第21話

 それから数日後、視聴覚室の片隅。遮光用のダークカーテンを閉め切った室内で、私たちは机を囲んでいた。

 亜里沙が「これ以上誰かに見られるわけにはいかない」と、教室の端の方に移動させたモニターには、先日の映像が映し出されている。

「──つまり、こういうことです」

 亜里沙が画面を一時停止しながら淡々と告げる。

「能力の影響範囲は、校外には及ばない。校舎や敷地に属する物品だけが反応します。外の並木道は無風のままでした」

「ふむ……」

 私は頷きつつ、映像の別のシーンを指さす。

「でもほら、この場面。掲示板の紙も、一緒に揺れてるよね。壁に貼ってあるだけでも、”学校の一部”と見なされるってことか」

 その横で、魔女さんは緊張した面持ちで口を開いた。

「じゃあ……極論になるけれど、私が気を抜いたら、物が落ちてきたり、棚が倒れたり、学校中が大変なことになる可能性もあるの?」

 亜里沙が彼女を見据え、静かに頷いた。

「……可能性としてはあると思います。特に動揺が強いときは、制御が難しいでしょう」

「……っ」

 魔女さんは視線を落とし、膝の上で両手を握りしめる。

 私は慌てて声をかけた。

「でもさ、安心して。実際にやってみた限り、影響は瞬間的だったよ。制御が効いている限りは、何分も続くわけじゃない。だから──私たちが一緒にいれば、どうにかなる」

 顔を上げた魔女さんの瞳に、かすかな安堵が宿る。

 しかし同時に、モニターには、本がふわりと浮かぶ映像が映り続けていた。

 それは「どうにかなる」と言い切るには、あまりに不可解で、強力すぎるようにも見えた。

 

 視聴覚室を出ると、廊下はすっかり夕方の色に沈んでいた。

 私と亜里沙、魔女さんの三人が並んで歩いていると、角の向こうから軽快な足音が近づいてくる。

「──あれ、ねねちゃん」

 現れたのは、私と同じ写真部の女子生徒だった。肩からカメラを提げ、明るい笑顔を浮かべている。

「おつかれー。せっかく会ったから、写真撮ってあげる。ほら」

 一瞬、私たちは顔を見合わせた。

 無言のうちに、同じことを思っていたのだろう。──彼女は、カメラに写るのだろうか?

 魔女さんの方に目をやると、彼女は無言で頷いた。「撮っていい」の意だろう。

「……うん。お願いできる?」

 女子部員はニコニコしながら頷くと、カメラをこちらに向ける。

 

 ――カシャッ。

 

 シャッター音が軽やかに響いた。

「はーい、撮れた。いい感じだよ」

 彼女は液晶画面を覗き込みながら言った。

 私はおそるおそる口を開く。

「……全員、写ってる?」

「うん、ばっちりだよ。ほら」

 カメラの画面を差し出され、私と亜里沙がのぞき込む。


 そこに並んでいたのは──二人だけだった。


「……彼女、写ってないよね?」

 私は横に立つ魔女さんの方へ、自然と手を向けていた。

「え?」

 女子部員はきょとんとした表情で首をかしげる。

「誰のこと? 二人しかいないでしょ?」

 その瞬間、思わず背筋が凍りついた。

 魔女さんは、私と亜里沙以外の人には見えていない──その事実が、音もなく突きつけられたのだった。

 

 

