第24話
夜の校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っており、資料室の明かりだけがぽつんと灯っている。
蓮井が扉を開けると、常川が机一杯に資料を広げていた。教務手帳、生徒名簿、美術部の展示記録。蛍光灯の白い光がそれらを照らしている。
「やっと来たか。……いやぁ、結構集めるの大変だったぞ。先生方には、蓮井から言われたように“ボランティア部です”って言ったら、案外あっさり通ったけどな。資料室も使い放題になったし」
「助かったよ、ツネ」
蓮井は軽くうなずき、机に近づいた。
常川は、手近にあった帳簿を指し示す。
「とりあえず三年E組の名簿も引っ張ってきたけど――」
蓮井は無言で近づき、名簿を覗き込む。整然と並んだ名前の列を、ひとつひとつ丁寧に追っていった。だが――どこにも「方波見紬」の文字はない。
「……いない」
低く呟いた声が、資料室の静けさを強めた。
清水が眉をひそめ、名簿を覗き込む。
「確かに、どこにも記録がないわね」
常川は気まずそうに頭をかきながら、ぽつりと漏らした。
「上履きの色、何色だったっけ?」
その瞬間、蓮井の脳裏に、別の記憶が蘇る。
森の記憶の断片――放課後の体育館で見かけた、あの少女の上履き。
「……緑だ」
思わず声に出していた。
「森の“映画”に一瞬映っていた……あの“魔女”の上履きは緑色だった」
清水が顔を上げ、目を細める。
「今の三年生の色は青よ。緑は一年生」
「いや、そうじゃない」
蓮井は即座に首を振った。
「年度によって学年色は入れ替わる。森の記憶の中の彼女は、緑を履いていた。つまり……彼女は”緑”の学年だ」
「ということは――」
清水が続ける。
「年度を遡って、“三年生の色が緑だった年”を特定すればいいのね」
蓮井は資料を閉じ、次の行動を思案するように視線を遠くに投げた。
「そうだ。早速、学年色の変遷を確認しよう」
常川は椅子の背にのけぞり、笑みを浮かべた。
「さすがの推理だな……蓮井――」
窓の外では、夜の帳が完全に降りていた。
「名簿に載っていない理由も、これで説明がつく」
清水は資料の年表を指でなぞりながら、考え込むように言った。
「直近十年の三年生で緑色だったのは……去年、四年前、七年前、十年前」
蓮井は、少女の存在を思い浮かべながら二人に促す。
「ここまで来れば、次は美術部の展示資料だ。作品が残っているかもしれない」
清水は頷き、資料を整理しながら答えた。
「該当年度の資料を、手分けして調べましょう」
夜の校舎の静寂の中、三人は淡い光の下で動き始めた。
名簿に載らない少女の痕跡を追い、消えたはずの存在を確かめるために。
資料室の奥の棚には、美術部の展示資料や過去の作品ファイルがぎっしりと並んでいた。三人は机を囲み、手分けして調べ始める。
「まずは展示会の記録から……」
清水がファイルをめくる。古い写真や作品リストが次々に現れる。
蓮井は一枚一枚の写真に目を走らせる。作品のタッチ、構図、色使い――それらは確かに個人の癖や感性を映していた。
常川が棚から一冊の古いファイルを取り出す。
「お、これ、いつぞやの『三年E組の作品集』だ」
蓮井はファイルを受け取り、ページを捲る。すると、一枚の絵が目に留まった。淡い色使いで描かれた風景画の隅に、小さくサインが書かれている。
「……方波見紬――!」
蓮井の声が静かに資料室に響いた。
清水が写真を覗き込み、目を細める。
「間違いないわ。これ、きっと本人の作品よ!」
常川も手を止め、写真を覗き込む。
「なるほど、こういう絵を描いていたのか……」
蓮井はページに指を置き、さらに作品集をめくった。表紙に小さく書かれた年度の記載――“三年E組 ○○年度展示会”――それを見て、静かに呟く。
「……なるほど。四年前の三年E組か」
清水もそのページを確認し、メモを取りながら頷いた。
「方波見紬は、この年に三年生だったってことね」
常川は微かに笑みを浮かべ、絵を指差した。
「これで、方波見の存在がはっきり見えてきたな」
蓮井は静かに頷く。
「次は、美術部の展示作品の内容を手掛かりに、当時の方波見の人物像を辿ろう」
夜の校舎に漂う静けさの中で、資料に目を通していた、そのとき。
「……ん?」
清水が反応したのは、四年前の美術部の作品集だった。棚の奥にひっそりと置かれていたその冊子を手に取り、表紙をそっと開く。
ページをめくると、繊細なタッチで描かれた少女の肖像画が現れる。
それも、方波見紬の作品だった――。
長い髪、柔らかな瞳、少し寂しげな表情――誰かをモデルにして描かれた作品だということが確かに伝わってくる。
清水は指先でページを押さえ、目を細める。
その下に、小さく書かれた概要文が目に入った。
「同じクラスの幸野舞実さんを書きました」
清水は思わず息をのむ。四年前の方波見紬が、間違いなくこの人物を意識して描いたことがわかる一言だ。
ページをじっと見つめて、清水は呟く。
「それにしても、この人……どこかで……」
常川はピンと来ていない様子で、清水に尋ねる。
「知り合い?」
清水は少し眉をひそめ、ページを指で押さえながら答える。
「いや、どこかで見た覚えがある顔と名前なのよ……でも、はっきりとは思い出せない」
蓮井も同意するように頷き、写真に視線を落とす。
