第四章 ”終わり”は、いつになく美しい

第23話

 蓮井は、暗く静かな映画館で「東村寧香」の物語を見終える。

 東村寧香、都築亜里沙の二人と、”魔女”と呼ばれる少女の交流が描かれており、ポルターガイスト現象の発端と思われる場面も目についた。

 ラストシーン。夕陽に照らされた廊下の風景――すべてが細かく、彼の目の前で再生されていた。しかし、能力の効果時間が尽き、”映画”が終わると同時に、蓮井は現実へと引き戻される。


「……」

 蓮井の視界には、もう劇場ではなく、商店街の裏路地が広がっていた。

 東村が撮影している猫と、ふいに目が合う。突然目が合ったことに驚いたのか、猫は跳ねるようにして逃げ去った。

 東村は慌てて後ろを振り返り、ようやく蓮井の方を見る。

「え、あ……」

 彼女は軽く目を見開き、慌ててカメラを抱え直す。表情には困惑と、少しの驚きが混ざっていた。

「……君、さっきからいたの?」

 蓮井は視線を落とさず、淡々と答える。

「いましたよ……声も掛けた。猫に夢中で気づかなかったみたいですね」

「そ、そういうわけじゃ……」

 拗ねたように眉を寄せつつも、東村はすぐに息をついた。

「……それで、何の用なの?」

「……ああ」

 蓮井は短くうなずき、少し間を置いてから口を開いた。

「先月のことです。校内で起きた一連のポルターガイスト現象……あなたも関わっているんでしょう?」

 東村の瞳が微かに揺れる。

「どうしてそう思うの?」

「見たんです。あなたの――記憶」

 曖昧に言葉を濁すが、その声音には確信があった。

「あなたと、都築亜里沙。そして……“魔女”。三人で放課後に集まっていましたね」

 その名を口にした瞬間、東村ははっとして言葉を失う。

「”魔女さん”って……どうして知ってるの――」

「言ったでしょう。見たんですよ、あなたの記憶を」

 蓮井の眼差しは鋭く、逃げ場を与えない。

 東村は唇を噛み、カメラを胸元に抱き締めるようにして俯いた。

「……あの子は、誰からも気づかれない。でも、確かにあそこにいた。だから私たちは――」

 言いかけて、彼女は黙り込む。喉の奥で言葉がほどけず、ただ沈黙だけが流れた。

 視線は揺れ、指先はカメラのストラップをぎゅっと握りしめている。

 蓮井は、しばらくその沈黙を受け止めていたが、静かに言葉を差し込んだ。

 「……詳しく聞かせてもらえませんか」

 東村は一瞬、蓮井を見返し、迷いを含んだ眼差しを落とす。

「でも、ここじゃ……」

「じゃあ、場所を変えましょう。そこなら話せるはずです」

 蓮井は、角にある”機関関係者御用達”の喫茶店を指で示しながら携帯を取り出し、清水に電話をかける。

「聞き手としてもう一人、女性を呼びます。その方が安心でしょう?」

 その口調に逆らう余地はなく、東村は観念したように小さく頷いた。

 

 ほどなくして清水が到着し、喫茶店の奥のテーブルに三人が揃った。

 いつも通り、他に客の姿はなく、店内はしんと静まり返っていた。

 清水は席に着きながら、きょろりと周囲を見渡す。

「あれ、常川君は?」

 蓮井は少し肩をすくめ、淡々と答えた。

「何かあったときにすぐ動けるよう、学校で待機させてる」

 清水はくすりと笑い、眉を上げる。

「あなたも人使いが荒いわね」

 蓮井は軽く微笑んで返す。

「君ほどじゃない」

 清水は席に着くとノートを広げ、メモを取る構えを見せる。

 蓮井は先ほど見た東村の“映画”について、清水に説明した。放課後の連絡通路、夕陽に照らされた廊下、三人のやり取り――細かい動きや光の揺らぎまで、目に焼き付いた様子を簡潔に伝える。

 清水は何も言わず、ただそれを聞いていた。

 窓際には夕方の光が差し込み、カップの縁を淡く光らせている。

 蓮井は姿勢を正し、正面に座る東村を見据えた。

「改めてお願いします。あなたが知っていることを全部話してほしい」

 東村はカップに口をつけ、しばし沈黙した。

 そして視線を伏せたまま、静かに言葉を紡ぎ出す。

「……“魔女さん”のことを話すときが、来てしまったんだね」

 東村は、指先でカップをぎゅっと握りしめる。

 短い沈黙の後、清水がわざと軽い調子で口を開いた。

「でも、そこまで前の話でもないでしょう? 先月じゃないですか」

「先月かぁ……遠い昔のように感じる。なんでだろう」

「”楽しかったから”じゃないですか?」

「楽しかった……かぁ。そうかも! 私、楽しかったんだ。三人で他愛もない話をしたり、”謎”を追求したりする時間が」

 東村は続ける。

「私の印象だけどね、魔女さんはとても”温かい人”だったんだ。一見、ぶっきらぼうな感じだけど、笑ったり照れたりして、ちゃんと人間味があるの。みんな彼女のことが見えないから、私と亜里沙だけが気づけたけど、だからこそ特別な時間だったのかもしれない」

