵も思っていない!
言葉だけだ。自分の命をまるで勘定に入れていない。
ここで生きようが死のうが、ユウマにとってそんなものは何の価値もないのだとわかってしまった。
ユウマが求めるものはただ一つ。
私を、試しているのだ。
ユウマを、助けることができるかどうか。
いや、実際に助かるかは関係ない。
ユウマを助けるために、私が攻撃魔法を使うのかどうか。
己のために、私が身を削れるのかどうかを試しているのだ。
ここで私が攻撃魔法を使わなければ、ユウマは死ぬ。
ユウマの命は私に委ねられている。
そのはずなのに、私が優位に立っているはずなのに。
どうしてか、彼にリードを握られている感覚が、頭の中を支配していた。
「ガアアァアァアアッ!」
タイミングを計ったように、下級魔族の群れが行進を始める。
私がしばらく動いていなかったから、攻撃の意思がないと見て仕掛けて来たのだろう。
ユウマの頭越しに下級魔族が迫ってくるのが見える。
ユウマを見捨てれば、攻撃魔法を使わなくてもいい。
私一人ならどうとでもできる。
逆を言えば、ユウマを助けるには攻撃魔法を使わなくてはならない。
「(いやだ、いやだっ! 攻撃魔法なんか使いたくない!)」
攻撃魔法を使わないために、私はここまで頑張って来たんだ。
生身でも戦えるように休まず鍛えて。
攻撃魔法を使わなくても文句を言われないように、高難易度な魔法を死ぬ気で習得して。
ここで攻撃魔法を使ってしまったら、これまでの苦労が全て無駄になってしまう。
よりにもよって、異世界人なんかに誘われて攻撃魔法を使ってしまったら。
私の苦しみは、覚悟は、人生は――母の人生は、一体何だったというのか!
意思に反して体が勝手に、杖を前方に向けた。
体が勝手に、というのは悔しさから付け足した言葉だ。
決して、ユウマが洗脳や精神汚染の力を使っているわけではない。
彼に誘惑されはしたが、私は自分の意思で動いている。
自分の意思だから、悔しいのだ。
ユウマは何の力も持たないただの無力な異世界人だ。
確証は1つもないが、私の第六感がそう告げていた。
杖の先から、白くて丸い光が膨らんでいく。
丸い光はどんどんと大きくなっていき、私たちに向かって来る下級魔族の群れを照らしている。
この光を撃ってしまえば、下級魔族はたちまち消え去り、ユウマは助かるだろう。
そして私は、攻撃魔法を使わないという誓いを破ることになる。
息が荒くなる。頭が沸騰するように熱い。
心臓がバクバクと鼓動する。緊張状態になり、視野が極端に狭くなっているのがわかる。
撃ってしまったら最後、私は攻撃魔法を使ったことになってしまう。
撃ちたくない、撃ちたくない……!
「撃ちたくないっ……!」
下級魔族の群れが目前に迫る。
ユウマの唇が、なめらかに動いた。
「――撃って」
「――あ、ああああっ!」
限界まで膨張した白い光が、弾けるように前方に飛び出す。
光線は辺り一面に広がり、30体程いる下級魔族の群れを丸ごと呑み込んだ。
――バビュン!
一瞬のような、はたまた途方もないような。
光線が下級魔族を貫通し、はるか遠くで霧散するまでの間。
私は呆然と光の行く先を眺めていた。
「おーっすげー!」
残酷なほどに純粋な声が鼓膜を震わす。
パッと私から離れたユウマは立ち上がり、光線が飛んで行った方向を興味深そうに見ていた。
その横顔に、さっきまでの扇情的な姿は一切残っていない。まるで別人みたいだ。
攻撃魔法を食らった下級魔族の群れはどうなったのか。
それは一目瞭然だった。
光線が通った場所は、光の形に抉れ、何も残っていなかった。
何もだ。下級魔族どころか、家屋や地面、遠くにある森の木々さえも。
私が放った攻撃魔法は、そこに何かが存在していた痕跡すら消し飛ばしてしまったのだ。
……なるほど、私が攻撃魔法を使うとこうなるのか。
もっと錯乱するかと思ったが。存外に冷静な自分がいた。
これで、死ぬまで攻撃魔法を使わないという誓いは破ってしまった。
その実感だけが沈み込むように、私の心に浸透していた。
「大丈夫か?」
座り込む私に手が差し出される。大丈夫か、だと?