「……何か、引っかかるな。この年の三年生の卒業アルバムはないか?」
清水が資料棚から分厚い卒業アルバムを取り出し、慎重にページをめくる。
「三年E組のページね……」
常川も肩越しに覗き込み、ページを追う。
しかし、スクロールするように写真を確認していくうちに、二人は顔を見合わせた。
「……いない」
「え……?」
蓮井もアルバムを手に取り、目を皿のようにして見つめる。
そこには、方波見紬も、そして幸野舞実も、載っていなかった――。
「どういうことだ……?」
常川が眉をひそめ、作品集の冊子を指す。
「二人とも、作品集の段階では、間違いなくこのクラスにいたはずなのに……」
清水も目を細め、ため息をついた。
「……記録が抜け落ちているのか、それとも……何か別の理由があるのかしら」
蓮井は黙ったまま、アルバムのページを閉じ、思案する。
(この“消えた痕跡”……ただの偶然じゃない……)
蓮井はしばらく黙ったまま、写真と名前の並んだページをじっと見つめると、何かを思い出したように「四年前……?」と低く呟いた。
清水が顔を上げる。
「蓮井君?」
蓮井は静かに息を整え、言葉を選ぶように続けた。
「……四年前といえば、例の研究所の爆発事故と重なるんだ」
彼は一息ついて、低く続ける。
「あの研究所は当時、秘密裏に”超能力開発”をしていたって噂があってね。あの事故の後から、街のあちこちで説明のつかない現象や”能力”の発現が記録され始めた」
清水と常川は顔を見合わせる。
「僕自身がそうだ。あの爆発の後から、この〈チャプター・ハウス〉の力に気づき始めた……」
蓮井は言葉を切り、机に置いた自分の手を見下ろした。
「方波見が”魔女”になったのも、その直後だ。辻褄が合う……いや、”魔女”と呼んでいるけど、本当は――」
常川が息をのむ。
「魔女でも幽霊でもない。彼女は、ただ不安定なだけの――”能力者”なんじゃないか?」
蓮井の声には確信と恐れが入り混じっていた。
しばしの沈黙のあと、常川が声を荒げるように言った。
「そんな……じゃあ今までの現象も、ぜんぶ”能力”で説明できるってのかよ? あれは人を忘れさせたり、自らの存在を消したり……ただの力じゃ済まねえだろ」
そう言いながら、声は震えている。信じたくない気持ちと、背筋に走る寒気が入り混じっていた。
清水は落ち着いた調子で言葉をつなぐ。
「でも、筋は通るわ。魔女や幽霊だとすると、説明がつかない部分が多すぎたもの。けど――”能力者”なら、原因を探れる可能性がある」
それは冷静な結論であると同時に、どこか自分に言い聞かせるようでもあった。
常川は机に両肘をつき、頭を抱え込む。
「……ただの女子高生だったはずの子が、そんなのに巻き込まれてたなんて……本当だとしたら洒落にならねえよ」
蓮井は二人のやりとりを黙って聞きながら、強く拳を握った。
「……幽霊や魔女なら、ただ恐れるだけで済む。でも、能力者なら……僕らと同じ『人間』だ。向き合わざるを得なくなる」
三人は夜の校舎で資料を片付けながら、静かな空気の中、どこか胸騒ぎを覚えていた。
蓮井はふと思う――「東村が言ったように、やはり方波見は、ただ消えたわけじゃなく、どこかでまだ意識を保っているのではないか」と。
清水も同じ考えを口にせずにはいられなかった。
「……あの子の世界が、まだどこかで動いている気がする」
蓮井は頷き、言葉を継ぐ。
「森の記憶の中で方波見は、『睡眠』や『夢』というワードを使っていた。彼女はあの強大な能力を使い、現実世界とは別の場所で、彼女個人による”認知”を構築していた可能性がある。だとすると今、方波見は……」
常川が頭の後ろで手を組み、苦々しい吐息をもらした。
「……まさか、その”認知”とやらが、街全体を巻き込むなんてことないだろうな?」
常川のぼやきに、蓮井は顎に手を当て、「探偵」のような仕草をしてみせる。
「──あくまで推測にすぎないが――彼女の言う“夢の中”が実在するとしたら、それは認知によって形作られた一種の“精神世界”だと捉えることができる。もしかしたら方波見は消えたのではなく、“あちら側”に留まり、そこから世界を拡張しているのでは? もしそうだとすれば、その拡張はやがて現実と接続し、この世界を――」
その瞬間、三人は同時に、妙な違和感を覚えた。
廊下を照らす光が、わずかに揺らめいたのだ。まるで水面の下に沈んでいるかのように、蛍光灯の明かりがぐにゃりと歪んで見えた。
「今……見えたか?」
常川が声をひそめる。
「ええ……確実に、空気が変わってる……」
清水は自分の両腕を抱きしめ、吐息をこらえるように目を閉じた。足元から、微かな震えが伝わってくる。
そのとき――視界の端に、淡い影が揺れた。
「おい、なんだよ今の……」
入り口の窓ガラスに、長い黒髪の少女の後ろ姿が映る。三人がそれを認識する前に、影は闇に呑まれるように滲んで消えた。
三人の呼吸が重く絡み合い、心臓の鼓動が同じリズムを刻み始める。
眠気ではない――もっと強い、抗いがたい力。思考が次第に曖昧になり、現実の匂いや音が遠ざかっていく。
そして、三人の意識は知らずのうちに、方波見紬が眠る――”精神世界”へと引き込まれていった。
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