 連絡通路の片隅に、古びた椅子を三つ並べる。窓の外は夕暮れで、校庭の砂にオレンジ色の影が落ちている。人通りもなく、どこか隠れ家みたいな雰囲気だった。

 私と亜里沙と魔女さんは、肩が触れそうな距離で並んで座っている。

「ねえ、亜里沙。好きな人とか、いる?」

 私は、紙パックの野菜ジュースを飲みながら、唐突に、そんなことを口にしてみた。

「えっ、わ、私ですか⁉」

 亜里沙が、珍しく大きな声をあげる。視線が泳いで、耳まで赤くなっていく。

「そうそう。せっかくだし、こういう場所では恋バナでもした方が楽しいでしょ?」

 わざと軽い調子で笑ってみせた。

「べ、別に……いません。そもそも私、先月入学したばかりなんですけど」

 亜里沙はそっぽを向いてしまう。でも、その横顔は隠そうとしても照れているのが丸わかりだった。

「ふーん。じゃあ魔女さんは?」

 私はにやつきを隠さず、隣の魔女さんに目を向けた。

 彼女は少し俯き、窓の向こうをじっと見ている。しばらく沈黙があって、私が言葉を探し始めた頃、ぽつりと落ち着いた声が響いた。

「……気になる人なら、いる」

「ほんとに⁉」

 私と亜里沙が、同時に前のめりになる。

 魔女さんは困ったように笑って、それから小さな声で続けた。

「バスケ部の、一年生の人」

 普段の大人びた彼女からは想像できないような可愛らしさが顔をのぞかせて、私は思わず笑みをこぼしていた。

「魔女さんがそんなこと言うなんて、超レアだね」

 亜里沙は言葉を失っている。ただ驚いたように、魔女さんをじっと見ていた。何かを確かめるみたいに。

「もしかして……その人って部活終わった後、旧体育館で練習してますか?」

「……うん」

 魔女さんは小さく頷く。

「え、亜里沙、その人のこと知ってるの?」

「はい。私……同じクラスなんです」

 亜里沙は少し恥ずかしそうに目を伏せる。

「へぇー、すごい偶然だね。魔女さんは、その人のどこが気になるの?」

「……気になるっていうより、応援したくなるというか。その人は毎日、一人きりでも、ずっとシュート練習をし続けているの。誰からも見られてない状況で努力できるの、すごいなって」

 魔女さんは小さく笑って、視線を少しだけ逸らした。その仕草が、普段の落ち着いた印象と違って、愛らしさを醸し出している。

 沈黙が一瞬流れたあと、魔女さんの声が低く、でも柔らかく響いた。

「二人ともありがとう。この前のこと、触れないようにしてくれてるんだね」

 私と亜里沙は、同時に固まってしまった。やっぱり、気づかれていた。

 亜里沙が慌てて口を開く。

「ち、違うんです。ただ……どう切り出せばいいのかわからなくて」

 魔女さんは小さく首を振り、かすかな笑みを浮かべた。

「ううん、いいの。ただ……知ってる人がいてくれるだけで、私は少し楽になるから」

 彼女の声は静かで、けれど確かに温かかった。

 私は勇気を出して口を挟む。

「他の人に見えてなかったとしても……私と亜里沙にはちゃんと見えてるよ。だから、安心して」

 その言葉に、魔女さんは一瞬驚いたようにこちらを見た。

 窓から差し込む夕日が、彼女の横顔を淡く縁取る。

「……そう言ってもらえるだけで、少し救われた気がする」

 小さな吐息のような声。

 そして彼女は、ほんのわずかに視線を伏せながら続けた。

「でもね――それでもやっぱり、時々不安になる。いつか、二人からも観測されなくなって、忘れられてしまうんじゃないかって。二人に出会うまでの私は、たった一人でこの学校を彷徨う幽霊みたいな存在だった。『誰からも見られていない』なんて当たり前のことで、悲しくも何ともないはずだった。それなのに、なんで今更、”不安”なんか感じてるんだろう」

 亜里沙が、そっと拳を握りしめる。

「そんなこと、絶対にさせません。私も東村先輩も、魔女さんのことを忘れるはずないです」

 私は大きく頷き、笑ってみせた。

「そうそう。世界中から忘れられたって、私たちが一緒に過ごした「時間」、それだけは消せないよ。証拠写真なんかなくても、あなたがここにいたという”証明”は、私たち自身がしてみせるから!」

 魔女さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「……変なの。でも、ありがとうね」

 少しの間を置くと、魔女さんは再び、ゆっくりと口を開いた。

「……ただ、しばらく二人には会えなくなると思う」

「え……?」

 私と亜里沙が同時に息を飲む。

「今、私のことが見えている人――あなたたち二人や、”彼”にも、もう会えなくなる。理由は……うまく説明できない。でも、もうここには来られないと思う」

 魔女さんの声は静かで、どこか遠くを見ているようだった。

「そ、そんな……」

 どう反応していいかわからず、私からも、亜里沙からも、それ以外の言葉は出なかった。ただ三人の間に、ひんやりとした空気が流れるだけ。

 私は、窓の外のオレンジ色の影をぼんやり眺めながら、小さく息をついた。

(もうすぐ、この空間で一緒に過ごす時間も、終わっちゃうんだ……)

 魔女さんは目を伏せて、小さく笑う。

「だからって、悲しまなくてもいいよ。これまで通り……じゃなくても、きっといつか、また会える日が来る。そう信じてるから」

 その言葉に少し安心しつつも、胸の奥がきゅっと締め付けられる。夕暮れの連絡通路に、私たち三人だけの、しばしの静かな時間が流れた。

 あのとき飲んでいた野菜ジュースの、少し青臭いけど最後にほんのりと甘さだけが残る、そんな後味だけが、なぜか今でも胸の奥に息づいている。

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