第19話

 夜の教室は、ほの暗い蛍光灯の光に包まれていた。数名の生徒がそれぞれの課題に向かい、静かにペンを動かしている。私は机に肘をつき、ぼんやりと窓の外の空を見上げていた。

 そのとき――電灯がいきなりパチパチと激しく点滅し始めた。最初は一瞬のことかと思ったが、点滅は止まらず、まるで電灯自体が何かに怯えているかのように揺れ動いている。

「えっ、なにこれ⁉」

 前列の女子が声を上げて椅子から跳ね上がった。

「まさか……幽霊?」

 後ろの席の男子が小声で囁き、教室の空気は一瞬でざわついた。私は思わず呼吸を止めて、電灯の揺れを目で追う。

 私は反射的に、ポケットからスマートフォンを取り出し、録画ボタンを押した。こんな現象、証拠を残さずにいられるわけがない。

 机の上の教科書やノートも、微かに揺れている。光のちらつきに合わせて、教室全体が不安定なリズムで揺れているみたいに感じられた。

 その瞬間――。

 

 ――バチッ!

 

 鋭い破裂音とともに、天井の電灯が一斉に消えた。

 教室は一瞬で闇に沈み、生徒たちのざわめきが広がる。

「キャッ!」

「うわっ……」

 前列の女子の悲鳴に重なるように、椅子のきしむ音や、文房具を落とす音が次々に響いた。

 窓から差し込む街灯の薄明かりだけが、ぼんやりと机の輪郭を浮かび上がらせている。

 私は反射的に立ち上がり、教室全体を見渡した。暗がりの中で、皆が口々に不安を漏らしていた。

「停電……?」

「でも、廊下は明るいぞ」

 廊下の隙間から洩れる光が、逆にこの教室だけが切り離されたような異様さを際立たせていた。

 嫌な予感がした。

 私は、この光景を見たことがある――魔女さんと初めて会った、あのときと同じだ。電灯がざわめくように反応するのは、きっと……

 私は机の間をすり抜けるように出口へ向かった。誰かが呼び止める声が聞こえたが、構わずドアを開け、明るい廊下に出る。

 光の中で息をつくと、心臓がまだ早鐘を打っていた。あの現象の裏にいるのは、彼女しか考えられない。

 私は廊下の奥を見据え、足を踏み出した。どこかで、彼女がこちらを見ている気がした。

 廊下は静まり返り、放課後の空気がひんやりと肌に触れる。人通りはなく、時折風が窓をかすかに揺らす音が聞こえるだけだった。

「魔女さん……?」

 呼びかけても、返事はない。けれど、どこか近くにいる気配がする――そんな気がして、私は足を止めた。

 窓際の掲示板の影、階段の手すりの向こう、教室のドアの隙間……視線を走らせるたび、微かに、風でもない何かが揺れる気がした。心臓の奥がざわつく。

 小さく息をつき、私は廊下をゆっくりと歩き始めた。廊下の先に目をやると、音楽室の扉が開放されきっているのが見えた。

 ――あそこかもしれない。

 足音を押さえ、息を殺しながら、真っ暗な音楽室に近づいていく。

「魔女さん?」

 扉の前で再び声をかけると、奥の窓際から、じっとこちらを見つめる人影があることに気付いた。影のように佇む長い黒髪が、夜の闇と同化している。

 私はそっと近づき、影の正体を確かめた――間違いない。彼女だ。

「……驚かせてしまって、ごめんなさい」

 小さな声が返ってくる。背中を丸め、少し俯き気味にしている姿は、普段の大人びた雰囲気とは少し違って、どこか儚げだ。

 私はゆっくりと歩み寄り、間合いを保ちながら声をかける。

「さっきの教室、電灯が……あんなふうになったの、もしかして、魔女さんが?」

 彼女は軽く首をすくめる。

「……多分。意識してやったわけじゃないけど、気付いたら、ああなってしまうことがあるの」

 彼女は小さく笑ったが、その笑みはどこか頼りなく揺れていた。

 私は正直、かなり戸惑っていた。これは所謂、「ポルターガイスト現象」というやつではないだろうか?当たり前だが、そんなものを自由自在に扱える知人など、周りに存在しなかったから、この一件をどう受け止めたらいいのかわからない。

