第33話
目が覚めると、蓮井の視界には、見覚えのない白い天井が広がっていた。
瞼の裏にはまだ光の余韻が残っているようで、しばらくぼんやりと天井を見上げている。
「……ここは……」
弱々しく声を出すと、近くで小さな物音がした。
視線を横に向けると、清水が花瓶に色とりどりの花を生けている姿が目に入る。
光が窓から差し込み、彼女の髪やブラウスを優しく照らしていた。
「目が覚めたのね」
清水は穏やかな声で振り返る。その表情には少しだけ、心配と安堵が混ざっていた。
「短期間における能力の使い過ぎで、かなり疲弊していたのよ。運ばれてきたのはそのせい。……いわゆる神経衰弱ね」
蓮井は少し肩を上げて、苦笑する。自分の体の重さ、まだ抜けきらない疲労感がじんわりと襲ってきた。
「……そうだったのか」
清水は少し俯き、花を整えながら小さく息をつく。
「無茶しすぎよ……と言いたいところだけど、今回は完全に私の監督不行き届きね。申し訳なかったわ」
蓮井が、ベッドの脇で軽く肩をもたげ、微かに笑った。
「君らしくもない……謝られても困る」
清水は少し肩をすくめ、淡い光の中で花瓶に手を添えたまま蓮井を見やる。
「……あなたは本当に、冷静ね。あの状況であんな判断を下せるなんて」
蓮井は軽く目を細め、窓から差し込む光に目を向けた。
「冷静というより、あの時点では、感情を表に出してる暇はなかっただけさ」
微かな笑みを浮かべながら、彼は付け加える。
「でも、こうして無事に収束させられたのは、やっぱり君の祈りと勇気の力があったからだろう。あの不死鳥は、君の”意志の結晶”だ」
清水は少し目を伏せ、静かに頷いた。
「……力の大きさを、恐ろしいと思ったわ。自分の意思であんなものを生み出せたなんて、未だに信じられない」
蓮井は窓の外を眺めながら呟く。
「君の力は、ただ強いだけじゃない。あれは、誰かを守りたいという気持ちが形になったものだ。それが結果を決めたんだ」
清水はその言葉に、少し頬を赤らめるように微笑む。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、少しだけ自信が持てるかも」
しばらく黙った後、清水は照れくさそうに口を開く。
「私、知らなかったんだけど……ボランティア部の選考基準には、”超常現象に類する特殊任務”に対応できる能力、資質があるかどうかというのが含まれているみたいなの」
「なるほど……それで君も、力を持っていたわけか」
「ええ。あなただけじゃなくて私や、一見ちゃらんぽらんに見える常川君までそんな大層な基準の上で測られていたなんてね……私の場合、まだ発動条件が曖昧だし、訓練が必要だけど」
清水は少し俯き、指先で花瓶の縁をなぞる。
蓮井はそれを見て、短く笑った。
「君の力を信じているのは多分、僕だけじゃない。大切なものを守るために動ける人間は貴重だよ」
二人の間に、確かな信頼と安堵の空気が流れる。窓の外では、小鳥が囀っていた。
蓮井は、ふと何かを思い出したように口を開く。
「ツネはどうしてる?」
「学校に行ってる。資料室で、あなただけ目を覚まさなかったから、さすがに心配してたわ……かなり動揺してるようだった」
蓮井は軽く頷き、微かな笑みを浮かべる。
「そうか……まったく、普段からそれくらい仲間を尊重してほしいものだね」
清水は視線を蓮井に戻し、柔らかく笑った。
「ああ見えても、普段から尊重はしてるんじゃない? むしろ仲間のことを放っておけない。あなたが目を覚ましたって知ったら、授業を放って飛び出してくるかもしれないから、まだ伝えられないわね」
清水は花瓶の位置を直し、少し言葉を探すように視線を落とした。
「……それから、方波見さんのことだけど」
蓮井は身じろぎし、枕に背を預けたまま耳を傾ける。
「あなたが救急車で運ばれるとき、校舎の奥の方から彼女も現れたの。ただ……」
「……ただ?」
蓮井の声に、清水は一拍の間を置いてから続けた。
「彼女は、記憶も身体も、全てが四年前のままだった」
病室の静寂が、言葉の余韻を強く響かせる。蓮井は思わず息を止め、清水の表情をじっと見つめた。
「どういうことだ?」
清水は小さく首を縦に振り、静かな声で説明する。
「つまり彼女は、こちらに帰って来るとき――四年前、透明になって“忘れられた”あの日の姿で目を覚ましたのよ。外見も、記憶も。今の私たちが覚えている彼女の姿じゃなくて、当時の彼女そのもの」
蓮井はしばらく言葉を失い、唇を引き結ぶ。