大丈夫なわけないだろ。いい加減殺すぞ。
せめて悪態をついてやろう。そう考えながら彼の手を取って立ち上がる。
「…………」
「ん?」
ユウマと目を合わせた瞬間、ガクッと肩を落とした。
落胆したと言ってもいい。
ユウマの顔を見て察してしまった。
彼は罪悪感を感じるどころか、私に攻撃魔法を使わせたことに対して何も思っていない。
愉悦すら感じていない。というか、恐らく状況を把握していない。
私に攻撃魔法を使わせるというのが、どういうことなのか。
彼はちっとも知らないのだ。
先ほど私を誘惑し唆したのは、彼にとってはほとんどお遊びだったのだろう。
我慢勝負だ。ユウマは私を誘い、私はユウマの誘いに乗らなかったら勝ち。誘惑に屈してしまったら負け。
そして、私は誘惑に負けた。それだけのことだ。
私がどうして攻撃魔法を使いたくなかったのか。
それも知らずに、彼はただあの状況で遊びに興じていた。
異世界から来たのだから何も知らないのは当然だ。
しかし、私はあんなに揺さぶられて、人生をかけた誓いを破らされたのに。
ユウマにとってはただのお遊びでノーダメージだなんて、そんなの不公平じゃないか。
「あっそう言えば!」
ユウマがポンッと手を叩く。
無性に腹が立っているので無視をしてやろうと思ったが、数秒で耐え切れなくなって結局声をかけた。
「……なんですか」
「化け物から助けてもらったってのに、お礼言ってなかったぜ」
何も知らない、純粋無垢な笑顔を向けられる。
いや、さっきあんなに扇情的な姿を見せられておいて、今さら純粋無垢もクソもないが。
しかし、どうしても穢れているとは言えない。
少年らしい、花のような笑顔が私だけを捉えていた。
「――ありがとな! ロレッタ!」
死ぬまで攻撃魔法を使わないという誓いを破ってしまった。
絶望的な気持ちだ。
今回のは異世界人に唆されたせいだ。二度目はない。
次は何があったって、攻撃魔法なんか使ってやらない。絶対だ。
そう再び誓ったと同時に、どこか開放的な気持ちになっている自分がいた。
異世界人などという史上最大の地雷を踏んでしまい、自棄になっているからだろうか。
――それともこんなクソみたいな世界で、何も知らない何にも染まらない、享楽的でハチャメチャな少年に出会ってしまったからだろうか。
「……フッ」
「おっ、何だよ楽しそうにしてー! オレも混ぜ……痛ってえッ!」
それはそれとして、異世界人に対しては許せないことが山ほどあったので、ごく弱めに肩をどついた。
――同時刻。
「――クソッ、全滅か! どうしてこんなところに魔族が……というか、さっきの攻撃魔法は一体……はあ、とりあえずロレッタと合流しないと」
◆
ユウマ
・突然異世界に飛ばされた、ニッポン生まれニッポン育ちの一般メスガキ魔性野郎(15歳男性)
・美形ではないが独特の雰囲気を醸し出す時があり、それが魅力的に見えるとかなんとか
ロレッタ
・魔性野郎の被害者第一号
・攻撃魔法を使いたくない事情があるらしいが、2話ではユウマに唆かされ使ってしまった
次の更新予定
毎週 土曜日 20:00 予定は変更される可能性があります
魔性野郎、異世界に行く 鴨そば新人 @kamosoba_shinjin
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