 カップを指先で触りながら、東村は少し遠くを見るように視線を上げる。

 蓮井は言葉を挟まず、黙って聞いていた。

「だから……あの時間を、私は忘れたくない」

 東村は小さく、でも確かな声で言う。

 沈黙の中で、三人の間に流れる時間は、まだ夕陽に照らされたままだった。

 東村の言葉に耳を傾けながら、蓮井は小さく呟く。

「森が言っていた”魔女”の印象とは真逆ですね」

 清水がペンを止め、一瞬だけ顔を上げて蓮井を見た。

 東村は眉をひそめ、首をかしげる。

「森くん……あのバスケ部の?」

「そうです。彼は、魔女のことを『寂しそうだった』と言っていました。でも、あなたの話や”記憶”を通すと、温かくて人間味のある存在のように思える」

 東村が語る魔女のエピソードは、生き生きとしていて、ただの噂や印象ではない、現実の時間の痕跡だった。蓮井の心の中では、“映画”と東村の言葉が重なり、魔女の存在が「確かにそこにあったもの」として感じられた。

「東村さん、森君のことを知っているの?」

 清水が東村に問いかける。

 清水の問いかけに、東村は少し微笑んで答えた。

「うん、魔女さんから少しだけ聞いた。二人は”友達”だったみたい」

 東村はカップを両手で包み込み、視線を窓の外に向けながら続ける。

「魔女さんが言っていたの。『森君は不器用だけど、一生懸命な人で、特別な存在だった』って」

 蓮井は、東村の言葉の奥にある情景を頭の中でゆっくり再生させながら、静かに耳を傾けていた。

「……私は魔女さんの”本当の名前”を知ってしまった。それも、彼女が消えてしまったあとに……嬉しかったけど、何か複雑な気持ちで胸がいっぱいになっちゃったな」

 清水は静かに頷き、言葉を選ぶように口を開いた。

「……そう。あなたにとって、その名前は特別なものなのね」

「もちろん! ”友達”だもの」

 東村は満面の笑みを浮かべて答えた。

  清水は躊躇いながらも、東村に訊ねる。

「東村さん、あなたの口から、彼女の”本当の名前”を聞いてもいい?」

 東村はカップを指でなぞり、静かに息をつく。

「……いいよ。ただ、覚えていてほしい。私の胸の中にある、小さな秘密だから」

 清水は頷き、ペンを握り直す。蓮井も真剣な眼差しで彼女を見つめる。

「紬……”方波見 紬”。それが、魔女さんの本当の名前」

 その一言で、店内の空気が少し変わった気がした。

 沈みかけた日の光が三人の間に柔らかく差し込み、時間が止まったかのように静かになる。

 東村はカップを抱え直し、少しだけ笑みを浮かべた。

「……彼女を思い出すとき、名前で呼ぶことができる。これって当たり前のことのようだけど、私と亜里沙にとってはすごく素敵なことなんだよ」

 そこで清水が、ふと問いかける。

「……あなた昨日の騒動のとき、三階の窓からカメラを回していたでしょう。あれも方波見さんと関係が?」

 東村は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに真剣な顔に戻った。

「方波見さんと約束したんだ。『写真を撮り続ける』って。私が記録することで、彼女が確かに存在したって証になるから。……たとえ被害が出ていたとしても、記録に残すことには意味があるって、私は信じてる」

 その言葉には揺るぎない意志があった。

 清水は、彼女の横顔を記憶に刻むように眺める。

 蓮井は静かに頷き、それから清水に語りかけた。

「美術準備室の絵には”三年E組”と書いてあった。名前とクラスがわかった今なら、色々調べられるんじゃないか?」

 清水はノートにペンを置き、顔を上げて蓮井を見返す。

「確かに……彼女の在籍記録や、美術部の展示資料を確認できるかもしれないわね」

 蓮井は微かに頷き、視線を遠くに向ける。彼は、方波見に関する小さな手がかりを頭の中で整理しながら、次の一歩を考えていた。

「ツネに連絡して、学校で資料を漁らせよう。ボランティア部の名前を出せば、職員室からも許可が出るはずだ」

 清水がノートを閉じるのを見届けて、蓮井は立ち上がる。次の行動を決めた彼らに”一区切り”という空気が流れた。

 「協力に感謝する」

 蓮井がそう口にすると、清水も静かに頷き、東村に向き直る。

「東村さん、ありがとうございました。方波見さんのことが見える人と、そうでない人の間にどんな違いがあるのか……少しだけわかった気がします」

 清水は続ける。

「誰かを知りたい、支えたいと願う心――森君や都築さん、そしてあなたのような、真に“他者を思いやる”気持ちを持った人だけが、彼女と触れ合えたのではないか…………私見ですが、そう思ったんです」

 清水は言葉を探すように、ほんの一瞬視線を落とした。

「彼女の存在を感じ取れる人は、何か特別な力を持っているわけじゃない。ただ……他者の痛みや孤独に、耳を傾けようとする気持ちが強いからこそ、彼女の心に触れられたのだと思います」

 清水の言葉を受け止めながら、東村はそっと視線を伏せる。胸の奥で何かがほどけていくような感覚があった。

「……ありがとう」

 小さく、それでも確かにそう口にすると、清水は穏やかな微笑を浮かべて頷く。

 沈黙を破り、東村は背を向けかけた二人を呼び止めた。

「ねえ……」

 彼女はためらいがちに口を開き、二人を見つめる。

「彼女は、まだこの世界のどこかにいる気がするの。根拠と言えるほどのことじゃないんだけど……あの子、最後に『しばらく会えなくなる』って言ってたのよ。本当に消えてしまうなら、“しばらく”なんて言葉、使わないと思わない?」

 清水の瞳が揺れた。

 東村はぎゅっと両手を握りしめて続ける。

「お願い。彼女を見つけてあげて。あなたたちからすれば、これは仕事で……余計な感情は入れたくないってわかってる。でも……あの子は救われるべきだと思う」

 蓮井は何も答えなかった。視線を落とし、拳をそっと握る。深く息を吸うと、胸の奥に重いものが沈み込んでいく。

 使命と、一人の少女の願い。その狭間で、彼の心は揺れていた。

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