「それがあなたの、能力なの……?」

「そう。私の気持ちが強くなると、勝手に反応してしまうの。嬉しいときも、悲しいときも、怖いときも……まるで、この学校そのものが私の心臓のリズムに合わせて動くみたいで」

 彼女は、まるで自分自身の状態を、説明しながら確かめているようだった。

 でも、それだとまるで、彼女の精神と、この学校の設備が同期しているような……。

 ん――?”同期している”?

「もしかして、それって……魔女さん、確かめたいことがあるの。協力してもらってもいい?」

 自分でも驚くくらい真剣な声が出た。彼女はわずかに目を見開き、ためらうように視線を落とした。

「……怖くないの?」

「正直、怖いよ。でも、放っておけない」

 私はそう言い切ってしまった。なぜか、この人をただの「怪異」として遠ざける気にはなれなかった。

 彼女は小さく息をつき、窓の外に目をやった。グラウンドのナイター照明が瞳に差し込み、煌びやかに揺れている。

「……わかった。いいよ」

 その声は静かだったが、それでも確かな決意が滲んでいた。

「ありがとう。じゃあ……とりあえず、ここで試してみたい」

 私は周囲を見渡した。廊下には誰もいない。窓際には古びた掲示板と、壁に並んだ電灯。

「さっきみたいに、強く思ったときに反応するんだよね。たとえば――」

 私は指さしてみせた。

「この掲示板。もし気持ちを込めたら、動いたりする?」

 彼女はしばらく黙っていたが、やがてそっと掲示板に視線を向ける。

 瞬間、わずかに空気が震えた気がした。蛍光灯がじり、と低く唸り、釘で留められた掲示用紙がふっと浮き上がる。

 ぴらり、と紙が剥がれ、私の足元に舞い落ちた。

「すごい……本当に、動いた」

 声に出すと同時に、鳥肌が立った。

 彼女は胸のあたりを押さえて、少し苦しそうに笑った。

「やっぱり、私の心と繋がってるんだ。学校そのものが……私を映すみたいに」

 私は息をのむ。これは単なる怪現象じゃない。彼女の存在と、この場所そのものが一体化している。

「……魔女さん。あなたは、この学校から出られないの?」

 問いかけた瞬間、彼女の表情が固まった。小さく目を伏せ、肩をすくめる。

「……うん。意識して外に出ようとしても、できないの。まるで、この学校の敷地の中に、私は閉じ込められているみたいで」

 私は息を呑む。言葉にしなくても、その空気が伝わってくる。校舎の廊下、教室、階段、窓――あらゆる場所に彼女の気配が染み込んでいるような、不思議な感覚。

「じゃあ……この学校の中なら、電灯や窓や机とか、いろんなものに影響を与えられるの?」

 彼女は小さく頷いた。

 私は言葉を失う。単なる偶然の怪現象ではない。彼女の存在そのものが、この場所と結びついているのだ。

「……そうか。だから、さっきの電灯の点滅も、あんなに激しかったんだね」

「うん……」

 彼女は少し俯き、窓の外の夕陽をぼんやりと眺める。

「ただ……こういうことが起こると、周りの人を驚かせてしまうから、できるだけ一人でいるようにしてる」

 私は小さく頷いた。理解しようとしても、完全には理解できない。でも、彼女の気持ちは少しだけ分かる気がした。孤独と、力への戸惑い、そして制御できないものへの恐れ――そのすべてが、彼女の沈黙と背中ににじんでいる。

「でも、私は知りたい……あなたのこと、もっと知りたい」

 私の言葉に、彼女は一瞬だけ顔を上げ、ほんの微かに笑った。

「……ありがとう」

 真っ暗な音楽室に、二人の間だけの静かな時間がゆっくりと流れた。

 教室での騒ぎも、まだ少し胸に残っているけれど――今は、ただ彼女の存在を、確かめるだけでいい。

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