「……まるで浦島太郎だな。能力はまだあるのか?」
清水は答えた。
「いいえ、綺麗さっぱり失われているみたい。今の彼女はもう”普通の人間”」
花瓶の水面に映る光を見つめながら、清水は続ける。
「でも、これでよかったんだと思う。実は機関の調査で、彼女が持っていた能力の本質は、『世界を創造し、コントロールする』という、とてつもなく強大なものだったことがわかったの。一連のポルターガイスト現象は、向こうの世界が”完成してしまった”ことの余波に過ぎなかったと――」
蓮井はため息交じりに言う。
「僕らがあちらの世界で見たのが、彼女の”本当の能力”だったんだな。知らず知らずのうちに、とんでもないのを相手にしてしまっていたわけか」
清水は頷く。
「ええ。現実に戻ってきて彼女を保護したとき、彼女自身も混乱していたわ。何が起きているのか理解できていないようだった。でも、一つ確かなのは……能力や、四年間という時間と引き換えに、彼女は“存在を取り戻した”ということ」
蓮井はシーツの上で拳を軽く握り、しばし黙り込んだ。
「……それは、彼女にとって救いなのか、それとも――」
言葉の先が喉に引っかかり、重く途切れる。
清水はベッド脇の椅子に腰を下ろし、落ち着いた声で続けた。
「それがどういう意味を持つのかは、これからの彼女次第よ。ただ、四年という『空白の時間』に向き合うのは大変かもしれないわね……戸惑いも大きいはずだし」
蓮井は窓の外へと視線を投げる。
病室の外には、陽の光に照らされた街並みが広がっている。かつて彼女の精神世界で見た光景が重なり、ほんのわずかに胸を締めつけた。
清水は、長く息を吐いてから口を開いた。
「……それから、彼女は学校に戻るわ。ただし、機関の監視下でね」
蓮井は眉をひそめ、続きを促すように視線を向ける。
「行方不明者が見つかったという扱いで、三年生として学校に復帰する。機関が身元引受人になったの。彼女、もともと孤児院で育ったそうで、”帰る場所”はそこしかなかったんだけど……今は一時的に機関の保護下に置かれているわ」
清水は続ける。
「あと不思議なことに、方波見さんがこちらの世界に戻ってきた瞬間から、事件の詳細を知らない人々の記憶が、自然に抜け落ちていったの。生徒も教員も、ポルターガイストが起きたことは覚えている。でも、女子生徒の霊が出たとか、あの子にまつわる噂――その部分だけが霧の中に溶けるように、消えているわ」
蓮井は、低く呟いた。
「例の竜――《フェルニゲシュ》が消滅したからか……?」
清水は少し頷き、静かに答える。
「ええ。機関の見立てでも、竜の存在が消えたことと、記憶の抜け落ち方には密接な関係があるはず、とのことよ」
竜図鑑は、他の者からも無自覚に能力を引き出してしまう恐れがあるため、禁書扱いとなった。謎が多い書物のため、現在は機関が厳重に保管し、こちらについても調査を行っている。
清水は、更に淡々と続けた。
「彼女が四年間姿をくらませていた件については、公安や機関が根回しして、『集団催眠が絡んだ失踪事件』ということで落ち着いたから、話のスケールの大きさの割にはそこまで大ニュースにならなそうね」
蓮井はしばし黙り込んだ。
「……森や東村たちも、彼女のことを忘れてしまったのか?」
「ええ。彼らも例外じゃないわ」
清水は静かに頷く。
「ただ、きっと完全に消えたわけじゃない。彼らの中には“誰かと確かに笑い合っていた”という残響は残っているはず。理由も相手も思い出せない、胸にぽっかり穴が空いたような感覚だけがね」
風がカーテンを揺らし、清水の声が低く重なる。
病室に静寂が戻る。
蓮井は言葉を飲み込みながら、握っていた拳をほどいていく。
「……僕ら以外、誰も彼女のことを思い出せないということか」
その声に、わずかな戸惑いと、静かな諦観が混じる。
「ええ。でも……写真や動画等のデータ類は残っているはずなの。だから、それを見返せばあるいは――」
清水の声は柔らかく、しかし確かな力を帯びていた。
「……それでも、彼女自身は、ちゃんと現実に戻れるんだな」
「そう、彼女は自らの心を癒したのよ」
蓮井は深く息をつき、ゆっくりと肩の力を抜いた。胸の奥に、温かい感覚が広がる。
「……それなら、安心だ――」
蓮井は、方波見が帰ってくる日常の風景を薄ぼんやりと想像しながら、そっと目を閉じた。
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